手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

猿ヶ京合宿

猿ヶ京合宿

 

 22日23日の二日間、猿ヶ京の合宿を致しました。去年は、合宿を取りやめました。コロナの影響で、人も集まりません。残念です。ただ全く利用していなかったわけではなく、秋に一度、私と大成と藤間のお師匠さんとで、私のリサイタル公演の稽古をしました。舞台が広いため、踊りの稽古をするにはちょうど良く、峰の桜の練習にとても役に立ちました。

 さてあれから一年半、コロナも収まり、例年の活動開始です。

 22日、朝8時半に高円寺に集合。集まって来たのは、日向大祐さん、慶応OBの松野正和さん。3人で私の車で出かけました。同時刻に、和田奈月が、湘南の自宅から、車でやって来て、猿ヶ京で合流することになっています。高橋朗磨、入谷君、お父さんお母さんは群馬の自宅からやって来ます。都合8人の合宿です。

 例年10人くらい参加者が集まるのですが、今年は少し少ないのですが、実は、私とすれば、10人前の食事を用意しなければならないのは体の負担が大きく、弟子の大成がいて、穂積みゆきさんが手伝ってくれたからこそできたことで、今回は孤立無援の状況ですので、この人数はむしろ有難く思っていました。

 鍋を作ったり、アユを焼いたり、チキンソテーを作ったりと言うのは、下ごしらえが大変で、調理に数時間を要します。教える片手間にそれをするのは大変な仕事です。

 そこで、今回はマトンを焼いて、ジンギスカンをやりました。マトンの他には、はんぺん、さつま揚げ、厚揚げ、アスパラガス、長ネギ、焼売を焼いて、晩飯にしました。これだと下ごしらえはほとんどなく、みんなでプレートの上で焼くだけですから、負担は楽です。

 

 話は前後しますが、22日は相当に交通渋滞するものと予想して時間にゆとりを持って出ましたが、全く渋滞することなく9時半には上里インターチェンジまで来てしまいました。然し、9時半ではまだ朝食には早すぎます。そこで、赤城高原まで行って、そこで昼食をとりました。のんびり食事をして、12時前には猿ヶ京に到着、そして拭き掃除、幸い、建物の管理をしている中華屋の親父さんがあらかた掃除をしていてくれていたため、汚れもさほどではなく、すぐに稽古を始めました。

 

 日向さんは、これまで何度か練習していた連理の曲を浚いました。松野さんは、扇子のプロダクションを手順として仕上げる練習です。もうかなり手順はまとまって来ています。やりたい方向も見えていますので、私が何かを言うよりも、より手順をしっかり作り上げることの方が先決でしょう。余り私の意見は入れないように、演技を見ていました。

 しばらくして和田奈月が到着します。奈月は、若狭通いの水を江戸時代の種仕掛けで指導しました。このやり方はシンプルで、実際の仕事に活用できて、手順のどこにも嵌めることができて、いい手妻です。コップ吊りや、不落の水(古くは雲母板のもの)、と組み合わせて大きな手順を作ることも可能です。

 そうするうちに、朗磨、入谷兄弟が到着しました。朗磨は中華蒸籠を指導しました。以前20個、指導のために制作した私のデザインの中華蒸籠が、全て売れてしまい、在庫も残っていないため、私が演じることができなくなっていましたが、生徒さんの揖斐さんが高齢のため重い蒸籠を持つことができなくなって、私に寄付してくれました。感謝です。

 この道具を使って、朗磨に中華蒸籠の指導をしました。この道具は勿論中国のアイディアですが、室町から江戸時代の初期には、緒小桶(おごけ)の曲と言う手妻がありました。3本の筒を使ったプロダクションマジックです。これは中国にも欧米にも断片的に残されてはいますが、今は殆ど演じられていません。

 実はこの3本筒が、緒小桶のであり、緒小桶がその後発展して中華蒸籠に変化していったものなのです。そのため、中華蒸籠の手順を演じて見ると、朧気に緒小桶の手順が浮き出て来ます。

 私は、中華蒸籠の手順は、高木重朗先生から習いました。高木先生は、陳徳山(晩年日本に住んでいた戦前の中国奇術師)、から習っています。袱紗を二枚使うところが古い手順で、二枚使うことで、両方の筒を隠すことができて合理的です。

 陳徳山のハンドリングは二つの筒を改める時は、片方をテーブルに置きっぱなしにしません。常に二つ持ちあげ、両方とも中が空であることを強調します。そうした点は、巷で思われているような、交換改めのマジックとは違います。

 但し、私は高木先生から習ってはいながらも、中華蒸籠のすばらしさに気付くことがありませんでした。少なくとも20代までは、中華蒸籠の作品の素晴らしさがどこのあるのか理解していなかったのです。

 中華蒸籠と言うのは、果物や中華饅頭がたくさん出てくる、物を出す道具だと言う印象が強いのですが、実は、それこそが見せかけの手順なのです。初めにたくさんの品物を出して、筒の中から一杯品物を出すことで、もう筒の中には何一つ入っていないだろうと思わせるのが狙いです。

 ここで、テーブルの下を改めるためにテーブルクロスを取り去ります。このクロスを丸めて、筒の中にしまい込みます。これがエンディングの伏線になります。され、これ以上のものは無絶対に出てこないと思わせて、大きな壺が出て来ます。しかもこのツボには、水がなみなみ入っています。ここが蒸籠の一番の不思議です。

 ひとしきり壺を見せて、さて筒に収めようとすると、今度は壺が筒に収まりません。筒より壺の方が大きいのです。ここが二つ目の不思議です。やがてうまく壺は消え、お終いと見せると、更に筒からテーブルクロスが現れ、めでたくフィナーレとなります。

普通に演じて15分からかかる手順で、大きな作品です。但し演じる人がうまくないと何も不思議に見えません。私の流派では、赤や金色の筒をやめて、木目の儘の筒で演じています。勿論着物姿です。とても受けのいい手妻に仕上がっています。

 入谷君は、ロープ手順。これはマジックマイスターに出す演技です。

 

 これらの指導をして、6時から、全員で温泉に行き、戻って来て、焼き肉パーティーです。夜はかなり寒くて、部屋の中でもセーターを着ていないと冷えます。そんなところで遅くまでマジックの話をして、その晩は広間に布団を敷いて、就寝。

 

 翌朝は朝食を作りみんなで食べて、9時から練習です。12時半まで練習、その後町営温泉のレストランで昼食を食べて、それから、利根川の源流を散歩しました。そして稽古場に戻って少し稽古。3時半に全てを終了して、東京に戻りました。帰りは少し渋滞しましたが、晩の8時前に高円寺に到着。マジック漬けの二日間は終わりました。

 2日間の稽古と言うのは時間がたっぷりと取れて、長い手順を習うには都合のいい稽古になります。今度は夏にやろうと考えています。ご興味ある方はどうぞご参加ください。

続く