手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

お肌のお手入れ

お肌のお手入れ

 

 私は子供のころから肌が奇麗だと褒められました。私自身はそのことを意識してきたわけではありません。また、もし神様が人並み優れた特技をくれると言うなら、肌などどうでもよく、もっと別の才能があったらどんなにいいかと思います。

 それでも、これまで会う人、合う人に肌の艶や、きめ細かさを褒められます。アメリカでショウをしていると、白人の女性司会者や、女優が寄って来て、真剣に私の肌を眺め、「ちょっと触ってもいいですか?」。と尋ねられます。無論OKです。彼女らは真剣に私の頬や、額などに触れ、「どうしたらこんな肌になるのですか?」。と尋ねます。その都度、私は答えに窮します。私自身が工夫をして、苦労を重ねてこうなったわけではないからです。

 いきなり答えを言ってしまうと、私の肌は遺伝です。私の父は、お笑い芸人だったことは、このブログで何度も書きました。その親父は、体が小さく、太っていて、頭が大きく、見た目が三等身で、見るからにお笑いの世界の人でしたが、肌が素晴らしく綺麗でした。

 体形が体形ですから、多くの人は気付いていなかったのですが、親父は晩年に至っても、しわや、しみがほとんどなく、色は白く、とても奇麗な肌をした人でした。どうも私は親父の血を受け継いだようです。幸せと言えば幸せなことです。

 もし、私がタレントとして、注目されるようなことがあって、化粧品のコマーシャルにでも出ることがあるときは、親父に感謝しなければなりませんが、既に年齢も69歳になってしまいましたので、もう化粧品のコマーシャルに出ることはないでしょう。

 そうであるなら、なぜ私の肌が奇麗なのかを種明かししましょう。つまり、私の親父と私自身には共通点があります。

 

 私の親父は、普段全く化粧品を使っていませんでした。保水のためのローションも、アフターシェーブローションも、ほとんど使っていたのを見たことがありません。私も同様で、使う時は一番安いローションだけです。

 ステージに上がるときに、ドーラン化粧をしますが、終わるとすぐに化粧を落とします。その時、安いローションを塗って、それでお終いです。こんなことなら、舞台人なら誰でもするでしょう。そうです、私も親父も特別肌をいたわるようなことを一切しなかったのです。

 ではどうして、肌が奇麗なのか。その答えはストレスを溜めないことです。肌は外から、化粧品や薬品を縫って奇麗になるものではありません。何かを塗れば、毛穴をふさいでしまいます。毛穴が詰まれば体内の新陳代謝に狂いが生じて来ます。化粧品にこだわる人の多くが陥る負のスパイラルがそこに生まれます。つまり気を使えば使うほど、肌が荒れるのです。

 肌は内臓とつながっています。胃弱であったり肝臓が悪かったりすれば、覿面に肌は汚れて来ます。便秘で体内の汚れを抱えていれば、忽ち肌に吹き出物が出て来ます。肌を奇麗にしたかったら、内臓が順調に作用しない限り肌は美しくはなりません。

 日常にストレスを溜めず、天真爛漫に生きてこそ艶々の肌が維持されるのです。と、こう言えば誰でも納得する話です。しかし現実にストレスを溜めずに生きることほど難しいことはありません。現実の人生は、朝から晩迄ストレスの障害物レースのように次から次と嫌な問題が起こります。時にはストレスで押つぶされそうになります。

 

 私の親父は、いつも嫌な話から逃げ生きて行った人でした。収入は家に入れず、わずかに麻雀やパチンコで稼いだ金は自分の小遣いに使い、働くことから逃げ回って生きて来た人でした。

 家の引っ越しの際には、数日前からいなくなり、引っ越しから数日経ってから、「おいどこに引っ越したんだ」。と電話が来ました。そして片付いた新居にやって来て、転がって、「結構いい家だな」。と言って満足していました。当然こんな生き方ならストレスはたまりません。

 私はそこまで人任せには出来ません。それだけにストレスも溜まりますが、どうにも解決のできない問題が来た時などは、ふっと考えを切り替えて、子供や犬を連れて散歩に出たり、本を持って喫茶店に行ったり、アトリエでマジックのアイディアを練ったりして、気持ちを切り替えて来ました。

 突然違うことをするのです。そしてそのことに没頭したあと、夜になってから、もう一度、朝に悩んでいたことを考え直します。すると不思議なことに答えが生まれるのです。例えば、一週間以内の100万円が必要だと言う話が来ると、「100万円なんてどうやったってできない、どうしよう、どうしよう」。と悩みます。

 そんな時に、一度考えることをやめて、別のことをします。そして時間を置いてもう一度一から100万円について考えてみます。すると、何も一週間ですべて100万円用意する必要はない。と言うことに気付きます。とりあえず30万円あれば、あとは月末の支払いでもいいことに気付きます。「それならできる」。と希望が見えてきます。

 こんな簡単なことがどうして朝に思いつかなかったかと記憶を辿れば、いきなり、大きな金額を言われて、その時に頭の中が一杯になってしまったからです。どうしよう、どうしようと、答えの出ない話に苦しみます。然し、悩んでいても自分を責めるだけです。悩んで答えの出ないことは一度頭から切り離して、脇に置くのです。

 その上で、犬の世話をしたり、幼い娘とみかんを食べながら、なぞなぞをしたりしているうちに、知らず知らずのうちに、頑なに思い詰めていたことが徐々に崩れて行きます。岩のように大きな問題が、実は岩ではなく氷で、日が照って来ると氷が崩れて小さく割れて来ます。「あ、今なら担いで動かせる」。そう思った時にチャンスが来るのです。

 ストレスを溜めても何も解決はしません。解決しない問題を繰り返し思い悩んでも無駄なのです。問題から自分にできることを探すのです。そこで初めて問題は解決策が生まれます。そんなことをして、何とか今まで生きてきたのです。

 話が長くなりましたが、肌は、外から何かを塗っても奇麗にはなりません。無駄な思い込みや、悩むことが皴を増やし、肌を荒らします。困難が来たなら、立ち向かうのではなく、しばらく避けるのです。

 避けているときは、悩まずに、娘や仲間とくだらない話をしたり、ギャグを考えたりします。親父もそうでした。どうにもならないときの親父は実にくだらないギャグを言って周囲を笑わせました。真剣味がない、と言えばその通りですが、それこそ親父の天性の才能でした。私もそのくだらなさを受け継いでいます。

 逃げ道があったお陰で。大きな困難を交わせて来れたのです。大きな問題はどうしても克服できないのです。そこから自分にできることを探すのです。そうすれば案外問題は解決し、同時に肌も維持されます。但し、これを書いてしまうと化粧品会社から出演依頼が来なくなります。もう諦めたからこそ書ける話です。お肌の手入れの秘策は、ストレスを溜めないこと。そして笑いを失わないことです。

続く