手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

リング 金輪(かなわ)4

 前項で、欧米に伝わった中国のリングの手順がどんなものだったかはよくわかっていない、と申し上げましたが、もし、日本に残っている金輪の曲の手順が、中国の手順に近いものだったとしたなら、金輪の曲から、当時の7本リングは推測できます。

 但し、7本の手順にダブルのリング(初めからつながって溶接されているリング)が入っていたのかどうかがまだはっきりしません。仮にダブルが入っていたなら、そこから先の欧米の手順の発展は大きく変わります。前の項で、私はダブルは江戸の初期にはあったのではないかと申し上げました。

 その理由は、「放下筌」に描かれている挿絵は、どうしてもダブルリングがなければあの形は達成できないからです。これを、「素人絵師が描いたものだから、間違いや誇張があったのではないか」。と言う人があったとしても、そのあと、本文の解説では一層不可解な解説の挿絵が出て来ますので、ダブルの否定はできないと思います。

 そもそも、江戸時代の金輪は、キーリングを2本使います。世界に残っているリングの手順の中で、キーを2本使うのは日本だけです。私は、この2本のキーの扱いこそ、その後のダブル、トリプルにつながってゆく過程の手順なのではないかと思います。

 しかしもしそうだとすると、今日、青森に残っている、金輪の曲(つまり、私の手順の原型となった7本金輪)、にはダブルリングがありません。使用された形跡がないのです。それゆえ、私も、ダブルリングの使用は推測にすぎないのです。むしろ、放下筌の解説のほうが、今に残された金輪の曲よりも技が先行しているように思えます。

 

 私は、リングの発展過程で、いきなりダブルリングが出現したとは考えられません。初めに、2本乃至、3本の連結したリングを使う手順ができていて、それからダブル、トリプルが作られて行ったと考えることのほうが自然だろうと思います。

 リングの歴史の中で、シングルリングの数を徐々に増やして行くことは比較的に簡単に出来ても、ダブルやトリプルリングを無から作ることはかなりの決断です。当時の鍛冶屋さんに鉄の輪を注文するにしても、江戸時代なら一本2万円ではできなかったでしょう。そんな状況であるなら、初めに手順が思いつかない限り、誰もダブルや、トリプルを鍛冶屋さんに依頼しようとは考えなかったでしょう。

 ダブル、トリプルのリングがない状態で、ダブル、トリプルを使った手順が思いつくには、複数のキーリングを使いつつ、ダブルやトリプルリングを仮に拵えて、試行錯誤しつつ、ダブルやトリプルの手順を作って行ったはずです。そうでない限り、いきなり鍛冶屋さんに特殊なリングは注文しないはずです。複数のキーリングと、シングルリングを徐々に増やして行く過程で、作られていったものだと思います。

 そうであるなら、江戸時代の金輪の曲は、ダブルリングや、トリプルリングを取り入れる前段階の手順ではないかと考えます。キーリングを2本使っているうちに、ダブルやトリプルリングが生まれて行くことは、自然の成り行きだったのだろうと思います。

 いずれにしましても、欧米では、ダブル、あるいはトリプルリングを19世紀の中ごろには取り入れていたようです。前述の、レベントケンシントリーさんは、リングのDVD   の中で、ロベルトウーダンの8本リング手順が、トリプル、ダブル、キー、シングル2本と解説しています。そしてその手順と言うものを演じていますが、本当に彼が演じた手順がそうなのかどうか、少し疑問を感じます。

 私は、8本のリングの中に、ダブルとトリプルを取り入れてしまうと、シングルリングが2本しか残らず、これではシングルが少なすぎて、そこからできる手順が限定されないかと思います。ダブルとトリプルを取り入れるなら、そこはマックスマリニーのように、最低でも9本のリング手順にしないと、すり替えもままならず、手順もまとめにくいのではないかと思います。

 話を戻して、ダブルリングが考案されたことにより、リングの改めをする上で、劇的な効果を生んだはずです。何しろ、つながったリングをお客様に渡すことが出来たのですから。勿論ばらのリングも渡し、つながったリングも渡し、そして目の前で外して見せることが出来たのですから、受け渡しは完璧になったわけです。

 そしてそれができた上で、リングは更なる発展をし、全部のリングを先にお客様に渡して調べてもらう、9本、12本の手順が出て来ます。

 完ぺきな改め、そして造形作り、この二つの要素を満たす手順として、9本12本のリング手順は、リングの頂点を形作ることになります。

 

 リングが大道芸人の間で貴重な芸としてもてはやされた理由は、その音です。遠く離れたところからでもリングの音は聞こえます。がちゃがちゃと賑やかな音がすると、まだ自動車のなかった時代の街角では十分に派手な音に聞こえ、人が集まったのだろうと思います。今でもリングはストリートパフォーマーの皆さんがよく使っています。

 江戸時代でも、金輪の曲は、大道の芸として使われてきました。むしろ江戸時代に、金輪を舞台で演じた記録がありません。南京玉すだれなどと同様に、大道で見せる芸として発展してきたようです。これがどうして舞台芸として認められなかったかは謎ですが、明治になって西洋奇術が普及するまで、金輪(リング)は舞台で演じられることはなかったようです。(続く)