手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

シン・エンタメライブ

シン・エンタメライブ

 

 3月31日、浅草公会堂の和室で、「シン・エンタメライブ」というタイトルでマジックショウが開催されました。これまでも度々開催されてきたようです。15時からと18時からの二回公演。15時は45人のお客様が集まり満席。私は18時を拝見。

 私はショウ開始前に朗磨と一緒に合羽橋に行って、いろいろ道具の素材の買い物をしました。手拭いを買ったり、看板屋さんに弟子の朗磨の名札を注文したり、グラスを買ったり、椀を買ったり、朗磨を連れて行ったのは、この先、必要なものがあったときには、朗磨に買い物に行ってもらうためです。いろいろ店を教えているうちに4時になりました。

 二時間以上買い物をして歩き回りましたので、さすがにくたびれました。歩き疲れて浅草の梅園に行き、粟ぜんざいを注文しました。朗磨は梅園は初めてです。170年以上前に、浅草寺茶店から始めた店が、今では行列になるくらいの人気店です。隙間の時間を狙って行くようにしていますので大概座れます。この日もほとんど並ばずに入れました。

 黄色い粒粒の残る搗き立ての粟餅に、たっぷりあんこを乗せたもので、言ってしまえばそれだけのものですが、これが素朴でいい味です。薄く塩味の利いた粟餅が魅力です。あんは少し柔らかめの甘みの強いあんで、甘味好きにはたまらない味でしょう。ここと並木の藪は、浅草に行く時の楽しみの一つです。

 5時30分に会場入り、6時公演開始、観客は少なくて15人。真ん中にお客様がいないため、私が犠牲になって真ん中奥に座っていたら、結局最後まで私の前の席に誰も来なかったために、私が真ん中で舞台ににらみを利かすような結果になってしまい、演者はやりにくかったことでしょう。申し訳ないことをしました。

 

 一本目は藤山大成。空中から延べを出して、中から煙管出現。そこから襷を出して紐切り。お椀と玉。金輪の曲。まとまっていて、手堅い演技。できればもう少し尖った手順を作り込んでもいいのではないでしょうか。

 

 二人目はTOMOKO。10年振りくらいに見ます。歌いながらマジックをします。ショウほど素敵なものはないで始まり、マイフェアレディなど、歌で綴りながら、シルクやステッキなど様々な小品を演じます。途中鳩が出て、アヒルが出て、かなり大掛かりな舞台を見せます。手慣れて巧さを感じます。ただ、マジックが脇役のように見えて、不思議が伝わりにくく感じるのは、演者の心が音楽の方に行っているからでしょうか。

 

 ここで今晩の出演者の紹介を、高橋司さんとトランプマン中島さんがしました。ショウの真ん中で既に演技を終えた出演者と、この先出演する出演者を同時に紹介するのはどうでしょう。フィナーレで紹介する方が気が利いていると思います。このコーナーはなくてもいいのではないですか。

 

 三本目はザッキー。挨拶代わりに眼鏡の手順、もっと長く眼鏡手順をまとめて見せて欲しいと思いました。色変わりハンカチ、3本ロープの変形手順。得意にしているマジックで手慣れています。小さな工夫が加わって、反応も良かったと思います。

 お終いはチャイニーズステッキ。フィニッシュにステッキを一本増やすのがオリジナル。

 更にサービスで、大成を呼んで、卵袋の対抗戦。和洋の対決です。このところ二人が出ると、これを得意にしています。共に見た目のいいお育ちのよい坊ちゃんが演じるマジックですから、おばさま方には受けがいいのでしょう。でも、できればもっと研ぎ澄まされた、緊張感のある舞台が見たいのですが・・・。

 

 4本目は和田奈月。大トリです、私のアシスタントで入社したのはかれこれ30年前。今ではこの社会の幹部です。初めに蝶柄の打掛を着て日本舞踊。これが10秒か20秒なら綺麗な幕開けですが、本気になって踊ってしまうのは疑問。マジシャンが踊ってはいけません。もし、私が水芸を演じる前に、黒田節を踊ったら、ショウ全体が素人芸になってしまいます。それは絶対にやってはいけないことです。

 日本舞踊の世界で仮に5000人のプロがいたとしても、そうした師匠はお稽古屋さんの師匠であって、舞踊で金を貰って踊れる人は日本に10人とはいないのです。簡単な世界では有りません。安易に踊るのは、手妻の評価を下げます。マジックの手順がしっかり作り込まれていて、そこに舞踊の振りが付くのは気が利いていますが、只踊るのは駄目です。

 そのあと双つ引き出し。柱抜き(サムタイ)、連理の曲。その後、衣装変わりをして、法被(はっぴ)姿になって、松尽くし。今はなかなか見ることのない座敷芸です。その昔は太鼓持ちや、芸者が余興で演じたもの。

 扇子を松の葉に見立てて、だんだん数を増やして行って、自分自身が大きな五葉の松になって行くのが趣向。せっかく復活させるなら、扇子を一本一本マジックで増やして行っては如何ですか。それができたなら、マジックの番組にこの演技を取り入れる理由が出来ます。このままでは単に踊りを見せたいだけに終わってしまいます。

 

 全体を見終わって、感じるのは、色々なマジックを見ても、寄席の色物芸を見たような感じがしました。マジックのインパクトが欠けているように思いました。本来、技量のある人達であるのに、見終わってマジックの印象が残りませんでした。

 一つ一つのマジック(あるいは手妻)をもっと丁寧に演じ、不思議を語り込むことを第一に考えて演じたなら、同じ演技でも見違えるように充実したものになると思います。もののついでに、マジックがおまけのようについて来るのではなくて、自身が演じる不思議の、一作一作に責任を持たなければマジシャンとは言えないと思います。

 この日は一日中浅草は大変な人出でした。通りと言う通りは人で溢れていました。そうした人の内、0・1%でも、マジックショウに来てくれたなら、マジック界は大賑わいになります。そうなるためにはどうしたらいいのか、何を見せなくてはいけないのか。マジシャン自身が考えて答えを出さなければ、世間の人は永久に振り向いてはくれないのです。

 続く