手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

リング 金輪(かなわ)3

 リングの演技が普及するようになれば、当然のごとく、目の前のお客様を相手にしなければならず。自分だけがリングを持ってつなげたり外したりするだけではお客様は納得しません。そこで、お客様に改めをしてもらう意味で、リングの受け渡しをするようになります。当然そこにはスイッチ(すり替え)の技法が生まれます。そしてスイッチを円滑にするために、リングの本数は増えて行きます。

 恐らく19世紀中ごろには、ヨーロッパでは、7本8本のリング手順が普及していたものと思われます。

 

 私は、子供のころから、欧米、または中国でノーマルなリングの本数が何本のものだったか、ということにとても興味がありました。

 というのも、リングの演技は、本数が一本違うだけで、手順が全く変わります。例えば、3本リングの手順と、今日ではノーマルとなった、6本リングの手順は、これが同じリングの手順かと思うほど違います。その6本の手順と、ダイバーノンの5本リングは、これも全く違います。さらに江戸時代の日本で演じられていた、7本の金輪の手順は、演じ方も造形も、全く違います。

 更にアダチ龍光師匠の演じていた9本リングは、部分的にダイバーノンの手順に似ていますが、これは両方の手順の出典が、マックスマリニーだからであり、龍光師匠は、来日したマリニーの演技を毎日見て、手順をそっくり取ったと言っています。すなわち、9本の手順は、マリニーのものです。

 一方、バーノン師はマリニーを尊敬し、そこから強い影響を受けて、マリニーの手順の造形部分を極力減らして、手順を構築し直して、今に残る、バーノンのシンフォニーオブザリングを作ったと思われています。そのため、トリプルリングとキーとの演技は、マリニーの9本の手順によく似ています。(この話はまた後で致します)。

 その9本リングは、欧米で基本と言われていた7本、または8本リングにさらに1っ本加えた手順になるのですが、この9本手順が、欧米で継承されている形跡を見ることがありません。マリニーのみ演じていたもののようです。8本までは普通に演じられていたようですが、8本からどうして9本になって行ったのか、ここが真にミステリーです。今から考えると、6本、7本、8本のリングと9本は随分違います。9本は、むしろその先の12本リングに近い手順です。これらは造形をメインとした手順で、現在ではリングの主流となってはいません。(私は、9本も12本も、十分面白い手順だと思いますし、実際演じてみると、3本4本よりもよほどお客様の反応の良い手順です。)何が違うかは、9本、12本リングの所でお話ししましょう。

 

 いずれにしましても、ヨーロッパでマジックは19世紀なって、舞台芸として発展します。そこでは当然、不思議さもさることながら、娯楽としての楽しさが求められます。

大道なら、さほどまとまった手順を作らなくても、お客様とやり取りをしながら、冗談を言って、適宜に手順を調節して演じていればよく、あまりきっちりとした演技は必要なかったのではないかと思われます。

 しかし、舞台に立つと、持ち時間は厳しく守らなければならず、演技も内容を詰めて演じなければならず、起承転結の構成も求められます。そこから、リングの手順は、新たな発展をすることになります。すなわち、音楽に乗せて、演技を細かくまとめなくてはなりません。

 中国の奇術師が、世界中を回ってリングを演じた時、そのリングの本数は、おそらく7本だったと思われます。それは、日本の金輪の曲が、7本手順で構成されていることから、おそらく原型は7本だったと思われます。そうなら、中国人がどんな手順で、7本の演技をしていたのか、そこが興味です。

 実は、私が北京のFISM大会に出演したときに、いろいろな人に、中国で昔演じられていた、リングの手順を聞いたのですが、驚いたことに、彼らはそれを知りませんでした。そして、6本リングの手順を「これが古い中国の手順だ」。と言う人がありました。しかし、6本リングには、ダブルリングが入ります。古い手順ではダブルは使用しなかったはずです。しかも6本の造形は、明らかに西洋の匂いがします。中国本来の工夫が見えません。人力車、などはありますが、人力車そのものが明治になってからの発明ですので、それが手順に入っているということ自体、古い手順ではないはずです。

 従来の中国の手順は既に知る人がなく、研究者が出してくる資料は日本の浮世絵や、伝授本の挿絵でした。それらは日本の金輪の演技であり、そもそも私は中国の手順が、日本の金輪の演技に、どんな影響を与えたのかが知りたくて、訪ね歩いたのですが、どなたもご存じありませんでした。

 私のように日本の古典奇術を演じるものからすると、度々突き当たる問題は、既に原型となる手順は世界のどこにもなく、中国ですら、古い手順の継承者はなく、どんな手順だったかもわからないものばかりです。日本に残った、金輪や、おわんと玉、瓜植術、緒小桶、蝶、水芸、などが、かなりの部分本来の原型を維持し、継承されていることがむしろ稀有なことで、手妻の価値は底が知れないものだと思います。(続く)