手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ミスターマジシャン待望論 7

 さて、大樹は、「七変化」の手順ができると、それをFISMのコンテストに出したいと言い出しました。大樹のこれまでの行動を思えばそれも理解できます。然し、私は正直な気持ちで言うなら、コンテストに出ることは無意味であると思いました。

 ここまでの手順を作り上げたのなら、もうコンテストの評価を求めるレベルではないと考えていたからです。多くの若いマジシャンにとっては、FISMに出て、そこでチャンピオンになることがマジシャンとしてトップになる道だと考えています。しかしそうでしょうか。

 私の経験で言うなら、これまで三度FISMのゲストに出演しました。(横浜大会、リスボン大会、北京大会)そこで、リスボンでは蝶を演じました。北京では水芸を演じました。日本のマジシャンで三度FISMのゲストに招かれたのは私だけです。然し、私自身は少しも満足のゆく演技はできませんでした。恐らく私の演技を見た多くのFISMの参加者も、私を高く評価をしてはいなかったように思います。

 無論、終演後は多くの海外の愛好家がが寄って来てくれて喜んではくれました。そもそも私の演技は世界的にも珍しいものですから、面白がってはくれます。然し、それは私の意図する評価ではありません。世界大会であるなら、着物を着たマジシャンと、中国服を着たマジシャンと、頭にターバンを巻いたマジシャンがいれば、見た目に世界大会に見えるから呼ばれたような気がします。どうも、マジック大会の中の色物のような扱いです。私自身、毎回、演じた後に違和感を感じました。一言で言うなら私が求めている世界とは違うのです。

 FISMの観客も、FISMの審査員も、役員も、彼らが求めているものは、簡単に言えば、指の間に物を挟んで、その物が増えるマジックが好きなのです。それが次々、現象がかぶさって、どんどん不思議が生まれてくるようなものに熱狂し、そこに理由なんて求めないのです。因果関係の全くない、ただただ不思議な現象が続いて行く演技が好きなのです。それは私から見たなら、芸能芸術とは程遠く、ただただ順番にびっくり箱の蓋を開けていくような、こけおどしにしか見えないのです。

 もし、そうした演技を私が納得できるものなら、私もこの世界に残って、彼らを追いかけて、少しでも彼らに近づこうと努力をします。然し、どう見ても彼らのしていることは一般の芸能の世界では食べて行ける代物ではないように見えます。「あんなことをしていたら、仕事にならないだろうなぁ」。と思うような演技ばかりなのです。

 それはFISMに限らず、IBMでもSAMでも、コンベンションの中で催されるコンテストは、見るたび疑問を感じます。中には優れたマジシャンもいますが、どうしてもコンテストで評価されると、コンベンション的なものの考え方が育って、一般の舞台仕事と違和感を感じるような演技が出来てしまいがちです。

 

 私が育てたいと思うマジシャンは、狭い世界のヒーローではなくて、どんな舞台に出しても喜ばれるようなマジシャンなのです。他のジャンルの芸能人に混ざって光り輝いているようなマジシャンを育てたいのです。

 そうした芸能人にするにはどうしたらいいか、そう考えて新しい手順のコンセプトを立ち上げたわけです。然し出来上がった作品でFISMに出て、評価を求めると言うのは私から見たなら逆走しているとしか思えないのです。

 FISMの審査には10年ほど前から芸術点と言う点数が加味されました。然し、審査員の中で芸術を理解している人がどれだけいるのでしょうか。何を芸術と心得ているのでしょう、そして、どんな点数をコンテスタントに下すのでしょうか。審査基準にも、何が芸術なのかと言う基準が示されていません。曖昧なままに審査がなされています。

 私は大樹に、もっと大きな世界に出て、自身の演技を訴えたほうがいいと言いました。少なくともコンベンションでの評価よりも、マスコミや劇場などで、一般の観客を対象とした評価のほうが大切だと思います。実際、私自身そうした場所で評価を得て、今日まで活動してきたわけです。

 

 然し、大樹はコンテストに出て見たかったのでしょう。結果は、アジア代表には選ばれました。然し、本選での入賞はありませんでした。

 FISMの審査員には、親狐が子を思う情も、お寺の鐘のゴンも響かなかったのです。この時のアジア予選は香港で開催され、私も参加しました。然し向こうに行ってみると、大方の流れは韓国にあって、ユ・ホジン、やルーカスの人気がコンテスト前から高く、実際のコンテストの演技も素晴らしいものでした。

 かつて、日本のSAMのコンベンションにやってきていた韓国人を思えば、彼らのレベルは数段成長していました。個々のマジシャンの実力も上がっていました。

 然し、それはコンテストの中で見た評価に過ぎません。彼らがしている演技でマジシャンとして生きて行けるかどうかと考えると、疑問だらけの演技です。

 

 かつて、彼らは日本に来た時に、みんなマーカテンドーに会いたがりました。マーカテンドーはスライハンドで海外で評価を受け、FISMで入賞し、マニュピレーションを目指す若者のスターでした。然しその彼がスライハンドでは生活が出来ず、常にそれほど売れるとも思えないようなグッズをブースに並べて、道具販売をしていました。

 彼を追いかける世界中の若者が、彼を尊敬するのは素晴らしいことですが、なぜ、彼の姿を見て、食べて行けるスライハンド演技を模索しないのか、私には常に疑問でした。そして、マーカテンドーの生き方はそっくり韓国のマジック界に継承されました、韓国の若手は必死になってスライハンドを稽古して、FISMを目指しました。そして彼らはチャンピオンを獲得しました。素晴らしいことです。

 然し、いかにしてスライハンドで生きて行くかについての答えを出してはいません。マーカテンドーの苦悩をそっくり受け継いでしまっています。いや、マーカテンドーより始末の悪い結果です。彼らは、糸ネタを使い、黒ネタを使い、角度の浅い手順を平気で作りました。そして入賞しました。然し、その手順をどこの仕事場で見せるのでしょう。一度こっきりのコンテストなら、どんな手段を使っても何とかなるかもしれません。然しその先どうやって生きて行きますか。

 結局、苦労して作った種を売り、ビデオを売って生活するしかないのですか。それではマーカテンドーと同じです。マーカテンドーに憧れて、生活まで真似てそれで満足ですか。彼らは次の時代のスライハンドマジシャンの生き方を示していないのです。

 そんな相手と大樹は戦わなければならなかったのです。然し、大樹は、FISM本選に出てわかったようです。私が、「もうこの先はプロとして生きて行きなさい。特定のアマチュアを相手にするのではなく、マジックを自分自身の仕事とするには、どんな場所でも、どんなお客様にも喜んでもらわなければ生きては行けない。自ら条件を付けずに、みんなが喜ぶ演技をしなければだめだ」。大樹は私の言うことがわかったようです。

続く