手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

流れをつかむ 3

流れをつかむ 3

 バブルがはじけると、日本人は急に自信を無くし、経済も低迷を続けます。このころを後に「失われた10年」と呼びました。でも決して無駄な10年ではありませんでした。

 バブルは狂乱の時代でした。例えば保険会社などは毎月日本中の支店に勤める社員を集めて大きなホテルで食事会をしていました。東京や大阪、京都のホテルに地域ごとに社員を呼んで表彰式などを行います。

 その際のアトラクションにイリュージョンや水芸が呼ばれるのです。それが、自動車会社であったり、建設会社であったり、あらゆる会社がパーティーをしていたのです。

 当時はどこの会社も儲かっていましたので、会社も税金を支払う金額が大きかったのです。そこで、社員のために頻繁に食事会やイベントを行い、福利厚生費と言う名目で経費を作れば、利益から必要経費を差し引けたのです。

 儲かった利益をそっくり税金で払うか、社員のために飲食で還元するかと言うなら、誰でも飲食を選ぶでしょう。それがあらゆる会社がパーティーを開くものですから、マジックショウも、歌謡ショウも、ミュージシャンのコンサートなども大忙しだったわけです。

 会社にすれば、どうせ税金で取られてしまう金ですから少しも経費を心配しません。むしろ主催者は「みんながびっくりするような大きなショウをやってほしい」。と言って、派手な上にも派手なショウを求めました。通常のイリュージョンプラス、水芸も一緒にやってほしい。などと言う企画が頻繁にあったのです。両方を同じパーティーで演じるとなると、出演料は100万円を超えます。

 ある地方のホテルのオープン記念パーティーの時は、イリュージョンと水芸のショウを一日2回演じてくれないかと言われました。ギャラは二倍出すと言われて、女房は喜んで引き受けてしまいました。

 ところが、招待客をやりくりしてゆくうちに、2回のショウでは入りきれないことがわかり、3回にしてくれと言う話になりました。それを女房は大喜びで引き受けたのですが、私はその話を後で知りました。当然無理な企画なので怒りました。女房は、「二回が三回になっただけなんだから大した問題じゃないでしょ」。と言いますが、大した問題なのです。ホテルの仮設舞台に、和と洋の大道具を乗せ換えるだけでも大仕事です。それを三回公演して、合計6回道具を差し替えるのは至難です。しかも、間の休憩が50分しかない状態で、90分のフルショウを3回演じるというのは実際不可能です。女房は喜んでも私のチームの体がもちません。

 それでも演じましたが、3回目のショウに出たときに、建物全体が大きく揺れているのがわかりました。「地震だ」。と思ったのですが、お客様はまったく騒いでいません。「なぜだろう」と思って、自分の膝を見ると、ひざが大きく痙攣(けいれん)していました。つまり地震ではなく、私があまりに疲れてしまい体が痙攣していたのでした。まったく立っているのがやっとで舞台をしました。ショウが終わった後は、全員楽屋でぐったり倒れてしまいました。そんな無謀な舞台が頻繁にあったのです。

 

 ところがバブルがはじけると、景気のいい話はパッタリなくなります。但し、まったく仕事が来ないわけではありません。小さなパーティーや、地方公共団体の催しは健在だったのです。長く舞台活動をしてきたおかげで、人とのご縁は随分残っていました。

 私が良く言う、人との縁は大切にしなければいけないというのはこのことです。私が後輩などによく言う言葉ですが、300人の顧客があればマジシャンは生きて行けるという話もこの時の経験からです。

 顧客の一人が3年に一回私に仕事をくれれば、仮に300人の顧客がいたなら、年間100本の仕事がいただけます。それが一本20万円の仕事であったなら、年間2000万円の収入が3年続くことになります。それならぜいたくをしなければ、チームを維持して家族を養うことができます。

 こうして考えてみたなら、「仕事がない、ショウの依頼が来ない」、とただ漠然と不安がっていたり、悩んでいても意味がないことがわかります。

 要するに、自分に300人の顧客があるかどうかと言う、現実の数字を見ないで、ただ仕事がないことを悩んでいるだけでは問題解決はしないのです。

 最も手堅い顧客の数をしっかり把握して、そのお客様がどんなショウを望んでいるのかを知ることが解決の道なのです。過去のスケジュール帳と、顧客の名刺を引っ張り出して、整理を付ければ必ず打つ手が見えるのです。

 

 平成6年に二度目の芸術祭賞が取れたときに、一回目の受賞の時のように、ものすごい数の仕事依頼が来るかと期待していたのですが、大したことはありませんでした。時代が変わったのです。更に、平成7年、8年と経って行くと、もう派手な大きな舞台の注文は少なくなりました。ギャラを落とさなければいけません。と言って私一人でカード奇術をするわけにもいきません。

 時代は古典芸能に評価が高まっています。私のチームには水芸があります。然し、水芸は金額が高すぎて、なかなか簡単には売れません。また、できない場所も多いのです。もう少し簡易に手妻の面白さを伝える方法はないかと考えました。そこで、これまでの手妻の作品をそっくり作り替えることにしました。

 蒸籠(せいろう)、夫婦引き出し、蝶、真田紐の焼き継ぎ、袖卵、と言った古くからある手妻を、もっと大胆に仕掛けを変えたり、演じ方を変えてみようと考えたのです。

 古い演技を見直してみると、手妻はやたら同じ動作の繰り返しをしたり、口上で演技を引き延ばしていたり、今となってはマジックとは思えないような安易なトリックでマジックをしていたりと、手妻自体に随分問題が山積していたのです。

 こうした手妻をいくら古典だから、きれいだからと言って演じていても、若い人が飛びついてくることはあり得ないのです。当時の若者が面白い、この世界はトレンドになる。と判断して、目を輝かせて飛びついて来るような世界を演じて見せなければ、手妻の生き残りはないのです。

 手妻の様式美や、形式の面白さを壊さずに、むしろ一層美的に昇華させて、マジックとしての不思議を加味して再構築する。それを一般の仕事先に売り込んで行く。言うは易く行うは難しです。これは相当に手妻に精通したものでないと答えを出すことはできません。演者の審美眼が問われる活動です。

 然しやるとしたならこの時をおいて他にはありません。何しろ、バブルがはじけたお陰で、時間は有り余るほどあります。しかも世の中の流れは古典を求めています。うまく改良ができたなら、テレビ局や、地方公共団体は面白がって買ってくれます。ここから私の孤独な研究が始まります。

続く