手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ポーカー人生

ポーカー人生

 

 youtube にやたらとポーカーギャンブラーの画像が増えて来ています。やがて日本にもできるであろう公営ギャンブル場が大きな流れになっていて、今まで海外で目立たなく活動していた日本人のギャンブラーが急に注目され始めているのでしょう。

 日本は、競輪、競艇、競馬、パチンコ、スロットはギャンブルとして認められていますが、ルーレットや、カードゲームは認められていません。他の国ではパチンコがない代わりに、ほぼどこの国でも特定の場所内でカードゲームをすることは認められています。

 日本もきっちりルールを決めてカードをするなら、全く問題ないと思います。パチンコや、スロットと違い、マシンを使うこともないため、ギャンブル場経営者としても初期投資をほとんどせずにゲームが出来ます。結果、配当(スロットマシーンは、マシーンの装置代を回収した上でなければ観客に利益配当ができないわけです。観客の投資の大部分は装置代と維持費に消えます)から経費を差し引かずに、ポーカーの掛け金はそっくり勝者に行くわけです。かなりクリアなゲームだと思います。

 

 さて、日本人で世界中を回って、ギャンブルをして稼いでいる人たちが大勢います。画像の中では彼らは一様に「ポーカーは稼げる」。と言います。本当にそうなのでしょうか、少々怪しいなと思い、いろいろな人の画像を見ています。

 どうも彼らは、観光地で、散財する素人相手に長時間ポーカーをして、数万円、時に数十万円を毎日稼いでいるようです。初めは初対面の人たちとテーブルを囲むわけですから、相手の技量や癖は分かりませんが、一時間、二時間とゲームをするうちに癖が読めて、およその技量が分かります。

 そうなると、ここぞと言う時に思いっきり掛け金を上げたり、時にオールイン(全額投資)をしたりして、相手を驚かせて、降ろしたりして、一気に大きな金額を手に入れます。全くのブラフで大きな掛け金を積んで見せたりもします。他のゲームと違って、ポーカーは手の内が空っぽでも、勝利することができます。

 全ては相手の様子を見ながら、いろいろな手で攻めて行くのです。その駆け引きはスリリングで、画像で見ていても見飽きがしません。

 

 いろいろなプロポーカーがいて、画像の中で細かな解説をしています。解説を聞けば聞くほどポーカーは深く、札まわりの、いい、悪いだけでなく、とことん人間観察が必要なんだ、と言うことが分かります。メンタルな部分が少し分かって来ると、「自分もプロポーカーになって、世界中を回って見たい」。と思う人が増えるのでしょう。

 私が良く見るクリモさん(ポーカートラベラーズ)はそうした中でも人が良さそうで、素直そうで、フィリピンや、カンボジアのような、ローカルな地域ばかりを回って、せっせと毎日小さくポーカーを続けています。一日3000円程度の安い宿に泊まり、食事も現地の屋台店で500円程度の食事をして、慎ましいギャンブラーです。

 話し方は丁寧で、自由業でありながら、やくざっぽさがありません。恐らくある時期まではちゃんと勉強をして、真面目にサラリーマンをしていたのでしょう。今30歳だそうで、数年前からプロギャンブラーになって、自分より弱そうな人を探してはポーカーを打っています。

 それでも連日負け続けたり、時に病気になって体がだるくて数日ホテルで休んでいたり、苦しい生活もしています。大丈夫かな、このままつぶれてしまわないかと、他人事ながら心配になります。

 ギャンブラーが旅先で一人病気になって、活動ができなくなり、資金が尽きてしまったとしても、誰も同情はしてくれないでしょうし、頼るすべもなく、財産と言えるものは背中に背負っているリュック一つ。物と言うものは何も持ってはいません。こんな寂しいことはありません。

 「この人はどうしてこんな生活を選んだのだろう」。と考えてしまいますが、よくよく考えてみれば、マジシャンもほとんど同じ種族です。ギャンブラーを見て、「生活して行けるのだろうか」。などとマジシャンが心配するのは余計なお世話です。マジシャンこそ自分の生活を心配しなさいと言われそうです。

 私も20代のころ、毎年アメリカに行って、ショウの出演とレクチュアー旅行を続けて稼いでいましたが、あれだって、本当に行く先々で毎回いい稼ぎができると言う保証はどこにもありませんでした。たまたま私が回っていた時は時代が良かったために、アメリカのアマチュア人口が多く、どこの町にも30人50人とアマチュアが集まっていて、私のマジックが話題になっていたのです。

 そしてそのアマチュアとコンタクトを取ってくれるマネージャーがいて、車を使って現地から現地まで私を連れて行ってくれて、レクチュアーやコンベンションツアーを企画してくれていたのです。

 同じことを今しようと思っても、あの頃の10分の一も稼げないでしょう。私に才能が有ったから稼げたわけではなく、たまたまいい時代に居合わせたのです。

 

 さて、彼らが先の保証などないにもかかわらず、ギャンブラーとなって世界中を駆け回っていたいのは、自由に生きていると言う開放感があるからなのでしょう。そうならマジシャンとまったく同じです。自分の好きなことをやって、収入を上げる、これは若い人にとっては最高の人生でしょう。分かります。分かります。

 ただ唯一違う点は、そうして自由に生きて行きつつ、その生き方を芸能に反映させて、自分の世界を作って行く。生き方が芸能に昇華すると言うところが、芸能とギャンブラーの分かれ道なのでしょう。

 芸能人は常日頃から自分の姿をもう一つの目で眺め続けています。「こんな生き方をして見せたらかっこいい」。とか「こう生きたら面白い世界の中で生きているように見える」。などと、客観的に自分を見続けて、本来ありもしない世界を構築して行こうとします。そうして生きて見せた結果を、マジックの世界に投影して独自の世界を作り上げます。それを多くの観客が追い求めて来るのです。

 画像を配信しているギャンブラーには、自分がどう見えるのか、どういう世界の中で生きているのか、という客観性が不足しているように思います。クリモさんは犬顔で、人懐っこそうで、愛されキャラのように見えます。せっかくいいキャラを持っているのですからそこを生かして、お洒落に生きて見せたなら、女性ファンや、金持ちの賃投資家が注目する可能性はあります。

 然し、毎日深夜までギャンブルをして、ホテルに帰って来てから、インスタントラーメンに、ビールを二、三缶、呑んで寝てしまう生活を動画で見せ続けていると、「この人、このまま終わってしまわないかな」。と心配になります。自由に生きるのはいいことですが、見た目に夢や楽しさを感じさせるような動画を作って下さい。素直で正直なだけでは成功しません。時にブラフがないと飛ぶことは出来ません。

続く