手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ミスターマジシャン待望論 5

絵コンテを描いてみよう。

 自分自身が何をしたいか、それを実現させるためにどんな世界を作り出したいのか。一昨日、昨日は そのことをお話ししました。さてここでいよいよ絵コンテを描いてみます。絵コンテは夢を現実に形にして行くための下書きになります。

 実はこの時が、私にとっては一番自分自身が創作に関わって、格闘する時で、アーティストとしての充実を実感する日々になります。

 

 一昨日、話の途中になっていた、自動車会社と工業デザイナーの関係ですが、自動車会社は何も工業デザイナーに依頼しなくても自動車は作れます。全ての自動車部品は自前で作り出せるのです。然し、彼らは、外部のデザイナーに自動車のデザインを求めます。なぜそんなことをするのでしょうか。

 それは自動車会社が作る部品はあくまで素材なのです。言ってみれば、マジックショップのネタの製作と同じです。ネタはいくらあっても、それは素材であって、芸能芸術にはなり得ません。何万点もある細かな部品を、どうやって未来の自動車にして行くかはコンセプトを作り上げて、全体をひとまとめにして行かなければできません。

 自動車を客観的なものの見方で眺めて、アートとしてまとめ上げて行くのが工業デザイナーの仕事です。工業製品にアートが必要か、とお考えでしょうか。「自動車は動けばいい」。なんて言っている人に限って、自分が自動車を買う時にはボンネットを開けることもしないで、外見だけで何百万もする車を買っています。結局人は外見で車を判断をしています。然しそれはあながち間違った判断ではありません。車の外見は、内部の部品のバランスの総合結果によってできているからです。

 そもそも車作りとは矛盾の塊なのです。室内を広くしたい。しかし、車のボディーは小さくしたい。それ矛盾です。確かにボディーの鋼板や骨格を薄くすれば多少は解決します。然し、そうすると事故から運転者の体が守れなくなります。もっと車を丈夫に作りたい、然し、燃費は良くしたい。またまた矛盾が発生します。

 自動車の製作過程の本を読んでいると、初めにベルトーネがラフに描いた自動車の絵が、実際にパーツの専門家とのせめぎあいで少しずつ修正が加えられてゆくのがわかります。時に複雑怪奇な車が出来上がったりします。それでも、名車と呼ばれるものは初めに描いた夢が必ず残されています。ここが車作りにコンセプトが守られているか否か、リーダーの力が発揮されているか否かの分かれ目なのでしょう。

 自動車とは妥協の産物なのです。芸術として許せるか否か、製品として満足できるかどうか、安全は、燃費は、走りは、居住性は、そのせめぎ合いが自動車を作るのです。いい車はボンネットを開けて見るとわかります。いい車は綺麗にパーツが収まっています。いいものは必然的に美しいのです。

 

 車の話が長くなりました。自動車会社と工業デザイナーの合作が車を作ります。我々マジシャンは、創作をする時に、その二つの矛盾した作業を一人でしなければなりません。ここはセンスが要求されます。私の演技で言うなら、結局、傘の7分間の演技も、蝶の7分間の演技も、すべて、細かなパーツに至るまで全て一から作る結果になりました。傘も、テーブルも、衣装も、シルクの帯も、ギヤマン蒸籠も、二つ引出しも、蝋燭台(ろうそくだい)や毛氈(もうせん)に至るまで、全部注文製作です。

 注文制作などと言うと、職人に口で言って、作らせているだけのように思うかも知れませんが、見本となる初作はすべて私がベニヤ板を切って製作します。色もデザインも私が塗ります。この世にないものを作るのですから、すべて私の夢を実現させるために、へたくそな道具作りをしてとにかく作ります。

 仮の道具が揃ったなら稽古です。そこで初めに戻って、絵コンテが稽古に活かされます。いろいろ作った道具ですが、使えるものもあれば駄目もあります。ギヤマン蒸籠と、二つ引出しはよくできた道具でした。どちらも過去にないいい作品になりました。

 然し、7分の演技に同時に二つの作品を収めると言うのが困難でした。蒸籠だけでも4分かかります。引出しも5分かかります。これだけで9分です。そこにオープニングの帯と真田紐が入ります。合計11分を超えてしまいます。何とか全体で7分以内に収めなければ、蝶と合わせて15分の手順になりません。

 ここから先は秒単位で時間を詰めて行きます。その時に役に立つのが、絵コンテです。同じ動作を避けて、30秒ごとに変化のある舞台を作らなければお客様は退屈します。1分経っても、2分経っても絵柄が変わらなかったらそれはだめな演技です。平坦な変化のない演技なのです。

 蒸籠のシルクの取り出しは、繰り返し動作が目立ちますので、相当に詰めなければならなくなります。引出しの玉の移動も詰める必要があります。稽古をしながら、動作を省き、なお且つ、いいハンドリングではあっても似たような現象は取り去って行きます。ここは涙の出るほど苦しい選択を迫られます。

 結果、蒸籠は1分30秒にまで縮まりました。引出しは3分30秒。蒸籠と、引き出しの二作が収まって7分で仕上がったのです。奇跡です。

 細かなギミックや、ホルダーも作り、色々試行錯誤があって、数年後に手順が完成します。さてそれから、指物師や蒔絵師に依頼して、本格的に道具の製作をします。

 全部できたならアトリエに並べてみます。すると、今までにない妖しげな光がさし込んできます。まるで江戸時代の世界から運んで来たように見えます。全くマジックの匂いがありません。二百年前の手妻遣いが使っていたかのような道具立てです。

 更に、邦楽の演奏家に作曲を依頼します。秒単位で内容にあった曲を作ってもらいます。それが出来たら録音です。

 全部できて、小道具を並べ、衣装を着て、音楽をかけて稽古をしてみます。これこれ、これです、私が夢に描いていた世界は、こういう世界の中で手妻を演じて見たかったのです。私の夢がようやく形になった瞬間です。

 

 私のこんな姿を弟子はいつも見ていますから、彼らが新作を作るときも同じような作業で創作をします。大樹の狐のお面の演技も、彼が弟子のさ中に制作したため、随分アドバイスをしました。明日は大樹の変面についてお話ししましょう。