手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

生ったり生ったり

生(な)ったり 生ったり

 

 今日(17日)は、人形町玉ひでで手妻の公演を致します。毎月一回、第三土曜日に公演して、13か月が経ちました。ようやく一年、まだまだ道半ばです。私の活動はどれも長いのが特徴です。

 どんな活動も、いきなり成果を出そうとしてもいい結果は出ません。長く続けて行くうちに思わぬところから評価を受け、人に支持されます。

 突然テレビ出演を頼まれたり。世界大会のゲストに招かれたり、文化庁から賞を頂いたり、どれも狙ってしたことではなく、活動に対して、道中で手に入れた成果です。

 私のリサイタルは、24歳から始めて、今まで42年続いています。今年の10月24日(月)座・高円寺で久々公演します。

 アマチュアを主体とする、マジックマイスターは9月4日(土)座・高円寺で開催します。この催しは20年続いています。

 実力あるプロマジシャンと、若手マジシャンとの交流、ヤングマジシャンズセッションも、来年1月8日(土)9日(日)二日間、座・高円寺で開催します。この活動も5年続いています。

 大阪セッションは11月26日(金)道頓堀ZAZAで致します。これも4年続いています。

 福井の天一祭は11月27日に開催します。これも9年続いています。

 

 会の開催は集客に苦労しますが、苦労は覚悟でやらなければいけません。苦しみ続けているうちに、徐々にお客様がついてきて、そのうちお客様から、毎年の開催を楽しみだと言ってもらえるようになります。

 こうした活動を続けて行くうちに、全国でマジックショウが普通に開催できるようになれば、マジシャンは今以上に舞台の場が広がって行くでしょう。

 そうなれば、イベントの依頼が来るか来ないか、毎月毎月スケジュール表を眺めながら不安な生活をしなくても、自主公演だけで生きて行けるようになります。

 芸能人の活動はとかく受け身です。仕事依頼の電話がかかってくることをひたすら待つ人生です。私の親父がそうでした。

 然し、舞台出演には偏りがあり、毎月毎月出演チャンスが豊富にあるわけではありません。私の親父も、忙しいときは得意満面の顔をしていましたが、仕事がないときはしょげて、家で小さくなって本を読んでいました。あまりに暇だと、小銭を持ち出してはパチンコをしていました。

 そんな親父の姿を見て、私は、仕事のないことを嘆いていてもどうにもならない。ないときに慌てても誰も助けてはくれない。先ず、自分でなんとかしなければ、周囲の協力も得られないだろうに、と思っていました。

 すなわち、私が自主公演を熱心にするのは、親父の生き方を見た上での私の答えなのです。

 

 私自身のリサイタルを言うなら、これまで50回以上公演して来ました。公演のたびに新しい作品を出してきました。随分と野心的なショウも作ってきました、然し作品はリサイタルのための一回こっきりの物ではありません。

 そこで考案した作品の数々は実際に今の舞台に生かされています。リサイタルがなかったなら、これほど多くの作品を作ろうと言う気にはならなかったでしょう。

 世間のマジシャンの言う、営業手順だけを演じていては、レパートリーは増えません。毎回違うお客様を相手にしていれば、新作などいらないのです。

 パーティーやイベントばかりしていると作品は出来ず、ハンドリングは進歩せず、何より自身の心の中を見ることはなく、マジックが少しも前進しないのです。

 プロは自ら作った手順でお金を稼いでみせるのがプロなのですが、注意しなければならないことは、稼ぐことに慣れると、創作を考えなくなります。

 創作活動は、純粋に自身の想いの中にある無形の物を探し出して、形にして行くことです。まるで遺跡の発掘作業のようなもので、本当にそこにあるのかどうかも分からないのにひたすら心の中を掘り続ける作業です。活動のほとんどは手間仕事で、およそ収入とは無縁の作業です。

 幾つになっても、ゼロから物事を考え、物を作りながらも、「それが本当にしたいことなのか」を自身に問うています。「やりたい、やりたくて仕方がない」。という答えが返ってくれば、時間と費用をかけて創作します。

 作って行って、よい作品になりそうだと判断できたなら。自身の手作りの稚拙な小道具を、職人のところに持って行って、木工や、金属で作ってもらいます。

 同時に衣装屋さんに相談して衣装を作ります。三味線の師匠を訪ねて作曲してもらい、舞踊の師匠を尋ねて振り付けを依頼します。そうして全部できたなら、道具から衣装から、演奏家から招いて、実際の演技をします。

 ここでも常に自身に問いかけます。「本当にこれでいいのか、これで満足か」と、いい加減な妥協をすることなく、これが本当に心の中から演じたかった演技なのか。何度も問いかけながら稽古をします。

 わずか3分、5分の演技でも、その作品は、一つ一つ自身の考えが蓄積されて作られていった私の財産です。私がこの世に存在していなければ影も形もなかった作品です。

 

 そうして出来上がった作品を一作、或いは二作とリサイタルで発表して来たのです。植瓜術、蝶、水芸、お椀と玉、12本リング、金輪の曲、卵の袋、紙卵、真田紐、ギヤマン蒸籠、傘手順、どれもこれも数か月、数年をかけて作った作品ばかりです。

 中には発表してもあまり受けの良くなかったものもあります。いいと思ってしたことでも何もかも名作にはなり得ないのです。それでも私自身は深い愛着があります。

 

 さて今日は、玉ひでで、植瓜術を演じます。たびたび演じていますので、早々心配なものではありませんが、演技自体が15分かかります。全編せりふ劇です。最近物忘れをするようになって、セリフが止まることがあります。

 昨日稽古をしました。稽古をしている分には心配ありませんが、いい調子でテンポよく進行させないと、終わったあとで不快感が残ります。自身のセリフが突然止まらないように、何度もセリフをつぶやいています。「生ったり生ったり」。さて上手く瓜が生るかどうか。

続く