手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

模様替え

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 先日一階のアトリエにある大道具を猿ヶ京に持って行って、道具が無くなった分部屋を広く使って、稽古スペースを広げようと考えていると言う話をしました。

 然し、いざ道具を運ぼうとしたときに、水芸の話が来てしまい、しばらく道具はそのままにすることにしました。そうした結果、アトリエには、水芸だけでなく、10月のリサイタルで使った峰の桜、ギロチン、一里四方取り寄せ、と言った大道具がひしめき合って。狭い稽古スペースを一層狭くしています。

 やむなく稽古をする際は道具を外に出して稽古していますが、どれもかなり大きな道具ですので、ほんの少し移動するだけでもかなり苦労します。

 さっさと猿ヶ京に持って行ってしまえばいいのですが、いざ大道具を移動するとなると、2トントラックを借りなければならず、人の手配もしなければなりません。

 また、運んだ後に水芸などの注文が来た時には、またトラックと人手を手配しなければなりません。その手間と経費を考えると、簡単に移動は出来ません。いいタイミングを読んで行動しなければならないわけです。

 と言うわけで、猿ヶ京行きを躊躇しているうちに今年ももう終わりに近づいてしまいました。相変わらず道具に圧迫されています。困ったなぁ、と考えているうちに、女房が趣味でしているスペイン舞踊の先生のお家があって、たまたま舞踊の稽古場を修理することになり、しばらく大工さんが入るために部屋が空くと聞きました。そうなら、その修理の期間だけでも道具を置かせていただけないかとお願いすると、快く了解していただけました。

 そこで早速、今日、前田と学生さんを頼んで道具を舞踊の稽古場に運ぶことになりました。同じ高円寺ですので、そう大した移動ではありません。また、仮に、水芸などの仕事の依頼が来てもすぐに運び出すことが出来ます。助かりました。

 このため午前中は道具の移動をします。

 

 今年の私の仕事納めは31日です。大晦日までみっちり仕事が続きます。仕事と言っても指導ばかりです。これほど連日指導をする人生が来るとは考えてもいませんでした。

 まぁ、舞台の数が減ってしまっている現状では致し方ないことです。少しでもマジックに携われて、自身のマジックが生かせるのですから幸せです。そして、習いたいとう人が増えています。いいことか悪いことかはわかりません。

 今まであまり肌って指導を宣伝してこなかったのですが、いろいろな伝手から習いたい人が来るようになりました。今は時間にゆとりがあるから、指導もいいのですが、余り指導を増やしてしまうと、舞台が忙しくなったときに稽古を休まなければならなくなります。

 そうなったときに、生徒さんに迷惑が掛かります。指導の時間は際限なく増やさないほうがいいのではないか。いやいや将来のことを考えると、早々舞台が忙しくなるとも考えられません。もっと積極的に指導に回った方が良いのではないか。思案するところです。

 日本舞踊のお師匠さんや、長唄のお師匠さんなどは、ネットを利用して、リモート(同時配信)で日本全国の愛好家に指導しています。全くマンツーマンで指導がされていますが、結構時間を取られるために大変だと言っています。

 確かに映像を頼りに距離の離れたところに住んでいる人に指導をするのは簡単ではありません。それでも離島などに住んでいて、日ごろ指導を受けられない人にはこのシステムは有り難いことかとは思います。

 ただ、それを私がすることが良いことなのかどうかと考えると躊躇してしまいます。マジックの指導はよほど相手のことが分かっている人に指導しないと、あとで問題がたくさん出て来ます。

 習った傍から「また教え」して、たちまち家元になってしまう人があります。DVDでレクチャーして道具ごと販売する人がいます。中には種明かしをする人がいます。

 別段種明かしをするわけではなくても、稽古もしないままあちこちでひどい演技を見せて、種明かしに近いことをしてしまう人もいます。一度教えてしまえば、そこから先は追いかけて苦情を言っても全く無駄なのです。

 指導は肌ってするものではありません。指導の押し売りなどは決してしてはいけないのです。よくよく相手を見定めたうえでなければ安易な指導は出来ないのです。

 然し、同時に、誰かに教えなければ芸の継承は絶えてしまいます。芸能を残す、と言う点では芸能実演家がその経験を誰かに伝えて行かなければなりません。考え方や種仕掛けを紙やDVDで残しても、それは抜け殻にすぎません。

 習う方でも、実際に先輩芸人のいい演技を目の当たりに見て、ものすごい拍手を聞いた後に、楽屋なり、舞台脇などで語ってもらう経験談ほど身に染みるものはありません。こんな一瞬を経験したときに、全ての考えが突き抜けて、自分が何をしなければいけないかがわかるのです。

 指導も同様です。教える内容だけでもなく、何気に先生が指導中に語っていたことや、ちょっとした仕草などが、どれもこれも貴重な体験であり、アドバイスになります。それを直接手に入れた時の感動は計り知れないものになります。

 時々、「俺は誰からも習わずに、DVDやビデオでマジックを覚えた」。と自慢する人がいますが、それは自慢ではないのです。誰からも習わなかったのではなく、誰からも相手にされなかったのです。つまり、誰からも芸を継承されていないことです。芸能は直接継承されない限り伝わりません。

 継承とは種仕掛けではないのです。

 まだ親父が元気だったころ、よく私の家に来て泊まって行きました。すぐに家に来ないで必ず駅前の寿司屋でビールと刺身を頼んで飲んでいます。そして店から電話をして私を呼びます。酒と肴と話し相手がいたなら親父は幸せなのです。

 いつも上機嫌で昔の話をします。屈託のない人で、昔の話を面白可笑しく話します。人に言えないようなバカバカしい話もします。話をしながら刺身をつまみ、ビールを飲む、その姿が如何にも根っからの芸人で、陽気で、無邪気でした。

 私はそんな親父を見て、「あぁ、こんな雰囲気が出せたらどんなにいいだろう」。と思っていました。私は親父から直接喋りの芸を習ったことはありませんでしたが、のべつ脇で見ていて学びました。芸人の生き方は継承したようです。

 今あの時の親父の年になって、親父が何を伝えたかったのか、時々気付くことがあります。さてそれを誰にどう残して行くのか。余すところあと数日。早や歳は暮れようとしています。

続く