好きと病気
半月ほど前にポーカーのトーナメントの画像を見ていたら、連日500万円も1000万円も負ける映像を流していて、それでもまだ勝負しようとする姿を見て、「馬鹿じゃなかろうか、プロともあろう人が、なぜ程(ほど)を教えないのか。サラリーマンの年収を半日で溶かしてしまうような画像を流して、どうしてこれがポーカーブームにつながるのか。こんなことをしたら、ブームなんてすぐにしぼんでしまう」。と書きました。
いくら私がそう書いたとしても、私の書いているブログはほんの一部の人が読んでいるだけですので、およそ、社会に大きな影響を与えているものではありません。
にもかかわらず、世界のよこさわさんの負け続けているブログはあれ以来ストップしています。さすがにスタッフも拙いと思ったのか、あるいは私のブログがどこかで読まれて、反省したのか(そんなことは絶対ないでしょう)。何にしても、大敗の画像は止まっています。良かったと思います。
ギャンブルは面白いです。特にポーカーは、技術と知識の介入する余地がかなりあって、相当に能力差も出てきます。それだけ、プロとして生きていける余地が生まれ、そこから成功者も現れます。
それはそうなのですが、それでもポーカーはギャンブルです。偶然や、運に左右されやすく、時に、いかなる名人も飛んでもない敗北を喫します。名人でも、ツキに見放されると、一日で財産を失います。
私の親父はギャンブル好きで、競輪、競馬、パチンコ、マージャン、ポーカーに至るまで何でもしていました。中でもマージャンは得意で、楽屋内では名人と呼ばれていました。実際、親父は、相手の積み込んだ山のどこに何があるか、かなりの数を記憶していました。大した記憶力です。もしこの才能を別の職業に生かしたなら、相当に稼いだろうと思いますが、親父は才能を浪費していました。
そうした親父の勝負する姿を子供のころから楽屋で見ていて感じたことは、「勝負は必ず収束する」。と言うことです。それは、1000回勝ったなら、必ず1000回負ける。と言うことです。
楽屋で名人と言われた親父でさえ、実際にはかなり負けていたのです。なぜ負けるのかについてはあとでお話しします。ギャンブルは、記憶力が良くて、自身のツキや周囲の流れをしっかり読んでいる人なら、相当に勝つことは出来ます。
しかも、ギャンブルでも何でも、好きでやっている人は必ずそこから成功の法則を導き出そうとします。実際、自身で読み取った法則でギャンブルをすると、けっこうの確立で勝てます。そうなら好きで熱中してスキルを磨けば、ギャンブルに勝てるはずです。その通りです。
ところがここに落とし穴があります。好きで熱中するうちに、人はギャンブルに侵されて病気になって行くのです。病気の兆候はその人を見ただけでわかります。
ギャンブルに夢中になると、服装に凝らなくなります。いつも同じ服を着て、汚れた服でも平気になります。食べるものもインスタントラーメンや、店屋物、安いものばかりを食べるようになります。その上、人との付き合いを欠かすようになります。人と会う約束を忘れてギャンブルに熱中したり、会社をさぼるようになります。仲間の結婚式も休んだりします。知らず知らずに信用を失い、孤立して行きます。生活がギャンブルを主軸に回るようになります。これが病気なのです。
普通に生活をした上で、ギャンブルをしていれば問題はありません。然し、好きが高じると、毎日毎日ギャンブルの刺激が忘れられなくなり、精神がハイの状態になります。それが病気です。一旦病気になると、金がなくてもツキがなくても毎日ギャンブルをしていなければ気持ちが落ち着かなくなります。
先ほど何でギャンブルに負け続ける時が来るのか、と言う話をしかけていましたが、その答えがこれです。一旦病気になると、自分のツキが落ちていようと、ポケットに1000円しかなくても、その1000円をギャンブルに使ってしまいます。
冷静な判断が出来なくなるのです。負けが込んできたなら、さっさと身を引いて、少しギャンブルから離れて頭を冷やせばよいのです。どんな時でも、心のゆとりを取り戻す必要があるのです。ところが負ければ負けるほど金をつぎ込んで、抜き差しならないところにまで至るのです。それが病気なのです。
以前、世阿弥の話で、男時(おどき)、女時(めどき)の話をしました。男時と言うのは仕事が順調で何をやっても上手く行き、成功や、収入が面白いように手にいる時です。逆に女時とは、投資をしても稼げず、仕事は失敗を繰り返し、人には裏切られ、家族が離れて行くなど、不幸の続く時です。
実際、世阿弥も、若い時期は人もうらやむほど大成功をした芸術家ですが、中年以降は身に降りかかる問題が山積し、舞台の上でも、家族のことでもうまく行かなくなり、徐々に社会の隅に追いやられて行きます。
人生でもギャンブルでも、大きな流れを読むことが大切なのでしょう。うまく行かないときには無理してどうにかなろうとせずに、一旦、ギャンブルから離れて、地味な活動に戻って、時を待つことが大切なのでしょう。
うまく行かないときに向きにならず、時に気分を切り替えて、他のことをして見ると、そのうちに、流れが変わって来ます。要は駄目な時は駄目ですから、潔く諦めて、気分を変えて生きて見る。又ギャンブルがしたくなったら、冷静に判断を立ててやって見る。人生の程を見極めるのが名人なのだと思います。
ところがギャンブル病になってしまった人たちは、その気持ちの切り替えが効かないのです。元々、別の趣味と言ってもギャンブル以外趣味のない人たちは、毎日ギャンブルのことばかり考えています。不調な時には休んで、他の趣味をしていれば勝率は高まるのに、早紀に、生理でギャンブルをしているうちに抑えが効かなくなって行くのです。
先ほど、1000回勝てば1000回負ける。と言いました、そうなら、長く続ければ、ツーペーになって、行って来いになるかと言うとそうはなりません。ギャンブルには、物凄い勝利者もいます。大勝する人もいるのです。そんな人が勝利の確立の相当量を独占して行きますので、運のない人、才能のない人が大部分の負けを負担することになります。
かくしてギャンブルは長くやれば必ず負けるのです。ものに憑かれたようにギャンブルを続けていたら、男時も女時も気付かずに、女時に金を突っ込んで大損します。世界のよこさわさんは、ポーカーを流行らせたいなら、どうやっても勝てない時期があることを愛好家に教えなければいけません。負けが込んだら一旦ポーカーから離れ、ラスベガスのマジックショウでも見て、ギャンブルを忘れることをお勧めします。そのためにお役に立つなら、いつでもマジックをお見せします。
続く