手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

リング 金輪 9

 このところ、志村けんさんの死亡などで、一気にコロナウイルスが大騒ぎになって、終始のつかない状況になってきました。私はこれまで志村けんさんとは3回、マジックのご指導で、ご縁がありました。会うときっちり挨拶されますし、習う時も実に素直に練習してくれました。深くお付き合いしたことはありませんが、一般常識を良くわきまえた人と言う印象があります。ご冥福をお祈りいたします。

 その人が、なぜこうもあっさりとウイルスに罹って亡くなったのかはよくわかりませんが、やはり、何か合併症があったのではないかと思います。コロナウイルスは決して強いウイルスではありません。普通に生活している分には罹っても治ります。多くの人が恐れるほど危険なウイルスではないのです。但し、高齢者や持病を持っている人には危険です。コロナウイルスに限らず、インフルエンザなどをこじらせたりすると亡くなる確率は高まります。人の命は、多くは合併症で失われてゆきます。

 それ故に、ことさらコロナウイルスが危険なわけではありません。私はこのブログで度々このように書いてきました。しかし中には、その根拠を問う人があります。それならばお話ししますが、日本では毎日毎日山手線や中央線、京浜東北線がとんでもなく乗客を詰め込んで走っているのに、なぜ爆発的に感染者が増えないのですか。本来なら、この三か月で、50万人や100万人の感染者がいてもおかしくないはずです。それが感染者が数千人で収まっているのはなぜですか。それこそコロナウイルスが罹りにくいウイルスである証しなのではありませんか。

 こう言うと、ニューヨークの例を出して、「これから爆発的に増える」。と言う人がいます。まだ増えてもいない現状で、これから増えるというのは煽り過ぎてはいませんか。煽っている人は、今、私が言った山手線のラッシュの現状をどう答えるのですか。片や現実を語って示しているのに、片や、増えるかもしれないという観測を述べていて、どちらが真実と言えますか。

 いや、仮に感染者が増加したとして、この先感染者が50万人になりますか。既に罹っている数千人の人ですら、ほとんどに人は治って普通に働いているのです。5千人が罹って5千人が寝ているわけではないのです。それを緊急事態宣言などと言って、都知事は人を煽りますが、一体何人罹ったら緊急事態なのですか。その方向を示さずして、言葉ばかりが先行するから、人は疑心暗鬼に捕われるのです。

 自粛、自粛と言いますが、自粛していて収入はどうするのですか。公務員なら月給が支給されますが、個人事業者は、今日稼がなければ今日の支払いにも困ります。国は保障を考えると言いますが、何か月たっても一円も支払われないのはなぜですか。仮に10万円支払われたとしてもそれで生きて行けるものではありません。

 自粛と言いながら自粛ではなく、今政府のしていることは強制ではないのですか、強制されて抑え込まれて、どうやって生きて行くのですか。ニュージーランドでは、とっくに補償金が支払われています。アーティストはそれで生きて行けるそうです。日本はどうして行ったらいいのですか。この問題に本来保証金はいらないのです。「大したウイルスではない。普通に生活していればいい」。と言えば人は安心するのです。言葉ばかり人を煽って、対策がついて行かないから人は不安になるのです。毎回同じことを言っていますが、少しも政府や都知事はお分かりでないようですのでまた書きました。

 

  マリニーのリングの演技がどのようなものだったかは、アダチ龍光師の演技から想像ができます。師はリングを演じるときのみ、椅子をテーブル代わりに使います。初めに、リングを、ダブル、トリプルとつなげて見せ、それらを観客に全て渡して調べてもらいます。観客が納得してから、リングを受け取り、客席に戻る途中で懐に隠していたキーリングをロードします。キーリングとシングルリングをつなげて、ダブルのリングに見せて、そのリングをしばらく外したり繋げたりして見せます。そのあと、リングを、トリプル、ダブル、シングルのリングをそれと気づかれないように、椅子の両肩、椅子の上と三か所に分けて置きます。椅子をリングの手順に使うのは、欧米の伝統のようで、3本リングの演者である、リンク(オランダ人)なども椅子を使って演じる挿絵が載っています。12本リングなども恐らく同じだったろうと思います。

 ここから三味線と囃子が入って、師はほとんどしゃべらず、音で進行します。後年、三味線の御師匠さんが、「アダチ師匠の金輪は、四丁目をきっちり三杯半でいつも終わっていました」。と言ったのが印象的です。四丁目(しちょうめ)と言う賑やかな曲を使って演技を〆たわけです。四丁目は一回1分程度ですから、三回半繰り返せば3分半。前半のしゃべりと合わせると、約6分程度の演技だったと思われます。

 師のリングの造形は、前半は、6本リングで使われている造詣が出てきます。後でお話ししますが、マリニーの手順はここで人力車や、兜、三輪車などの造形は作らなかったと思います。しかし、マリニーの手だけ演じたのでは師には物足らなかったのでしょう。師は6本リングの造形を増やすことで造形のボリュームを補ったのです。

 ここに、マリニーの意図するところと、アダチ師の考えの違いが伺えます。

9本リングと、12本リングを比べると流れは、実によく似ています。大きな違いは、お終いに作る灯篭の形です。この灯篭を美しく飾り付けるためにダブルを2セットにしたわけです。つまり灯篭の形さえなければ、9本で全て間に合うのです。

 恐らくマリニーが12本手順を見て着眼したことは、リングを全て渡せること。それと、キーとトリプルを使った部分が特殊で面白いこと。この二点でしょう。造形の派手さはそれほど必要ないと判断していたと思います。つまり、通常の8本リングに、キーさえ足せば、12本と同じ効果があげられると気づいていたのだろうと思います。

 実際マリニーの手順は、アダチ師の足した、6本リングの造形を消し去ると、マリニーが本来意図した手順が浮かび上がってきます。キーとトリプルによる造形と、お終いに9本全部を使った十字架の造形、これがマリニーが見せたかったリングアクトなんだろうと思います。氏が本当に見せたかったのはトリプルの扱いだったと思います。

 このことは、マリニーのマジックを生涯愛してやまなかったバーノンが、5本のリングでシンフォニーオブザリングを発表したときに、5本であるにもかかわらず、その中にトリプルを入れたことが如実にマリニーのマジックの本質を探り当てています。そこに関しては次回お話しします。

 

 マリニーが、12本リングの手順から造形を少なくし、本数を減らし、洗練された「大きな手順」のリングを作り上げたのですが、アダチ師に引き継がれてゆくうちに、造形が増やされて行き、12本リングの小型版のように変形して行きます。日本では12本リングが既にあったため、9本は広く普及することがありませんでした。もっぱらアダチ師が演じるのみで、派手さにおいては12本に敗け、軽便さでは6本リングに敗け、何となく中途半端な手順に見られてしまったのは残念です。