手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

虎ノ門砂場

虎ノ門砂場

 

 半年に一度の検診で、昨日(24日)、12時45分に虎ノ門の慈恵医大に行きました。特別に体の不具合はないのですが、一年前に大腸のポリープを取ったため、その経過を見るために出かけました。そしてCTスキャンをして、体内を調べました。結果は半月後に出るでしょう。

 何にしても、半年に一度検査をすることは良いことです。さて、検査を終えて、1時30分。食事をしようと考えていましたが、地下鉄の虎ノ門に行く途中に砂場があります。砂場とは店の名前で、日本蕎麦屋のことです。この店は昔から有名で、多くのご贔屓さんがいます。つい最近まで店が道路拡張のため、長く店を閉めていました。

 店は100年前のまま木造建築で、そっくりそのまま曳家移転(ひきやいてん)をしました。曳家移転というのは、建物を解体することなく、床下にレールを敷いて、建物全体をレールに乗せ、ゆっくり動かすもので、これはとても費用の掛かる作業です。

 店をそのまま残したいと言う店主の気持ちがよくわかります。実際砂場の建物を見ると、もう二度と建てることのできない立派な木造建築です。なるほどこれなら残したいと思います。全体を4m奥に移動して、まるで昔からここに建っていたかのごとく収まっています。いい形です。

 中に入ると作りは以前とほとんど変わっていません。小ぢんまりとした蕎麦屋です。何年も食べていなかったので、新規オープンを祝し、少し贅沢をしようと考え、車海老の天蒸籠(天ぷらと、小さな蒸籠の上に乗った盛り蕎麦)を頼みました。天ぷらは、小海老のかき揚げ天や、野菜天、穴子天などいろいろありましたが、やはりここはせっかく来たのですから、車海老を頼みました。結果これは大正解でした。

 しばらくして出て来た蒸籠は、大きな車海老が皿に乗っていて、見るからに贅沢です。そして車海老は、ほぼ素揚げに近い茄子の半身を枕にして収まっています。この少し起き上がって飾ってあるのが、お城のしゃちほこのようで押し出しが立派です。他に周囲に薩摩芋、紫蘇が天ぷらになっています。肝心の蕎麦は細長い蒸籠に収まっていて、結構ボリュームがあります。高級蕎麦屋は、蕎麦の量が少なくて、寂しい思いをすることがありますが、ここはそんなことはありません。汁は昔と変わらずに濃いめで辛め、ワサビとねぎを混ぜて、早速、そばを少し摘まんで汁に付けます。蕎麦は腰がしっかりしていて、硬めにゆで上がっています。

 そば通は、蕎麦は噛まずに呑み込むものだ、という人がありますが、私はそうは思いません。噛まずに呑んでは蕎麦の香りが立ちません。一口噛んで、蕎麦の青い新鮮な香りが口中に広がったところを、辛めの蕎麦つゆと口中で合わせたところにうまさが締まって、粋な味わいがあります。この巧さはうどんでは味わえません。

 一口すすってのどを過ぎたときに、「あぁ、砂場に来てよかった」。と思いました。そして、目玉の車海老を少しかじりました。この車海老の大きさが特筆すべきものです。これほど身の太い、立派な天蒸籠を今まで食べたことがありません。一口海老をかじると、ぷりぷりの身が艶々に光って見えます。これを一口噛んで、口中に残して、蕎麦をすすると、魚介の味わいと青々した蕎麦の香りが絡まって、また別格の味です。店に入る前は、昼にざるそば一枚では寂しいかな。と思いましたが、どうしてどうして、これに勝る食事はそうそうはないと思います。

 天ぷらをすべて平らげて、蒸籠を食べて、お終いに蕎麦湯を頂いて、ふっと一息つくと、腹の中から、蕎麦の香りが上がって来ます。いい気持ちです。本当は酒を一合呑みたいところです。でもこれで十分満足です。値段は2000円。

 世間の相場からすると高価な蕎麦ですが、これを高いと言う前に、虎ノ門の天蒸籠を食べて見て下さい。納得すること請け合いです。食後、地下鉄で浅草方面に行き、合羽橋で漆塗りの器を買い、ほかにいろいろ買い物をして5時に帰宅。

 女房は相変わらず入院のため、夜は、娘のすみれと高円寺の焼き肉屋で食事をすることにしました。夜7時、娘が会社から帰るのを待ち合わせて、駅前の焼き肉屋へ、娘と二人で外食をすることも久々です。カルビやロース、タン塩を食べて、ハイボールを飲みました。昼が虎ノ門の蒸籠で、夜が焼肉と言うのは贅沢です。でも、こんな時間があることは幸せです。

 娘と気兼ねせずに酒が飲めるなんて、娘の子供の頃は考えもしませんでした。娘が手妻をやめてしまい、その後結婚をし、その後、離婚をして家に戻って来て、今は勤めをしています。全く私が予想していなかった人生を繰り返しています。

 然し、その都度当人は後悔もせず、幸せだったらしく、それなら今のままでもいいかと思います。大体人生なんて全く予想通りには進みません。うまく行かないことの連続です。

 娘と何を話すわけでもないのですが、こうして顔を合わせて一緒に食事をすることは楽しいことです。娘も私を嫌がらず、よく言うことをきいてくれます。親子の何でもない食事ですが、「あぁ。これが幸せなのか」、と実感します。

 明日には女房が退院します。どうも夫婦で病院の世話になっていますが、そう言う年齢なのでしょう。別段お互いに、差し迫って体が悪いわけではないので、これはこれでいいのでしょう。

 

さて、このところは一日も休みがありません。恐らく月末までは休みが取れません。毎日指導をし、マジックのアイディアを考え、道具製作者と打ち合わせをし、翌週には舞台出演もあります。何のかんのと忙しく動いています。ショウの依頼も軌道に乗って来ました。いい傾向です。こうして人に求められて生きていることは幸せです。

続く