手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ポーカーブームは盛り上がっているか

ポーカーブームは盛り上がっているか

 

 この数年、急激にポーカーがブームになり、現金をかけない形のポーカールームが東京、大阪など、あちこちにできてます。そうした店はかなりグレードの高い仕様になっていて、と言っても、ラスベガスや、モナコほどにはゴージャスにはいかないとしても、それらしい雰囲気が楽しめる場所が出来ているようです。

 単純にギャンブルではなくて、遊びを楽しむ場所が出来て来たのは面白いと思います。ギャンブルと言うと、パチンコ、競輪、競馬、競艇、とあちこちにありますが、、どうも見た目に高級感がありません。

 身なりにこだわらない、浮浪者一歩手前のようなおじさんが、新聞と赤鉛筆を持って、なけなしの金で半日遊んで、帰りには屋台の飲み屋で焼酎を呑んでいる。そんな姿が想像されます。言って見れば転落一歩手前、ギャンブルに嵌れば結果はこうなるよ。と言うお手本のような人がたむろしている世界です。これでは周囲の人は憧れを持ってギャンブルを見ることはありません。

 どうしても日本では底辺の人が集まる社会イコールギャンブルというイメージが強いように思います。どんな社会でもそうですが、その社会が素晴らしく思えるには、誰がそこで遊んでいるのかが重要です。汚いおじさんがなけなしの1000円札まで叩いてしまうようなギャンブルは、はた目に見ても、人は憧れないのです。

 

 最近ネットで見かける、世界のよこさわさんなんて言う人は、話していることもしっかりしていて、頭も良く、ちゃんとポーカーと言う趣味を仕事につなげていて、グッズ販売などをして成功しているようです。

 ポーカーの腕前も結構巧いらしく(私には今一つ、ポーカーの巧さと言うものが分かりません)。かなりの勝率で勝っているようです。こう言う若い人がたくさん出てくると、ポーカーは流行るでしょう。若くして商才があって、人付き合いが上手くて、話題作りが上手くて、ポーカーが巧い。ポーカーを押し上げる人としては申し分のいない人なのでしょう。

 但し、私が画像で見る限り、実際の勝負は、かなり運に任せて勝負しているように見えますし、その運が思うように成功につながらない部分も見えます。まぁ、それがギャンブルなのでしょう。

 ギャンブルと言うのは、生真面目にデーターを積み重ね行って、理詰めに考えて行っても、結局、大きな番狂わせが来て、全てがひっくり返ってしまう。それがギャンブルです。それゆえ、経験を積んだからと言って勝てるわけでもなく、全く才能もなく、金もない男が突然大勝ちして、一夜にして大金を掴んだりするのです。何で成功したのか、と問われても当人もわかりません。ただ回ってきた札のめぐりあわせが良かったのでしょう。

 無論、プロのギャンブラーに言わせれば、それだけでは勝てないと言うでしょうが、どんなギャンブルでも、長く続けていれば必ず確率に近くなって行きます。確立に並ぶと言うことは間違いなく負け続ける結果になります。勝ちよりも負けの確率の方がはるかに高いからです。

 世に名を残すポーカープレイヤーは数々存在しますが、同時にその人の中には、破産する人もいます。勝ちは長く続かないのです。

 

 しゅんポーカーさんと言う人は、コスプレコントを交えながら、面白おかしくポーカーを解説していましたが、いつの間にかいなくなってしまいました。勝負で大負けをししまって、笑うに笑えない人生になってしまったのでしょうか。ポーカーで面白おかしく生きて行くと言うのは簡単ではないのでしょうか。元気ならまたコントを見せて下さい。

 クリモさんと言う人は今でも時々映像を流していますが、やはりこの道で生きて行くのは難しいのか、時々ウーバーイーツのアルバイトをしたり、友人の家に転がり込んだりして、アジアや、オーストラリアなどのホテルに行ってポーカーをしています。

 見るからに人の良さそうな人で、ポーカーで人生を送れたらそれだけで幸せだ、という純粋な生き方が伝わって来ます。こうしたタイプの人は、芸人にもたくさんいます。決して頂点を目指そうとはせず、ただただ芸人をして生きていることが楽しくて仕方がないと言う人です。役者にも、マジシャンにもたくさんいます。

 実はこうした人がたくさんいることこそが、一つの社会の厚みになります。すなわち愛好家と呼ばれる人達であり、彼らのような人が大勢集まって来て、お金を投資してくれるからこそ社会が成り立つのです。マジックの世界で言うなら、トリックを熱心に買ってくれたり、本やDVDを買ってくれたり、チケットを買ってショウに来てくれたりするのです。

 こうしたアマチュアの数が多ければ多いほどその社会は大きくなり、裾野が広ければ、当然、頂点に立つスターは大きく稼げるわけです。

 マジックの世界を眺めると、裾野の支持者がかなり小さいために、その頂点が大物が出て来にくいのだと思います。大きくなろうとするには先ず、裾野を広げなければ無理なのです。

 

 話はそれましたが、そのクリモさんが、実に楽しげに海外を旅して、各国のギャンブル場でポーカーをしています。その人柄が愛されるのか、各国に友達がいて、彼をアシストしてくれています。ポーカーの技量は、巧いのかどうかはわかりませんが、やはり人に愛されることは映像からもよくわかります。考えてみると、芸人の生き方もまさによく似ていると思います。

 

 クリモさんの生き方を見ていると、私が20代に、アメリカを27州回って、地方のマジッククラブでレクチュアーをして回っていた頃を思い出します。大して巧いマジシャンでもなかったのに、次から次とレクチュアーの依頼が来て、指導と呼ぶには烏滸がましいのですが、アメリカの地方都市でマジックを教えて、一回1000ドルから2000ドルくらいの収入がありました。それがほぼ毎日ありましたから、いい仕事でした。

 こうした生き方こそ若いうちは憧れます。行く先々で歓迎され、自分のアイディアが評価されて金になる。最高の人生です。ところが、ある日、そうした生き方に疑問が生じました。

 なぜなら、稼いで現金を手にして得意満面でアメリカから帰って来ると、日本では、それまで一緒に遊んでいた、ツービートの北野武さんが、爆発的に売れていました。たけちゃんだけでなく、目下に見ていたザ・ぼんちまで売れ出しました。

 大ショックでした。まるで浦島太郎のなったような心地でした。せっかくアメリカでいい仕事を手に入れたと有頂天になっていたその時に、自分が本当にやらなければならなかったことに気付いたのです。

 それから私はアメリカに行くのをやめました。日本で、マジックで、稼いで見せなければどうにもならないことを知ったのです。それでも、アメリカのレクチュアー旅行はいい思い出でした。今思えば夢のような時代でした。

 さて日本のポーカーブームがどこに行くのか、まだこれからいろいろ大きな波が来るでしょう。この先が楽しみです。

 続く