手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

御贔屓様との接し方 2

御贔屓様との接し方 2

 

 昨日(15日)に、長唄人間国宝、吉住慈恭さんが、熱烈なご贔屓から番町の家屋敷を一軒プレゼントされたと言う話をしました。番町と言うのは今も昔も屋敷街です。四谷の駅からビルの裏道を皇居に向かって歩いてゆくと。閑静で、大きな屋敷が並ぶ街並みが続きます。その一角の家をもらったのですから豪儀な話です。然し、これは珍しいことではありません。

 噺家三遊亭円歌師匠も番町に住んでおられますが、その家はファンがくれたものだと聞いています。

 

 なぜお客様が芸能人に対して、家をあげたいと思うほどの気持ちになるのでしょう。単なるファンではなく、演じている芸の何かがお客様の琴線に触れ、身内意識が生まれて、子供に財産を残すような気持と同じ気持ちを抱いて家をあげるのでしょうか。

 お客様が、自分の家族や子供と同じ気持ちに至るほど芸に感じ入る、と言う気持ちが本当に生まれるのでしょうか。

 貴族が芸術家のパトロンとなって生活の面倒を見る話は、かつての貴族社会の中でよくあった話です。ワグナーとルードヴィッヒ二世の関係は有名ですし、大なり小なり有名な音楽家や画家にはパトロンがついています。いや、今も、音楽家や絵画の世界などでは、パトロンが存在し、年額でまとまった支援を受けている芸術家は少なくないのです。

 

 さて、お客様が芸能、芸術作品に触れて、パトロン、ご贔屓様になってくれるのはどんな時なのでしょうか。芸術家が何をしたならお客様がそこまで入れ込んでくれるのでしょうか。

 1つは、人を超えた才能を持っている。

 2つ目は、通常の人が体験したことのない人生を体験している。

 3つ目は、独自の作品を持ち、深い世界へ誘ってくれる。

 4つ目は、愛される要素を持っている。

 5つ目は、人に見えないものが見える。

 このうち一つでも二つでも備えた芸能人ならばお客様は彼らの作った作品にのめり込むのではないかと思います。然し、多くの場合、公演のチケットを数枚買って見に来てくれるというファンはけっこういるとしても、家財産を提供してまでのめり込むと言うお客様は珍しいと思います。

 そこまで行くには、思いっきり強烈な磁力や、魔法がないと一ファンを熱烈なご贔屓にするまでには至らないでしょう。但し、私でも経験がありますが、多分に芸能は、うまく話の中にお客様を引き込むと、お客様はそこから先は自分で筋を膨らませ、自ら夢の世界に入り込んでしまうことがあります。

 

 私事で恐縮ですが、私が、蝶を演じる前に、蝶の芸を覚えたいきさつを話してゆくことを考え出し、実際蝶の芸の本質を話し始めると、かなりのお客様が、話の中で勝手に独り歩きを始め、そこから暗示にかかったかのように蝶の世界で夢想をするお客様があります。こんな時、私は、

 「私がもう少し気持ちを入れ込んで、憑依して蝶の世界を語って行ったら、お客様の心は、意のままに動かすことができるなぁ」。と思います。

 実際、私が蝶の演技の奥の話をすると、お客様はがぜん蝶を見る目が変わって行きました。私の手妻の熱烈なファンが増えてきたのです。私の手妻を、繰り返し繰り返し見に来るお客様がいます。自分が見てよかったために、子供を連れてくるお客様がいます。「こうした芸能を子供に見せておきたい」。と仰ってくれます。

 奥さんを連れてくるお客様がいます。「結婚記念日に夫婦で蝶を見に来ました」。などと仰ってくれます。二人は蝶から何を感じ取ったのでしょうか。

 仲間を何人もつれてくるお客様もいらっしゃいます。有難いことです。お客様の中で蝶の芸が勝手に独り歩きを始めています。そんなお客様に支えられて、口コミでファンが広がり、蝶の芸は続いています。

 多くのお客様は蝶をマジックとして捉えていません。どんな種仕掛けで蝶を飛ばしているのか、などと考えて見てはいないのです。蝶はマジックでも手妻でもなく、彼ら彼女らの夢の世界なのです。そうした中で私は、人をひっかけてやろうとか、驚かせてやろうなどとは考えていません。そんな必要はないのです。私は魔法の粉のかけ方を習得してしまっているのです。

 しかし同時に、そこへお客様を連れて行くことの危険さも理解できます。つまりここから先は、カリスマ占い師や、超能力者、宗教家、詐欺師などが身に着けている、ありもしないことをあると言い、見えていないことを自分だけは見えていると言う世界です。

 マジックと詐欺の大きな違いは、自分には普通には見えないものが見える。だから自分の言うことを聞きなさいと言って、善良な市民を巻き込んで、人を食い物にする行為があるかどうかです。最終的にか金品に話をつなげてしまう行為こそ詐欺行為です。

 然し、芸能人が求めていないのに、お客様の方から金品を持ってくると言うのは詐欺行為ではないでしょう。でも、多少怪しげではあります。

 ここまで来ると、芸能も詐欺も宗教も紙一重なのかもしれません。ただそうした中で、ありもしない世界にお客様を引き込んで、夢想の世界を見せる。そこでとどめるならばそれは罪ではありません。そこからお客様の金品を奪うのでなければ、許されるでしょう。マジシャンが芸能と詐欺の逆目をはっきり認識して、舞台の上だけで夢想の世界を見せているならそれは素晴らしいイリュージョンと言えるでしょう。

 

 夏目漱石は、噺家の三代目柳家小さんの話芸にはまり込み、当代一の名人とほめちぎって言います。小さんの落語の細部まで認めたうえで、「小さんと同じ部屋にいて、同じ空気を呼吸していると思うとそれだけで幸せだ」。と書いています。最大の賛辞と言えるでしょう。漱石が小さんに家をプレゼントしたのかどうかは分かりませんが、ここまで小さんの話芸を信奉していたなら、いざとなれば家一軒くらいは贈ったかも知れません。漱石が小さんを見る思いはまさに、小さんの魔法の粉がたっぷり漱石にかかっています。

 御贔屓様としてのお客様は有り難いことと感じていますが、それ以上の関係には至らないように注意しなければいけません。あまりにお客様が芸能に入れ込むとその先は危険です。芸能はあくまで舞台の上にとどめなければいけません。

続く

 

玉ひで公演

 17日の玉ひで公演は満席です。5月6月以降のお申し込みをお願いします。詳細は東京イリュージョンをご参照ください。