手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

大樹のNHK特集

大樹のNHK特集

 

 先月の末に大樹の特集番組が放送されました。NHKの海外向け番組の50分もので、約1年間大樹の活動を追い続けてまとめた、なかなかの力作でした。番組はいつでもネットで見ることが出来ます。

 私はその見方が分からなかったため、気にはなっていたもののずっと見ていなかったのですが、先週ようやくネットを開いて、見て見ました。

 内容的には若いマジシャンが古典芸能を学びながら、その中で自分自身が何をしなければならないのか、どう言うふうに芸能を発展して行くべきなのか、悩み苦しみ、前進して行く内容で、マジックや手妻に興味のない人でも、何かを創作して行こうと考えている人にとっては共通の悩みを語っていて、NHKらしい前向きな番組に仕上がっていたと思います。

 

 そこへ後半になって私が出て来て、あれこれいろいろな話をするのですが、これが実は相当な回数の撮影や取材があって、随分時間がかかりました。

 私の自宅、稽古場、事務所、劇場での公演の撮影や、大きな倉庫の中での水芸の稽古などなど、随分お付き合いしました。

 番組としては、気難しい、偏屈な師匠が出てきて能書きをたれた方が面白いのかも知れませんが、それに近い役になったでしょうか。

 

 特に、後半に水芸を大樹に継承するシーンを撮影したいと言う希望があったのですが、 継承と言うことに関して、私は少々抵抗がありました。季節が1月と言うこともあり、水芸の稽古にはきついシーズンです。撮影は一階きりでも、大樹の稽古は何度もしなければなりません。その稽古をするとなると、人の手配も、稽古場の手配も必要で、全てに費用がかかります。「ちょっと稽古風景を取らせてください」。と言うような簡単な仕事ではないのです。

 それに、大樹はこれまで、ほとんど水芸の稽古をしていません。私が水芸を演じる時の休憩時間などに、少し基礎を指導したことはありますが、大樹はまだ、全体を通して一度も水芸を演じたことがありません。それは彼自身がイリュージョンをすることにあまり興味を持っていないのです。

 更に、水芸を演じるか否かと言うことは、ただ単純に水芸の手順を覚えれば出来ると言うことではありません。自分自身が一座を持つ気があるかどうか、自分の活動の規模を大きくして生きて行く気があるかどうか、つまり自身の生き方を変えることを求められるのです。

 人を抱えて、事務所を構え、倉庫や稽古場を持って、それを維持して生きて行かなければ水芸は出来ません。言ってみれば、手妻と言う世界を自分自身が丸ごと背負って行くことが水芸の太夫の仕事なのです。

 身一つで蝶を飛ばしたり、傘を出したりするのとはわけが違います。無論大樹が一座を構えて生きて行こうとするなら、支援もしますし、ゆくゆくはそっくり装置も倉庫も譲ってもいいと考えています。

 然し、本当にその気持ちがあるのかどうか。その本心が定まらない限り、安易に水芸を譲ることは出来ません。

 NHKの希望では、番組のお終いに水芸を継承する風景を撮って、「後のことは君に任せたよ」。と、私が言って、彼を送り出してゆく姿を撮って幕にしたいと思っていたのでしょう。

 無論、私もそうあることがいいことだと思います。でも大樹の本気が分かりません。よくわからないまま、番組に付き合い。大樹に水芸を指導しているところを撮影しました。撮影中も稽古を付けながら、水芸をするために何をしなければいけないのか、水芸とは何なのかを話しつつ駄目出しをしました。

 ところが番組ではそのことが一切映っていません。稽古のお終いに、私が問題部分をいろいろ文句を言った後に「うーん、まぁ、今の時点では、これでいいだろう」。

 と言ったところ、番組では「これでいいだろう」。だけが映っていました。つまり、問題個所は消え去って、私が大樹に水芸のお墨付きを渡したことになってしまっています。

 テレビの番組ではこうしたことがしょっちゅうあります。長いインタビューをして、その中から、番組に都合の良いセリフを選んで組み直してしまいます。駄目でも、よいことになってしまいます。

 こんなことはテレビとお付き合いすると常に起こる問題です。いちいち腹を立てていては務まりません。せっかくの大樹の番組ですから、ここはご祝儀と思ってあきらめます。

 然し、水芸を継ぐ気があるかどうかはこの先、とても重大な問題です。私の年齢を考えたなら、この先10年以内に私の道具の一切を誰かに譲らなければいけません。勿論、単純にやりたいと言うだけの人はいくらでもいます。

 それは、私が道具を保管して、必要なときには道具を組んで、運んであげて、人の手配をして、衣装を用意してあげて、衣装の保管もしてあげて、その上で太夫の演技だけをするならやってもいいと言う人はいます。

 そこに責任などないのです。全ての責任を私に押しつけて、大夫役だけしたいのです。自らが全てを背負って、手妻のために人生を投げ打ってくれる人はいません。今まで何人もの弟子を育て、手妻師として活動して行けるように指導して来ましたが、水芸を引き受ける弟子は育ってはいません。

 無論、水芸は大きなショウですので、収入も大きなものになります。見返りは当然あるのです。それだけにハイリスク、ハイリターンな活動になります。その覚悟を持って生きて行く気があるなら指導します。

 

 番組を見ると、前半、大樹が五色の水を復活させると言うテーマで番組が進行しています。ところが、五色の水では現象が小さく、NHK側としては50分の番組をまとめる取りネタには物足らなかったのでしょう。そこでここは、水芸の継承が必要だとなったのでしょう。

 そのことはよくわかります。実際、映像で水芸の全景が出たときに、今までとは違った世界がパッと広がって見えました。絵柄としてはまさにテレビが求めているものです。確かに、あの中心に大樹が立って、大夫となって水を操る姿を撮影すれば番組が引き立つことはよくわかります。それだけに私も協力しようと言う気持ちで出演しました。

 番組としてはこれでよかったと思います。但し、ここから先、大樹が本気で手妻を背負って生きて行く覚悟があるかどうかなのです。私が水芸をこしらえ上げたのは31歳の時でした。然し、水芸は道具を持てば出来るというものではありません。

 人を抱え、会社を興し、倉庫を借り、道具も事務所も自宅も一緒にした小さなビルを建てました。それら全てを所有しなければ水芸は維持できなかったのです。それができたのが34歳の歳でした。

 私が34歳の時には誰も私を若いとは言ってくれませんでした。周囲の人たちは私の活動を当然と思っていたのでしょう。今、大樹は34歳です。年齢を言えば、不足のない歳です。この番組を機会に大樹が本腰を入れて手妻を考えれくれたなら、今回の番組は大樹の人生を大きく前進させることになるでしょう。そうあってほしいと思います。

続く