手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

リング 金輪(かなわ)2

 中国で起こったリングなどの一連の奇術の文化が、なぜ世界中に伝播をして行ったのかというなら、明王朝から、清王朝に国の体制が変わったからです。中国文化を厚く保護してきた明に対し、清は満州族でした。中国的、文化的なものには徹底的に懐疑的でした。豊臣秀吉による朝鮮征伐1592(天正20)年で、日本軍は初戦一か月で、朝鮮全土を手に入ました。それを知った明は狼狽し、大軍を朝鮮に送ります。朝鮮の役です。これが休戦を含めて1598(慶長3)年まで6年に及ぶ戦いになり、これによって明は疲弊し、一遍に国は衰退します。そこを満州族が執拗に襲い、1644年。明は滅び、満州族は中国を支配し、自らを清と名乗ります。

 異民族である清は、スパイ活動を徹底させ、町や村での集会に目を光らせます。それが大道芸や、芝居なども禁止にしました。それまで中国の芸人は数組で座を作り、町や村を回って芸能を見せていたのですが、これが一揆や革命のプロパガンダになると、芸人を排除しました。一度役人に疑われたなら問答無用で死刑です。行き場を失った芸人は、アジアや遠くヨーロッパにまで逃れました。

 私より古い年代の人は、奇術と言うと中国人を連想する方がたくさんいますが、実際、日本でも、明治、大正期にたくさんの中国人奇術師がやってきて、日本に永住しました。陳徳山、李彩、と言った人たちは、私が子供のころまでは現役で寄席に出ていました。それはヨーロッパアメリカも同じで、清朝に追われた芸人は欧米に活路を見出したのです。この芸人たちによって、欧米人は、奇術がエンターティナーであることを知るのです。

 

 多くの人は、エンターティナーの本場がパリやロンドンであると思っている人が多いのですが、実はヨーロッパは、長く宗教が人々を洗脳していて、マジックと言えばそれは呪(まじな)いをさしました。マジシャンの本来の意味は、呪い師です。マジとは呪いのことです。それに応えるべく、マジシャンは、呪いをし、除霊をし、占いをし、予言をすることを主な仕事にしていたのです。長い着物を着て、よれた杖を持ち、三角の帽子をかぶり、机を前に置き、椅子に座って机の上の水晶玉を、さも尤もらしく扱いながら、病を治したり、予言をしたり、尋ね人を探したりしていたのです。

 彼らにとってマジックは、訪ねてくる人に自分を信用させるために、時々、不思議を演じて、力を誇示するための小道具で、エンターティナーではなかったのです。今も、超能力者や、一部の宗教家の中にこうした人たちが生きています。

 勿論、広場でカップアンドボールなどを演じる旅芸人もいましたが、彼らもエンターティナーとして、ショウとして見せると言うよりも、物売りの流れの一環で、人寄せにマジックを見せていたわけです。

 

 多くの欧米人は中国人の演じるマジックを見て、マジックがエンターティナーであることを知ります。不思議を見せてはいても、それは嘘ごとで、遊びの世界なんだということを知ったのです。今から考えたなら、それは当たり前のことですが、当時はショウとしてのマジックを大人の目で見るという文化が欧米では育っていなかったのです。日本や中国では、早くから宗教が廃れ、宗教と奇術は分離してゆきます。日本では室町時代にすでに、入場料を取って、奇術曲芸を見せています。入場料を払うということは、観客は、その時間を楽しむために、嘘ごとと知って見ているわけで、観客が大人の心を持っていることの証しです。日本の観客は世界レベルよりも進んでいたのです。

 私は以前、ショウは見世物であると書きました。すると、マジック愛好家は自分が見世物であると言われることに抵抗感を感じ、「自分のしていることは見世物とは違う」。と言う人がありましたが、あえて申し上げるなら、ショウとは読んで字のごとく、見世物なのです。そして、宗教から見世物に発展したことで奇術は、文化、芸術に発展したのです。マジックを趣味、あるいは職業とするなら、言葉のニュアンスだけで、物事を捉えず、本質を学ぶべきです。見世物とは恥ずべき行為ではなく、芸能芸術の原点なのです。そこに恥ずべき行為があるとするなら、少しも芸術としての昇華をせずに、いつまでたっても種仕掛けでお客様を吊ろうとする、見世物芸人根性です。

 芸能と言う歴史の中で、筵囲いなり、竹囲いをして、外界を遮断して、入場料を取ると言う行為は一大転換を果たしたことになります。囲われた世界を作ることによって、ショウに演出や、構成が発展して行くわけです。

 

 ここで私が言いたいことは、囲いの中のショウが完成する少し前、大道で多くの人を集め、投げ銭放り銭を貰いつつ活動していた時代に、ショウとしての原型を作り上げて来たのは他ならぬリングなのです。リングは囲まれた場所でも演じられますし、セットに時間がかかりません。演技時間も3分から30分まで、いかようにも伸ばせます。お客様と一緒になって、つなぎ外しを楽しめますし、お客様の見ている目の前10㎝の所で不思議を起こすことができます。更に、その後になると造形まで作れるようになって、手順は一層長大になります。

 こうした作品が、当時欧米に勃興したエンターティナーとしてのマジシャンの間で流行らないはずはなく、誰も彼もがリングを演じるようになり、それは後にチャイニーズリンキングリング(中国の金輪)と言う名称で呼ばれ、今日まで続いてゆきます。

(続く)