手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ギャンブラー 3

ギャンブラー 3

 

 日本各地にカジノが出来れば、確実にポーカーのプロギャンブラーが生まれます。今までそうした人が日本にいなかったことが不思議なくらいです。やがて、プロギャンブラーの中から、カリスマが生まれるでしょう。

 恐らく、カジノの経営者は、その時のためにカリスマギャンブラーとなるような人を探しているのではないかと思います。ギャンブルというのは、どこか暗い影が見えます。カジノの経営者にすれば、そうした闇の社会を感じさせるようなものを少しでも払拭したいはずです。

 カジノのイメージを変えなければいけません。来るお客様は健全で、生活力ある人達に来てほしいのです。プロギャンブラーも、影のある謎の人ではなく、人から愛され、知性があって、上品で、ギャンブルを科学として見られる人で、たくさんの人を引き付けるような人にプロになってもらいたいはずです。

 大金をかけて、ゴージャスな宮殿を建てたとしても、そこに出入りする人たちが場末の浮浪者のような人ばかりが集まって来たのでは、カジノの価値は高まらないのです。

 今のyoutubeで見るポーカーギャンブラーの何人かは、そうした経営者の思惑に叶っているのかも知れません。彼らを見ていると暗さがありません。

 彼らは毎月のように海外に行って、その度にかなり大きな勝負をしていますが、一体その資金はどこから出ているのでしょう。ひょっとすると、カジノ経営者がスポンサーとなって支援しているのかも知れません。いずれにしてもギャンブルは追い風にあり、彼らはその風に乗っていると、私は勝手に勘繰っています。

 

 ラスベガスが今のような街になったのは、せいぜいこの30年くらいのことです。私が20代で初めてラスベガスに行ったときには(45年前の話です)、町はとても小さくて、一本の街道に、ホテルが並んでいるだけの町でした。昔の西部劇に出てくる小さな街並みが、そのままホテル街になったような街で、MGMグランドホテルのトイレに入ったとき、裏はどうなっているのかと、窓の外を見たら、全くの平原で、枯れ草が大きな玉になって、地平線のかなたをコロコロ走っていました。

 私はそこでレクチュアーをして、翌日にはジークフリード&ロイさんのショウを見ました。ホテルは大きく立派で、ショウもものすごいスピーディーな内容でしたが、なんせ街並みの小ささが気になって、「もし自分がこのホテルに出演するようなことがあったら、たぶん3日で退屈するだろうなぁ」。と思いました。

 街は普通に歩いていても危険だと言われました。それでも散歩をしていると、歩いても歩いても面白そうな店はありませんでした。日常の買い物、例えば本屋、文房具屋、といったものが見当たりません。セロテープや、虫眼鏡、傷薬、が欲しいとなると、町中探しても見当たらないのです。

 ホテル街から少し離れてダウンタウンがありました。ここが本来のラスベガスです。見るからに古くて、そこに集まっている人達は何となく汚れていました。当時のダウンタウンには余り観光客はいませんでした。

 トニーワンの掛け金も、ホテルなら1ドルが最低ですが、ここでは50セントから張れました。スロットマシーンも1セントからの機械がありました。1セントのマシンを日がな一日やっている汚れた老人が、大声で当たらなとぼやいています。通りの脇には、質屋のショーウインドーがあって、博打で負けた人の時計や指輪が安く売られていました。アーケードでは道に寝そべって、酒を呑んでいる人がいました。かつての浅草と同じような町だったのです。

 そもそもラスベガス自体が、その昔は中年オヤジの団体客が殆どで、みんなギャンブルをやって、儲かるとコールガールを呼んで一晩楽しむ。というようなことをやっていたのです。ところが、そうした商売の仕方が世間から批判をされるようになり、ラスベガスイコールやくざの町、博打の町、色町と言う、悪所扱いをされるようになって、ラスベガスは観光客が激減して行ったのです。

 ところが、ラスベガスは30年くらい前に町が一新しました。ホテルの経営者が集まって、自警団を設立したのです。やくざ者とみられるような人が歩いていると、すぐに黒服のお兄さんが寄って来てどこかに連れて行ってしまいます。

 アメリカの町でよく見かける、交差点にたむろしている無職の黒人の若者も、全くいなくなりました。乞食もいません。ひったくりも、泥棒も、喧嘩も駄目です。黒服のお人さんが徹底的に取り締まった成果です。少しでも観光客に不快と思わせるような人達は、町の自警団が一掃したのです。危ない連中を、ちょっと危ない連中が取り締まったのです。これは画期的な成果でした。

 その結果、ラスベガスは生まれ変わりました。それまでは、スケベな中年オヤジの遊び場だったものが、その後は家族連れの観光地に変わりました。町の娯楽も、ギャンブルだけではなく、エンターティナーが充実し、ショッピングストリートが増えました。

 そして何よりラスベガスは食事が安く、しかも味はアメリカではナンバーワンの店がたくさん集まって来たのです。考えてみれば当然なことで、砂漠の真ん中の町で、観光場所もないようなところで、何を愉しみとするかと言えば、食べる以外ありません。食べ物が良くなければ、人は集まって来ないのです。つまりラスベガスは、自分たちに欠けていたものを徹底的に研究して、町ごと大改革をしたのです。

 すると、奇跡が起きました、治安が良くて、おいしい店が多くて、土地は砂漠の価格ですから、3000万円もあれば、大きな屋敷が買える。しかもギャンブル収入があるので住民税が安い。となると、ロサンジェルスで定年退職した、勤め人の夫婦が、ロサンジェルスの家を売って、ラスベガスに引っ越して、年金生活を始めたのです。

 結果、たちまちのうちに町の人口が三倍に増えたのです。ラスベガスはクリーンなイメージに変わりました。するとほかの都市でも、ギャンブルを悪の巣窟のように取られていた人たちの考えが変わって行ったのです。

 カジノの収益が闇に流れて、風紀が乱れると思われていたものが、逆に、町を豊かにすることに気付いたのです。日本がカジノをするようになったのもその影響でしょう。むしろ今のように、どこの駅前にもパチンコ屋さんがあって、現実に毎日ギャンブルをしているような現状の方が、風紀上宜しくない。ということが分かったのです。時代が大きく変わって来たのです。

 

 youtubeのギャンブラーたちは、頭のいい人も見かけますし、生活もまずまずです。ただ気になるのは言葉遣いの悪さと、食べ物がハンバーグや、ホットドックばかり食べていることです。そこに夢が感じられません。

 映像の中だけでもいいので、もう少しいいものを食べて欲しいと思います。服装も、パーカーやTシャツばかりでなく、もう少し身なりに気を付ければいいファンが付くでしょう。確実に次の時代のカリスマはここから生まれます。

続く