手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

富士のゲスト出演

富士のゲスト出演

 

 13日の日曜日に、富士市のマジッククローバーと言うアマチュアマジック団体の発表会がありました。私は毎月そこに指導に出かけています。そこのクラブで発表会を開催するためにゲストが欲しいと言うのですが、私を、招くほどには予算がありません。

 そこで、弟子の前田将太とザッキーさん、そして小林拓磨さんの三組がゲストとなって出演しました。

 私のいないところで、若手の3組がゲスト待遇で、のびのび公演するのですから、それはもう楽しかったでしょう。

 13日朝、6時くらいに前田が事務所に来て、ごそごそと荷物をまとめていました。今回は、洋服で羽根の手順と、テーブルクロス引きを演じ、更に手妻を演じます。その上、前田とザッキーさんで司会を前半と後半で分けてします。目いっぱい用事が重なって大忙しの公演です。然し、その分充実した一日になると思います。

 弟子修行も、稽古するばかりでは上手くなりません。一回でも多く人前で演技をしなければお客様との呼吸がつかめません。特に喋りは相手があってこそ喋ることが出来るわけで、一人で話していても話は膨らんで来ません。

 お客様がどう思うか、どう考えるかと言うことを常に想定して、話を組み立てなければ、話は一方通行になってしまいます。それは話ではなく主張にすぎません。話とは演者と観客との接点に答えがあります。

 もし、少しでもお客様の求めていることと自分の話がずれていると感じたときには、自然に話を変えて、接点を見出して行かなければいけません。芸能は生ものであり、必ずしも予定した通りには話は進みません。全く予定していなかったことで意外にも受けることもあるのです。

 たくさんの出演の機会があれば舞台はこなれて来ますから、それだけで上手くなります。然し、若いうちは舞台回数と言うものが限られています。まだ舞台人としての信用がありませんし、実際の技量がそこまでないのですから、なかなか外部から出演の依頼は来ません。簡単にはお客様に受け入れられる機会がないのです。

 それゆえに、知人の支援は助かります。温かく迎えられて、マジックを見てもらえて、感謝される。こんな機会でもあるなら幸いです。富士のクラブに感謝しなければいけません。

 

 彼らは私の車で早朝に東京を立って、富士まで行き、リハーサルをして本番をして、すぐにかたずけて、夜の9時に帰って来ました。運転だけでも往復6時間かかります。さぞやくたびれたことと思いますが、事務所の前に3人が立っていて、その顔を見ると晴れ晴れとしていました。

 「どうだったの、お客さんは、喜んでくれたの」。と尋ねると、ザッキーさんは「とてもいいお客さんでよかったです」。と言っていました。

 ザッキーさんは大阪のセッションの時と同じく、シルクの演技と12本リングを演じました。「大阪の時とどっちが良かった?」。と尋ねると、「大阪はマジック関係者が大勢いてマニアからの反応が良かったんですが、富士はまったく素人さんが多かったので、素直に喜んでもらえてよかったです」。

と、優等生の答えでした。

 「小林さんは、「お客さんの反応が暖かくて嬉しかったです」。小林さんは富士の出身で、今は東京で会社勤めをしています。里帰りを兼ねての出演でしたので、これも仲間や家族に見てもらえて楽しかったでしょう。

 前田は少々疲れていましたが、それでもいい仕事をしたという達成感が表情から感じられました。見ると三人とも饅頭だのなんだの土産物をたくさんもらっていました。

 前田は入門当初は、スライハンドにこだわり、四つ玉と羽根の手順を機会あるごとに演じていましたが、このところ、羽根や四つ玉ばかりではお客様とにつながりが出来ないことが少しずつ分かって来たようです。

 テーブルクロス引きなどは、初めのうちは私が何で、クロス引きなんかを自分に勧めるのか、半信半疑のような表情で稽古をしていたのですが、実際舞台に掛けるとその反応がものすごく、お客様との距離が一気に縮まって行くことを肌で感じたのでしょう。それ以来、もう自分自身の得意ネタの一つとなって、頻繁に演じるようになりました。

 プロとして生きて行くと言うことは、自分のしたいことをしていればそれで何とかなると言うものではなく、案外自分自身の成功は、自分が予想しないところにある場合が多いのです。

 前田の四つ玉も羽根もいいセンスの演技なのですが、問題は、自分の世界にはまり込んで、自分の満足のために演技をしてしまうことです。やればやるほど自己の世界に耽溺して行きます。どこかで自分自身に吹っ切れて、外の世界に自らを引っ張り出さなければいけません。

 ほとんどの学生出身のマジックマニアがプロに成って、全く仕事にありつけないのは、目の前の観客が見えず、自分を観客として演技をし続けているからです。自分のしたい演技を自分自身に見せている限り、その演技を見た自分は「イエス」と言って喝采します。常に自分の演技は正義です。

でもそれは観客の反応を聞いてはいないのです。

 

 一昨日には主宰の佐野玉枝さんからお礼の電話を頂き、「やっぱり先生、若い人が出演してくれたことがとっても良かったですよ。若い人が出ただけで何となくクラブ全体が新鮮な感じがして、とてもいい雰囲気になりました。お客さんもみんな喜んでくださって、クラブの格が上がりました」。と、絶賛されました。

 私とすれば何かおかしなことをしやしないかと、気が気ではありませんでしたが、無事に務まったならよかったと思います。さてこの成果から、それぞれが次の成功のために何を掴んで生きて行くのか、実はここからが難しいのです。

 以前ここにも書きました、中村 翫右衛門さんの句で、「木偶の味、謎知り染めてそれからが」、と言うのがまさにそれで、人から認められ、受けて、何とかなって、一端の芸人となって、「さてそれからが」、が芸の道なのです。でもこの晩は小難しいことは何も言いませんでした。多少なりとも成功の喜びを満たしてやらなければなりません。事故もなく無事に帰ってきたことだけでも幸いに思います。

続く