手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大地震はいつ来る

地震はいつ来る

 

 関東大震災は必ず来る。という話は、実は私が中学生だったころから言われ続けています。私が中学生と言えば、昭和44~5(1969~70)年です。以来、「そろそろ来るぞ」。「今年こそ地震が来るぞ」。と言われ続けて来ましたが、実際、今日まで大震災は来ていません。

 なぜ昭和44~5年ごろから関東大震災が来る、と言われて来たかと言えば、関東大震災の一つ前に安政の大地震があり、それが安政2(1855)年に起こり、それから60年後に関東大震災があったため、当時は50年から60年の周期で関東大震災が来ると推測する研究家が何人もいたのです。そうなら更に50年後の1975年頃にもう一回大地震が来る。と言うわけです。

 昭和の時代はニュース番組などで、大体関東大震災は50年から60年周期でやってくるとまことしやかに語られていたのです。もし50年周期なら、私の中学生のころ、即ち1970年ころから、その周期の入り口に来ていると考えられていたのでしょう。

 然し、ご存じの通り、1970年代になっても80年代になっても関東大震災は来ませんでした。そして今日にいたるまで、実に100年経っても、大震災は来ていないのです。予言者によれば、今年の末か来年あたりに大きな地震が来ると言う人があります。

 あるいは富士山の噴火を予言する人もいます。来るのか、来ないのか、私にはよくわかりません。

 私は、東日本大地震の数日前に、死んだ祖母が夢に現れた、という話をブログに書きました。祖母は若いころ塩釜に住んでいて、その後関東大震災があって、東京が復興景気で大忙しだと言うので東京に出て来てそのまま移り住んでいます。

 その話を聞いていたので、塩釜、祖母、関東大震災、と話をつなげて、東日本大震災が起きたときに、これは予言だ。私には予知能力があるのかも知れない。と考えました。同様に、熊本の大地震の際に、熊本の知人(当時は生存していました)、が夢に現れたために、ひょっとしてこれは災害の知らせなのか。と考えていると、数日後に、熊本大地震が来ました。

 これで、私は自分の予知能力に確証が持てたと勘違いし、その後に、亡くなった友人が夢に現れたときに、ブログに関東大震災が来るかもしれない。という予言を書いたのです。ところが、これは外れました。

 そこから気づいたことは、そもそも、死者が夢に現れることを地震に結び付けることが既に間違いなのではないかと気が付きました。平常では感じ得ないことが感じると言うことは、私に限らず、誰にもあることです。但し、それが特定の、関東大震災であるとか、富士山噴火である。などと簡単に結びつけることは無理なのです。

 

 そもそも、私自身が、地震の度に特別な何かを感じていたわけでもなく、必ず予知が出来たわけでもないのですから、短絡に夢と地震を結び付けて考えることは出来ません。根拠など全くないのです。私の予知能力は当てにはなりません。

 ただ、全くの嘘や思い付きかと言うと、そうでもないのです。今まで、様々なことで危険を察知して、行動を改めたことは何度かありました。サイドビジネスを始めようと友人と話を進めていた際に、何気に買ったお御籤に、「○○はしない方が良い」。と具体的に書いてあって、びっくりしたことがあります。

 無論サイドビジネスは取りやめました。結果それはリスク回避につながりました。そうしたことが過去に何度かあったため、私は、全く予言や余地は当てにはならないとは考えないのです。全くないとは言えない、でもほとんどの場合は嘘だ、と思うわけです。

 

 このところ、東京に震度3程度の小さな地震が頻繁に起こっています。私は、地震が起こるたびに、揺れながら、「この数日前に誰か夢に現れただろうか」。と一瞬考えます。夢に誰も訪ねて来なかったとわかると、「それじゃぁ、今起きている地震はきっと大したことにはならないな」。と根拠のない判断をして、勝手に安心しています。

 まだ夢のお告げを100%嘘とは考えていないのです。頼りないお告げですが、私にとっては、大地震になるかならないかの判断材料なのです。

 

 100年間関東大震災が来なかったと言う話は、次の百年も大震災が来ないと言う保証にはなりません。いつかは来るのでしょうが、でも、いつ来るかわらないことに一喜一憂していても意味はありません。せいぜい、水と非常食と簡易ガスコンロくらいを用意して、非常に備えることくらいが我々の対策なのでしょう。

 但し、家やビルの耐震に関しては真剣に考えておかないと危ないと思います。輪島の地震でビルが完全に倒壊している映像を見ましたが、あれと同じことは確実に東京でも起こるなと思います。高円寺の駅前を散歩していても、間違いなく、輪島のビルと同じ結果になりそうな、頼りないビルを数々見ます。以前に、高円寺の駅前で、台風で倒れた薄っぺらい建物の立ち食いそば屋がありましたが、良く見ると、あれと同じような結果になりそうなビルがたくさんあります。

 この際、耐震のための補強工事をしたほうが良いのではないかと思いますが、倒れるビルと言うのは、そうした工事をする金がないから倒れるのでしょう。立ち食いそば屋も流行っていませんでした。台風で倒れなくても、自然につぶれたかもしれません。借りている人も、貸している人も、ビルが倒れそうなことは内心わかっているのでしょう。分かっちゃいるけどやめられないのでしょう。

 それをおためごかしに、「補強したらどうですか」。などと言うのは、傷口に塩を摺り込まれるような行為で、他人にとやかく言われたくはないのでしょう。「倒れようと倒れまいと俺の勝手だい」。と居直られるだけでしょう。

 補強する金がなくても多分しばらくは大丈夫だと思っているのでしょう。かくして災害が来ると分かっていても、対処しようとする人は少ないのでしょう。毎度毎度地震や台風は来るのに、必ず死者が出るのは、分かっちゃいるけど今を変えようとしないからなのでしょう。

続く