皴皺爺さん
私が子供の頃ですから、昭和30年代のことですが、その時代の年寄と言うのは明治生まれと決まっていました。明治生まれの人と言えば、男も女もみんな痩せて小さな人が多かったように思います。
私の祖父からして小柄で、150㎝あるかないかの人でした。祖母は少し大きく、153㎝くらいだったのではないかと思います。二人とも痩せてはいませんでした。祖父は毎晩酒を呑んでいて、顏は赤ら顔で額に皺がありました。祖母も額に皺がありました。
母親の祖父母も似たようなものでした。母親の祖父は背が高く、と言っても恐らく160㎝くらいだったのではないかと思います。痩せて、丸顔で額や頬に皺がありました。祖母は150㎝くらいだったように思います。腰が曲がっていて、部屋の中を歩くのでも、腰を90度に曲げて歩いていました。
私がその姿を真似て後ろから歩いて行くと「これこれ、人の真似をするんじゃぁないよ」と言って弱弱しい声で叱りました。見るからに痩せて弱弱しい人でした。何にしても子供のころの私からすると、祖父母と言うのは全く別の人種を見る思いでした。
今、私が祖父母の年齢になって気づくことは、当時の祖父母はせいぜい50歳くらいだったのです。50歳で腰が曲がり、額や頬に皺が寄り、髪の毛は薄くなり、昔話に出てくるような、絵にかいたような、爺さん婆さんになっていたのです。
私が何を言いたいのかと言うと、私の知人友人が最近軒並み70代以上になっています。私が70歳ですから当然です。マギー司郎さんなどは77歳になります。ボナ植木さんは71歳です。
そうした人達をしみじみ見ると、顔に深い皴などほとんどなく、歩き方も別段年寄り臭い動きはしません。知人友人もみな同じで、何らかの持病はあっても、普段の生活は実に健康的に過ごしています。
そしてみんな何らかの仕事をしています。仕事をすれば収入があるでしょうから、当然の如く身なりも小ざっぱりしています。つまりかつての年寄り臭のむさ苦しさはどこにもないのです。
「そんなことは今の時代なら当たり前でしょう」。と言えばその通りです。でも、かつての年寄りを知るものとしては、大きく変化していることが驚きです。もう50歳の老人と言うのはいないのです。
そうなら、今の時代に老人と呼べる人はいくつくらいなのかと考えると、80歳を超えるとかつての60歳くらいの老人のように見えます。すなわち、昭和30年代と、令和では、老人の年齢が20年上がっているのだということが分かります。
実際平均寿命もそれくらい伸びているでしょう。昭和なら60を過ぎると仕事をやめて、そこから先は隠居生活をしていましたが、今は働こうと思えばまだ10年、20年働けます。実際いい活動をして稼いでいる70代はたくさんいます。
しかも、昭和30年代なら、60を過ぎると寿命が尽きてしまいました。70歳を古希(こき=古くは稀な年齢)と呼びますが、実際、昭和30年代でも70歳は稀な年齢だったのです。
実際、日本人の寿命を延ばした理由は、医療の充実と、食生活が良くなったことでしょう。昔の年寄りが皴皺な顔をしていたのは、痩せていたからでしょう。今の人は顔に張りがありますし、生活が安定しているせいか、深い皴が殆どありません。それだけ生活しやすくなったのでしょう。
アメリカを見ると、アメリカ人は、日本より食生活が豊かなせいか、体つきも大きく、太った人が多いようです。大体70歳くらいまでは日本人と同様に元気に生活しています。ところが、60代の後半から急に成人病を発症する人が増えるようです。一つは太り過ぎがあるのでしょう。心臓に負担がかかって、心筋梗塞になりやすいようです。アメリカ人は日本人よりも6~7歳早く寿命を終えてしまいます。
その点日本人は、世界的にも寿命が長いようです。然し、一つ気を付けなければいけないのは、知らず知らずにどうでもいいものを食べていることです。防腐剤であるとか、人工着色料であるとか、農薬であるとか、食品添加物を食べることで、何十年か経つと体を蝕んで行きます。
そうなると分かっているなら、そうした危険な薬品の使用をやめたら良さそうなものですが、なかなかやめません。もし私がこの先寿命を迎えたときに、一体何が原因で寿命が来たのか、きっとよくわからないのではないかと思います。
なぜなら、子供のころから妖しい薬品を知らず知らずに食べていました。お菓子やジュースだとかに、サッカリンだとか、チクロだとか、砂糖でもないのにやたらと甘い薬が堂々と子供が食べるお菓子の中に入っていたのです。それが危険であるなら先に言ってくれればよいものを、散々売っておいて、子供は知らずに、「甘い、おいしい」。と言って食べた後に、「あれは体に悪い」。と言うのはひどい話です。
体に悪いものなら売ってはいけません。今売っている食品も、防腐剤も、人工着色料も、農薬も、体に悪いならやめた方がいいでしょう。
私は、日ごろは防腐剤など入ったものは食べないようにしていますし、インスタント食品もめったに食べません。然し、出先で出される食べ物や、弁当にの中に何が入っているのかまで突き止めて食べることはできません。知らず知らずに危ないものを食べているのです。
私などはこれまでの人生で妖しいものばかり食べ続けて来ましたから、仮に寿命を迎えたときに、一体何が原因で寿命を縮めたのか見当がつきません。昔駄菓子屋で売っていた、ストローの中に入っていた、赤や黄色で着色した毒々しい甘い寒天のお菓子など、恐らくサッカリンや人工着色料をふんだんに使っていたのでしょう。あれを65年前に喜んで食べていて、今になって「サッカリンなんか食べるから体を悪くしたんだ」。と言われたら、どこに不満を持って行ったらいいのでしょうか。
つまり人は知らず知らずのうちに人体実験にされているのです。サッカリンによって、あるいは防腐剤によって、私たちは、半年、一年くらい、寿命を縮めているのです。然しその責任は誰にも問えないのです。
然し、世界を見渡せば、食べるものがなくて短い寿命を終えて行く人たちもいます。ただただ腹を満たすだけの味気ない食事を毎日食している人たちがいます。それを思えば、のどぐろの塩焼きが食べたいだの、金目鯛の煮つけが食べたいだの、オコゼのから揚げで一杯やりたいだのと、能書きを垂れている身は贅沢です。
子供のころに、例えインチキ臭い、毒々しい色の寒天を食べて育ったことで、半年くらい寿命が縮まったとしても、そこそこ長生きできたなら満足すべきなのかもしれません。怪しい防腐剤入りの食品を食べたとしても、アメリカ人よりも長生きしたなら、充分儲けものなのかもしれません。幸せは思いようです。
続く