手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ミスターマジシャン待望論 6

絵コンテを作ってみる 3 「七変化」

 大樹が考えた「変面」はSNSでは再生回数が1000万回を超え、国内、海外でも大変な話題となりました。これがどう作られて行ったのかをお話ししましょう。

 大樹は、学生の頃に既に変面を演じていました。それはいわゆる中国の芝居の影響をうけた物で、このころ、仕掛けを売り出しているマジックショップがあり、それを買って応用したものでした。

 大樹はこれを大幅に改案して、自身の得意芸にして行きたいと言っていました。着眼点は良いかと思います。然し、私はいくつかの問題を感じました。そこで私はコンセプトを立ち上げ、提案しました。

 

1、和で演じる

 私が見せてもらった学生時代の大樹の演技は、ベトナムの衣装のようなものを着て、変面を演じています。これを得意芸にして生きて行くには、和服に直さなければ、売れません。面も、日本的な面に直して、面が変わるたびに、所作や、舞踊で、日本の市井風俗を表現しなければ、芸能になりません。大樹は学生時代から日本舞踊をしていましたから、それを生かさない手はありません。まずそこを改良して、和に直して、芸能としての演技を作らなければいけません。

 

2、不思議さを押さず、役を演じ分ける

 1でも述べましたが、面が変わることの不思議さを強調するのではなく、変わった瞬間から別の人格を演じるから芸能になるのです。舞踊の衣装変わりは、例えば「道成寺」のように、衣装が変わった瞬間に、それまで年増(としま=既婚の女性)を演じていたものが、十代の娘に変わって、幼い娘を演じ分けるから芸になるのです。

 或いは、舞踊の「三つ面子守り」のように、持っている面で、色々な年代の男女を即座に仕分けて見せるから芸能芸術たりうるのです。

 マジックの変面が物足りないのは、役を演じ切らないからです。ただ、顔が変わる変化を不思議さだけで引っ張ろうとするから、何回か変るとお客様に飽きられてしまうのです。不思議を押し売りせずに、演じ分けることの面白さに主眼を置かなければ長く伝えて行く芸にはなりません。

 

3、なぜ変面をするのか

 変面は、なぜ変わるかと言う理由がないのです。理由もなく面が変わります。いわば不思議の押し売りを繰り返しているのです。確かに初めは面白いのですが、お客様にすれば、理由のないものを長々と見せられていると、やがて飽きて来ます。そこで、なぜ変面なのかと言う、コンセプトを作り上げなければいけません。

 私は、狐を主役に仕立てて、狐が街道をゆく旅人を驚かせて、旅人の弁当などをくすねて、穴倉で待っている子狐に持って行くと言うストーリーを考えました。何度も変わる変面は、狐のたわいもないいたずらなのだと言うことを始めにテーマにします。そして、時々出て来る自身の素顔も、実は、狐の化けた姿なのだと言う設定にするのです。あくまでこの物語は狐の話なのです。 そのため、話の初めと終わりは狐でなければいけません。このことは次の考え方につながって行きます。

 

4、ビッグフィニッシュを作らない

 演技のお終いに大きなものを持って終わらないようにしなければいけません。大きなものや、たくさんの物を出すことはマジックとしては常套手段でも、芸能としての品位は低くなります。物で終わるのではなく、大きな感動を与えることが必要なのです。たくさんの物を手に持って終わるのではなく、たくさんの感動をお客様に与えなければいけません。感動を物で済ませてしまうからマジックは意識の低い芸能に見えるのです。

 世の中の名人と呼ばれたマジシャンはそのことがわかっています。フレッドカプスは、握った手から塩がこぼれて行って終わるだけです。チャニングポロックは一羽の鳩を空中に投げてハンカチに変えて終わりです。いい芸能は、何を出したかではなく、終わった後に余韻を残します。

 大樹の変面も、いくつもの面を手に持って終わるのではなく、お終いは狐に戻って、旅人からせしめた弁当を急ぎ子狐に持って行こうとする母心に変わり、小走りに走り去るようにしたらどうかと話しました。去った後には、お寺の鐘の音が、ゴーンと聞こえます。それを聞いたお客様は、「ああもう夕暮れなんだなぁ。きっと母狐は腹を空かせた子狐のために帰って行くのだろう」。とお客様に思わせたなら成功です。つまり取りネタは、お寺の鐘のゴーンです。こんなフィニッシュはマジックにありません。

 これがすなわち手妻の発想なのです。物を出して終わるのではなく、例えば傘を出して、侍が一人立っている姿を演じて終わります。傘を出す不思議が結末ではなく、侍が一人立つ、孤高の姿こそがフィニッシュなのです。ここの味わいがわかると、人は手妻から離れられなくなります。

 

5、私は大樹に一つだけ、ネタに関わる提案をしました。それは、中国の変面は平たい面が多いのですが、できれば立体的な面を出せないかと言う点です。

 これは言うのは簡単ですが、実現は難しいことです。然し、大樹は工夫して狐の面や、髭が付いた面、角の付いた鬼の面を出しています。変面を得意芸としたいなら、変面の弱点をしっかり理解して、そこを克服しておかなければ、この一芸で長く生きて行くことはできないと思います。

 

 私が大樹に伝えたことは、マジックの種ではありません。イフェクトや、ギミックは全て大樹が考えたのです。実際製作を始めると、売っている変面のキットを買ってくるだけでは解決しません。衣装を和服に変えたことで、従来の変面の仕掛けは全く使えなくなりました。全く新しいギミックを考え出さなければならなかったのです。細かなトリックもすべて大樹が考案したものです。

 ここまでお話すればもうお判りと思いますが、私は、大樹にマジックを教えてはいません。コンセプトを伝えました。そして、全体の漠然としたラフな絵コンテを描いて見せただけなのです。これは自動車会社と、ジウジアーロなどの工業デザイナーとの仕事の仕方と同じです。

 私のしたことは、ジウジアーロの絵コンテです。演技の全体デザインを伝えることで芸能としてのアドバイスをしたのです。それが大樹の演技を骨太なものにしました。結果、この作業は大きな成功をもたらしました。手妻に新しい作品が生まれたのです。

 

 この演技が出来てから、私は、私が引き受けている文化庁の学校公演で、大樹の変面を一演目として取り上げました。学校公演は、8人の邦楽演奏家による生演奏です。作曲も杵家七三(きねいえなみ)師匠に依頼しました。連日子供たちの前で、生演奏で大樹の変面を見せたのです。拍手大喝采です。

 然し、演じる側はまだまだ慢心できません。毎回、部分的な演技の長短を秒単位で手直しして、少しずつ演技を仕上げて行きました。そして音楽を録音をし、曲は完成しました。こうしてどこに出しても恥ずかしくない「七変化」が完成したのです。

 但し、このあと、大樹と私の考えが分かれます。それはまた明日お話ししましょう。

続く