手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大掃除

大掃除

 

 昨日(29日)は大掃除の日。久々大樹、大成、朗磨の三人が揃いまして、大掃除をしました。一階のアトリエと二階の事務所を掃除します。掃除の段取りはもう毎年のことですから、私が何か言わなくてもよく理解していて、淡々と進みます。

 外観の掃除から、内部の掃除、棚の荷物をすべて下ろして、棚の埃を落としたり、修理工具は小箱を一つ一つ拭いて、中の工具を油で拭いたり、機械を磨いたり、結構仕事は多いのですが、なんせ男三人いますから、どれもはかどります。

 一昨日から少しずつかたずけはしていましたので、余り手間取る用事はありません。みんなが掃除している間に私が二階のトイレを掃除して、お終いに各部屋に餅を飾り付けて、表の正月飾りをつけて、完了です。

 そのあとビールとつまみを出して乾杯です。久々弟子が三人揃いましたのでいろいろと近況を聞きました。なかなか舞台活動はコロナ以前の状況に戻らないため、弟子も随分苦労しているようです。無論それは私も同じです。それでも何とか生活して行けるのは不幸中の幸いといえます。

 大樹は、正月の、高知県に行き、赤岡と言う町にある芝居小屋を借り切って、手妻の公演をするそうです。私は、大学浪人のころに一度四国をぐるっと一周したことがあり、安芸と言う町に行く途中、赤岡と言う町に寄ったことがあります。高知県は弓のように湾曲した大きな浜を持つ県で、高知の桂浜に立って海を眺めると、西の足摺岬から、東の室戸岬まで、一望できます。

 高知から、東の安芸市までは土佐電鉄(通称土電)と言う、半路面電車が走っており、のどかに漁村と農村をつないでいます。私が赤岡に寄ったのは、古い宿場町が続いていたので途中下車して観光したためで、その後安芸まで行き、岩崎弥太郎の生家を見たり、土居郭中(どいかくちゅう)と言う昔の武家屋敷が固まって残っている地域を見て回ったことが今でも昨日のように思い出されます。

 岩崎弥太郎三菱財閥創始者で、明治の新興財閥の一人です。この人の生家は小さな農家で、普通に見学できますが、特別そこに何かかがあると言うわけでもありません。それよりも、未だに頑なに武家屋敷を残している土居郭中が面白く、明治以前の土佐の武士の暮らしが良くわかります。武士と雖も質素で、静かな町です。

 そこから安芸市に出る道が徒歩で40分くらいかかったと思いますが、途中に大きな時計を掲げた家があり、周辺は田畑で他の何もありません。その時計台を見ながら、安芸の町まで戻るのが何とものどかで、10代の私には楽しい経験でした。

 私の人生で、安芸や赤岡などと言う町は一生縁のない土地かと思っていましたが、私が「天一一代」と言う本を執筆したときに、天一の自伝の中に赤岡の名前を見つけました。

 17くらいだった天一は、淡路島に暮らしていたのですが、明治維新以降、それまで二重鎖国をしていた土佐が、誰でも自由に出入りできるようになったと聞き、今行けば土佐でいくらでも金儲けができる。とそそのかされて、お雇い外人の妾をして金を持っていた女とともに、野根山(徳島県高知県の県境)を超えて、赤岡まで行った。と書かれていました。

 天一は、そこの旅篭(はたご=旅館)で人を集め、軍記物の語りをやってそこそこの人気を集めますが、三日続けてやったら、語るネタがなくなってしまいました。困った天一は、宿の親父が持っている刀を借りて、刃渡りをして見ようと考えます。刃渡りとは素足で刀の刃の上を歩く術です。山伏から習ったのか、小屋掛けで誰かがしていた物を見よう見まねでやって見たのか。

 いずれにしろ試しにやって見るとうまく行ったので、すぐに町にある道具家で刀を10本買い揃え、山台を作って、刃を上向きに置き、階段状に並べました。そして夜になって集まって来た近郷の人を相手に、簡単な手品をいくつかして見せ、お終いに刃渡りをして見せました。日頃芸能に縁のなかった土佐の人には大変衝撃な術で、たちまち評判になり、連日刃渡りの太夫と持てはやされて人が集まりました。そのうち高知の興行主からお呼びがかかり、高知で興行をして、一躍金を稼ぐようになります。

 その頃の天一が、恐らく17、8歳くらいでしょう。ちょうど私が天一から100年後に、安芸や赤岡を歩いていた年です。天一が思わぬチャンスを掴んだ町として、私の記憶に残りました。

 話はここまでです。その赤岡の町に芝居小屋が残っていたとは知りませんでした。恐らく天一が高知に移ってから、出来た芝居小屋なのでしょう。あの旧街道沿いに建っているでしょうか。その芝居小屋で大樹が自主公演をすると言うのが奇しき縁ですね。

 只、心配なのは赤岡と言う町はとても人が少ないですから、果たして手妻の興行に人が集まるかどうか。なかなか東京、大阪でショウをしても、コロナ以来、人が出不精になっていますので、今の時代に劇場を満席にするのは難しいことです。

 それが赤岡となると、どうなるのか、少し心配です。どうぞブログをご覧の方で、四国にお住まいであるなら、一度大樹の公演を見てやってください。大樹のホームページを見れば、詳しいことは分かると思います。

 どんな苦境にあっても、自主公演をしてまで人集めをしようという心持は立派です。しっかり生きて行ってくれることを期待しています。

 

 さて新年は、元旦二日とブログを休みます。3日から書き始めますので、どうぞまたご覧ください。

来年に続く