手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

どう残す。どう生かす 1

どう残す。どう生かす 1

 

 30代になってからの私は、それまでスライハンドやイリュージョンを演じていたものを、手妻中心に仕事を変えて行きました。それはバブルが弾けて大きな仕事が一本もかかってこなくなったからです。

 但し、手妻や水芸の仕事は来ました。それはほかに演じるマジシャンがいなかったため、ほぼ独占だったのです。年間20本程度でしたが、必ず水芸か手妻の仕事の依頼があったのです。

 つまり20本と言う数は、最も底堅い手妻の支持者と言うことになります。そうなら私はこれを基盤に自分の生活を考えてゆけば生きていけるわけです。しかしバブル期に年間120本以上イリュージョンで活動していたものが、いきなり20本で生きて行けるかと言えばそれは無理でした。

 しかも水芸は売値が高く、おいそれと仕事が決まるものではありません。日頃はほぼ開店休業の状況で、ポツンポツンと来る水芸だけを頼りに生きているのでは、あまりに消極的です。やがてはその20本も消えて行くでしょう。

 

 毎日時間は有り余るほどあります。これを生かさない手はありません。そこで、かねてからやってみたかった手妻のアレンジや創作を徹底的に行いました。

 手妻は不思議で、美しく、面白いものがたくさんあるのですが、それを演じて、仕事として行くとなると、問題は山ほどありました。長い歴史があると言えば響きはいいのですが、長い間に垢がこびりついてしまい、お客様にも、演じるマジシャンにも、興味がわかないようなカビの生えたような作品が多かったのです。

 そこで手妻の改良を始めました。ここからの5年間は、手妻を現代に甦らせるための仕事です。私自身はとても充実した日々でした。

 とは言え、毎日毎日アトリエに閉じこもって地味な道具つくりや、稽古ばかりをしていました。その上、収入が少ないところへもって来て、弟子の生活の面倒は見なければなりません。手妻の改良には随分費用も掛かりましたので、生きて行くには大変な日々でした。

 とは言え、バブルのころは、漠然と手妻の不自然さを知っていても、どうにかしなければいけないと思っているばかりだったものを、いよいよ真剣に直してゆく作業をしたわけですので。38歳から44歳くらいの人生は中身の濃いものでした。今考えるとこの時の生活の仕方が、今のコロナ禍の生活とよく似ています。

 私が何を改良し、創作して行ったをご紹介して行きましょう。

 

 夫婦引き出し

 この作品は、手妻の中ではきわめて個性的な「仕掛け物」の手妻で、このタネに類するものは海外にはありません。海外に持って行くと、とても面白がられます。然し問題がいくつかあります。

 まず手順が稚劣です。玉を引き出しの中にいれて、すぐに引き出しを出すと玉が消えています。これはとても不思議です。

 消えた玉は懐(ふところ)から出て来ます。これは、不思議でも何でもありません。懐は改めてはいないのですから、初めから玉を懐に入れていたのだとお客様は思うでしょう。事実その通りなのです。この動作が二回、全く同じに繰り返されます。

 その上で、今度は出てきた二つの玉を袖の中に入れます。すると、玉は引き出しに移り、引き出しから二つ出て来ます。袖から引き出しに玉が移ったという現象なのですが、出てくる玉は不思議ですが、袖は本当に消えたかどうか改めをしていませんので、マジックとしては成り立っていません。

 素材はいいのに手順が未熟です。こうしたマジックが今日、仕事として成り立つかどうかと考えると微妙だと思います。少なくとも若い人たちは興味を示さないでしょう。

 そこで、ハンドリングを大きく作り直しました。玉が出たり消えたり、色が変わったりする現象に作り直しました。その過程で、もう一つの大きな改良を加えました。

 それは夫婦引き出しの最大の問題点と言えるもので、夫婦引き出しは、上下二つの引き出しから出来ていますが、玉が出たり消えたりするのは、下の引き出しだけで、上の引き出しは全くマジックの役に立ってはいないのです。下で消えた玉が上に上がってくるなどのハンドリングがないのです。なぜないのかと言うなら、それは引き出しの仕掛けの都合なのです。

 二つ引き出しがありながら、上の引き出しは全く手妻としては使われてはいません。然し、からくりとしては、上に引き出しがあるからこそ、下の玉が出たり消えたりします。これはどうにももどかしい仕掛けです。ここを改良しなければ、引き出しは生き残れません。そこで、私は、消えた玉が上から出てくるように手順を作り直しました。二百数十年の引き出しの手妻の歴史で初めて、上の引き出しから玉を出したわけです。

 さらに、玉の段が終わると、後半の延べ紙の段に変わります。引き出しに水を入れて、水が延べ紙に変化します。この延べ紙から、さらに長い延べ紙を出し、そこから傘が出てお終いとなります。

 実は、前半の玉の段と、水と延べ紙の段はまったくつながりがありません。それは、夫婦引き出しと言う作品が完成した文化文政の時代からの矛盾だったのです。

 元々は、引き出しは、玉の出る、消えると言うからくり箱と、無双引き出しと言う別の取り出し物の仕掛けを無理無理一つの仕掛けに組み込んだものなのです。なぜそんなことをしたのかと考えると、恐らく、玉が出る消えるだけでは地味で、受けが弱かったからでしょう。

 そこで後半に水を使って、延べ紙が出る段を足して、更に傘出しに発展させれば派手な一芸として成り立つと言うことで、二つの現象を合わせて引き出しの演技を作ったのでしょう。

 然しこれだと玉と水の兼ね合いが何も説明されていません。そこでいろいろ考えて、出て来た玉を小さなグラスに入れて、筒をかぶせると、玉が消えて、水になる。と言う作品を考えて見ました。筒はぎりぎりグラスのサイズですから水の入る余地はありません。しかも水が出た後、筒の中を改めても、玉はありません。見るととても不思議な仕掛けです。この作品はゼロから発想しました。「玉水変化の筒」と名付けて、夫婦引き出しと一緒に手順を作ってみました。

 これにより、玉の段と水の段がつながり、夫婦引き出しに整合性が生まれたと考えています。手順も、よりマジック的に不思議を加味しましたので、引き出しが持っていた矛盾はありません。今でもこの手順を演じるセミプロや、私の一門は大勢います。

 

 然しこれを作りつつ、私は、からくりからからくりへの移動の物足りなさを感じていました。できれば正味手先の技だけで不思議が見せられる新しい引き出しが欲しい、と考えるようになりました。これがのちに、手提げが付いて、煙管を加えながら演じる、二つ引き出しに発展して行きます。その話は明日お話ししましょう。

続く