手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

勝利体験 2

勝利体験 2

 

 有名スターのマネージャーや、スターの親、兄弟、親戚がスターをサポートする場合。スターではない人が、スターの環境の中で長く生活するのは大きなストレスを溜める仕事になります。

 有名人と言うのは、名前や人気をお金に変えて生活することですから、常に人の噂になって、毎日人から騒がれていなければ生活して行けません。舞台に出たなら常にファンに騒がれ、その人気に答えるように特技を披露します。人を越えた技があるからファンは大騒ぎをします。

 然し、家族やマネージャーは特別の技術も才能もないままにそうした観客の中で煽られ続け、理解不能な熱気の中で生きて行かなければなりません。

 これが、日々、積もり積もって行くと大きなストレスになって来ます。スターは連日ファンにもみくちゃにされながら、山と積まれた色紙にサインを頼まれつつ、うんざりしながらもそれを自分の成功の代償と諒解することができます。結果それが生き甲斐であり、充実なのです。

 ところが、マネージャーや、スターの家族は、日々、ファンの対応を求められたり、苦情処理をしたり、仕事の打ち合わせをしたり、時間調整をしたりと、雑用に追われつつも、やっている仕事は実績と言うようなものはほとんど残りません。

 スターの周辺には、同様にセレブな人たちが集まり、家でも衣装でも想像を絶するようなけた違いな贅沢な生活しています。離れて見ている分にはそれも憧れの一つですが、余りに間近に差を見せつけられると、自分自身が余りに地味で小さな存在に見えて来て、その中で何を人生の目標として生きて行ったらいいのか、生きる目標が見えなくなって行きます。

 そうした中で、スターの周辺にいる家族や、マネージャーはどうしても刹那的な生き方をするようになりがちです。ギャンブルをしたり酒におぼれたり、色ごとに走る人が多いのです。昔から、有名歌手の家族がやくざとのつながりを持って捕まったり、博打で捕まったり、覚せい剤で捕まったり、なぜそんなことをするのかと首をかしげてしまいますが、やくざは人の心の隙間に入り込んで寄り添って来ます。

 娘が歌で何億も稼ぐ傍で、父親がやくざの賭場で何億も金を溶かしてしまいます。気が付けば親もスターも無一文になっているなんて、いくらもある話です。親兄弟、マネージャーはいくらスターを真似しても、稼ぎの点では追い付かないものですから、必ず金が足らなくなります。そのうち、売り上げ金を持ち逃げしたり、経理をごまかしたりするようになります。

 彼らは決して貧しい境遇にいるわけではないのに、不祥事をすることが多いのは、近くで連日成功を繰り返しているスターを見ていて、自分自身との落差にストレスが溜まって行くからだと思います。

 世間の人は「こんなにいい環境に居ながら、何でもっと自分のしたいことを見つけてまともに生きて行こうとしないのか」。と思いますが、余りにスターが強烈な人生を歩んで成功しているためになすすべがないのかも知れません。

 

 さてそこで、水原一平さんです。若いころからギャンブルが好きで、ロスアンジェルスにある、カジノに出入りしていたと言うのは当人が話しています。アメリカは、多くの州はギャンブルは違法ですが、特定に定めたホテルなどに併設されたカジノでのギャンブルは認められています。そこはラスベガスと同じく、スロットマシーンや、ルーレット、ポーカーゲームなどが連日行われています。

 そうした特定の場所でギャンブルをすることは何ら問題ではないのです。日本のように、どこの駅にもパチンコ屋さんが何軒もあって、誰でも簡単には入れてパチンコやスロットが出来ると言う環境と比べると、特定の場所が決まっているのは節度があって、青少年に与える影響は極めて小さく、常識的な活動と言えます。

 恐らく一平さんはそうしたカジノに出入りして、若いころは収入の範囲でポーカーなどを楽しんでいたのでしょう。それが大谷選手と知り合って、大きな収入を得るようになると、気持ちが大きく変化します。大谷選手の成功に比して、自分の目標が見いだせない焦りを感じていたのでしょう。

 ギャンブルを一獲千金のチャンスだと考えている人は多いのですが、実は、ギャンブルマニアの本心は、金儲けは二の次で、人生の目的が見いだせないまま、何とか勝利体験をしたいのだと思います。人生をかけてやるべきことを見出せない人が、心の中で何かに勝利したいと言う願望が募るのです。一体どうすれば勝利体験ができるのかと言えばギャンブルなのでしょう。

 多くのギャンブルファンはギャンブルが大きな稼ぎに結び付かないことは内心知っています。それは、ギャンブルと言うものが、続けて行けば必ず確立に収まって行くからです。昨日勝った、今日勝ったと言っても、長い目で見れば、勝った分と同じくらい、あるいはそれ以上に負けるのです。それは10年20年とギャンブルを続けて行けば答えは明らかです。

 それでもギャンブルファンがいて、やり続けるのはなぜかと言えば。彼らは勝利体験を手に入れたいのです。何かに勝つと言う爽快感を味わいたいのです。それだけ日常の仕事と言うのは成功体験、勝利体験とは縁遠い、組織の中の一つの歯車のような仕事ばかりなのでしょう。

 それゆえギャンブル好きなサラリーマンは仕事を終えるとわずかな時間を使って、小銭でパチンコをして、あわよくば勝利を手に入れようといそしむのです。10回に一回の成功でもいいから、勝利を体験したいのです。

 サラリーマンが3000円使って、1万円の勝利を掴むなら、可愛い疑似勝利体験です。それで満足できるなら、パチンコは世間の人が言うような社会悪ではありません。その程度の遊びは許されてもいいでしょう。酒も同様に、何をどうして行っていいかわからない人の傍に優しく寄り添って成功の夢を見せてくれます。疑似成功体験を提供してくれます。それはある意味必要なことです。

 一平さんにとって不幸なことは、隣に常に大谷選手がいたことなのでしょう。彼の成功に比して、一平さんのギャンブルは小さすぎたのです。1つ思いっきり大きく勝負してみたいと、常々狙っていて、大勝負を繰り返しているうちに、6億8千万円の穴をあけたのです。普通の大物タレントならそれほどの使い込みをされたなら、事務所倒産になるでしょうし、タレントも二度と浮かび上がれないでしょう。然し、大谷選手は、「二度とするなよ」と言って、一平さんを許し、使い込んだ金を与えたのです。普通は出来ません。大谷選手だから出来ることです。

 然し、一平さんの心は一層晴れないでしょう。情けを賭けられて、大谷選手に助けられるのは不本意です。いつかまとめて現金を返したいのです。それにはどこかでとてつもなく大きな成功体験をしなければなりません。返せる当てはギャンブルです。

 バカだ、無謀だと言われても、やって見たいのです。傍に大谷選手がいるからなおさら大勝利に浸りたいのです。私にはわかります。ギャンブルマニアの本心は金ではなく、勝利体験にあるのです。

続く