手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ギャンブルは危険

ギャンブルは危険

 

 当たり前の話ですが、水原一平さんによる、大谷選手の銀行預金の使い込みは、改めてギャンブルに深入りすることの恐ろしさを知らされた事件でした。

 恐らく一平さんも、初めは自分自身が何百億円も負けるとは思っていなかったはずです。然し負けが込んでくると、全く周囲のことが見えなくなって来るのです。勤め帰りにパチンコをして、5千円負けた、1万円負けたと言うなら、その負けは給料日になれば穴埋めが効きます。自分自身で制御できる負けです。その程度の金額でギャンブルをしている分には、ギャンブルは遊びなのです。

 ところが、ギャンブルの赤字が月給の金額を超えてしまうと、内心穏やかにはいられなくなります。多くのサラリーマンは、給料以外に借金を返す方法がないのです。この時、人は二つの判断をします。

 一つは、ギャンブルをやめることです。とにかく借金返済に専念して、1年でも2年でもギャンブルをやめます。これは常識的な判断です。こういうふうに考えているうちはまだ社会で生きて行ける人です。

 ところが、中には、ギャンブルで作った借金をギャンブルで補おうとする人がいます。これがギャンブルの危険な道に入る序章になります。ギャンブルに嵌って身動きできなくなる人は、ギャンブル以外のことが考えられなくなる人が多いのです。

 色々な趣味を持っていて、人との交流のできる人は、それだけで、ギャンブルをする時間が限られていますから、そう大きな負けはないのです。また、趣味を生かして、例えばメルカリなどでレトロなおもちゃを売り買いなどして、少しの収入を得ているとか、漫画を描いてそのイラストがわずかな収入になっているとか、学生時代からやっていたマジックを生かして、近所のレストランでマジックを見せて収入を上げているとか、何らかの形で趣味で、収入を得ていたりすると、それなりに生きがいが見出せます。新たな仲間の輪も生まれます。それが人生を充実させることにつながります。

 趣味で得た利益がギャンブルの借金の返済に充てられるとは考えられませんが、何か趣味を持っていて、その趣味で地域のリーダーになったり、人の役に立っている。なんていう人は、何か問題が起こっても、周囲に協力者が現れ、対処ができるようになります。それもこれも常日頃心にゆとりを持っていて、少しずつでも趣味に時間を使ってきたから出来ることで、朝から晩までギャンブルに明け暮れていては、誰も力を貸してくれる人も出て来ないのです。

 

 一平さんは、たまたま隣に大谷選手がいたことが、人生を狂わせてしまったわけです。例えて言うなら宝くじの一等を当てたようなもので、大谷選手がいたことで、当面の借金を逃れることが出来たのです。でもこのことが同時に悪魔との契約につながることになったのでしょう。

 ギャンブルをする人は、最後の最後まで自分が勝利すると言う気持ちを捨ててはいないのです。手持ちの金がなくなる瞬間まで、奇跡が起きると信じています。100億円負けても、次に投資する百万円でそれまでの負けを巻き返す。そう信じているのです。

そして、他に金を生み出す方法があれば、気持ちを切り替えて別の解決策を探したはずですが、趣味や目的のない人は、結局ギャンブルでしか金を作ることが出来ませんから、勝利を夢見て金を使い続ける結果になります。そうなると、全く勝利する根拠もないのにただひたすら自分は勝つと信じて、借りられる金は手当たり次第に借りて、家にある金目のものは全て金に変えて、最後の最後までギャンブルに投資します。結局は破産するまでギャンブルは続きます。

 酒のみが酒におぼれ、薬中毒の患者が薬におぼれて行くことと同じで、ギャンブルはギャンブルにおぼれて行きます。傍から見ればそうなることは目に見えているのに、当人だけが気付きません。ギャンブルに嵌った人は、通常の人が見ることのない、幻想の世界に入り込んでしまって、そこを現実の空間と勘違いし続けます。

 服が汚れていても髪がぼさぼさでもそんなことには頓着しません。幻想の世界では自分の姿が冷静に見られないのです。周囲の人は「なぜああなるまでギャンブルに金を投資し続けるのだろう」。と思いますが、当人は気付きません。

 親身になってくれる家族や、仲間がいたなら、何とか立ち直る可能性はあります。でも、ギャンブルにしか興味のない人は、自ら家族や仲間を遠ざけてしまっていますので、仲間の信頼を失っています。手を差し伸べてくれる友人もなく、一人泥沼に嵌って行くのです。

 一連の一平さんの行動を見ていると典型的なギャンブル依存症の道です。恐らく、その途中には何度も自分を立て直せる可能性はあったのでしょうが、チャンスを自らが潰してしまったのでしょう。残念ですが今となってはどうにもなりません。

 それにしても、世の中はなぜ、出世街道をまっしぐらに生きて行く、太陽のような大谷選手と、裏街道で悶々と、当てもない勝利を信じて、借金して悩む一平さんのような人を並べて生活させるのでしょう。神様と言うのは何と残酷なものなのでしょう。

 一平さんの人生の成功は、大谷選手を知り、信頼を掴んだことであり、同時に一平さんの転落はその大谷選手の信頼を裏切ったことです。でも、もし大谷選手と知り合わなければ、一平さんは数十億円などと言う大借金を背負うことはなかったでしょう。

 彼の信用で借りられる借金はわずかなものだったはずです。逆説的に言うなら、大谷選手との付き合いがなければ、なんとか自分の働きで返せた借金だったのかも知れません。

 なまじ大谷選手を知ったばかりに、桁外れた大借金をしてしまい、もう戻るに戻れないところに来てしまいました。飛んでもない人生を経験をして、天国と地獄を体験したわけです。もし私が一平さんだったらこの先どうするかと考えたなら、私なら、獄中でこの数年間の体験談を文章にして本を出すでしょう。

 こんな体験をした人は一平さんよりほかにはいないのですから、人生を落後した人間の目で、大谷選手を語る手記を出すでしょう。世の中は勝利する人よりも、負けた人の方がはるかに多いわけですから、大多数の人の共感を呼び、体験談はきっと争うように読まれるでしょう。上手くベストセラーになれば、借金も返せるでしょう。迷惑をかけた大谷選手に報いることもできます。

 僅かでも収入が残れば、元の奥さんと寄りを戻すことも出来るかも知れませんし、小さな店を借りて、商売をして暮らして行くことも出来るかも知れません。そうして生活が安定したら、又ちょっとギャンブルも出来るかも知れません。いや、いや、それはいけません。少しも凝りていませんね。

続く