手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

霊能力者

霊能力者

 

 私自身には、人を越えた能力は有りません。全くないかと言うと、少しだけあります。然し、その能力は、物の役には立っていません。ましてや職業であるマジックの役に立ったことはありません。

 これが能力なのかどうかはわかりませんが、私は、幼いころのことをよく覚えています。記憶を辿って行くと、二歳になったかならないかの時のことまでたどり着きます。友人にその話をすると、「そんな幼いころのことは覚えていない」。と言います。

 私は断片ですが覚えています。友達と積み木遊びをしていて、その積み木を窓の外のどぶに捨てたことを覚えています。あとで母親がそのどぶを浚って、積み木を拾っていたことを記憶しています。この時住んでいたアパートが、大田区一ノ蔵にあって、そこに暮らしていたのが、一歳半から二歳半くらいのわずか一年だったため、記憶はその時のものです。

 私は池上の生まれですが、池上にはお会式(おえしき)と言うお祭りがあって、そこでヒヨコを買ってもらったのを記憶しています。可愛くて可愛くて、いじっていたのですが、翌朝には死んでいました。そのヒヨコが冷たくなって紙箱の中で倒れていたことを記憶しています。

 二歳のころの記憶は他にも、いくつかあります。かなり鮮明に記憶しているので、後年、ひょっとして、記憶を辿れば、生前の、生まれ変わりの記憶も出て来るのではないかと思い、ひたすら子供のころのことを考えましたが、ついぞ、生まれる以前には辿り着きませんでした。結局記憶退行の能力は私にとっては何の恩恵もありませんでした。

 

 時々予知を感じる時もあります。東北の地震と熊本の地震は予知を感じました。それに気を良くして、数年前、東京の地震を感じたときには外れました。この時、自分の予知能力は当てにならないことを知りました。以来何かを感じても人に語らないようになりました。

 くじ運がいいと言うことは子供のころから言われていました。それも、商店街の福引とか、学校のくじで当たると言った程度のもので、宝くじなどは殆ど当たりません。

 それでも、小さな当たりは頻繁に引きます。30年くらい前に、盛岡駅で、新幹線開設10周年だかの記念で、私が新幹線を降りた途端、駅員さんがやって来て、「おめでとうございます。あなたが10万人目のお客様です」。と言われて、持ちきれないほどの盛岡の名産(お菓子や漬物)を詰めた紙袋を二つ渡されました。

 その時私は盛岡マジッククラブの指導で来ていて、スーツケースを二つも抱えていました。これ以上荷物を持つことができませんから、「そのお菓子は寄付します」。と言って断ったのですが、「それは困ります」。と言われて、無理無理持たされました。困ったのは私です。

 くじ運と言うのは別段才能を磨いて運が良くなったのではありません。たまたま幸運が寄っただけのことでしょう。その幸運も、永久に幸運が続くわけではなく、人生のうちに10回あるとする幸運がたまたま若い時期に寄り集まっただけなのかもしれません。

 余り早くに運を使うと肝心な時に不運になる場合もあります。そうなら、福引くらいで運を使ってしまうことは決して長い人生の幸せにはつながらないでしょう。むしろどうでもいいことには運を使わない方がいい人生が歩めるはずです。

 パチンコでも競馬でも、のべつ入り浸っている人たちを見ると、決していい生活をしている人はいません。服装も粗末で、生活も余り自慢できそうな生活をしていなそうです。

 ギャンブルはスリルがあって、一時日々の仕事のつらさを忘れることができますから、気分転換には面白いものです。楽しいことをすることは間違ってはいません。但しギャンブルを遊びと割り切って、余分な小銭で遊ぶ程度なら幸せを維持できますが、競馬やパチンコで生活をしようとすると、たちまちお金は身につかなくなります。

 ギャンブル好きが決して幸せな人生を送っているように見えないのは、恐らく、運を毎日使い続けた結果なのだと思います。ギャンブルは、透視能力であるとか、予知能力を持っていれば、相当に稼ぐことができますが、そんなところで才能を使ってしまうと、一旦能力が衰えて来た時に、その先は何の根拠もなく生きて行かなければならなくなりますから。一気にわが身の不幸が始まります。

 

 私の親父は競馬も競艇も大好きで、子供だった私を良く競馬場に連れて行きました。その道々、「あすこにある植木をどかしてごらん」。と言います。何のことを言っているのかわかりませんが、植木をどかすと、そこに50円玉が置いてありました。

「50円あったよ」。と私が持って行くと、「そうだろう。もらっておきな」。と言いました。当時の私に取っては50円は大金です。今と違って50円玉は500円玉ほどもある大きなお金でした。「どうして植木鉢の下にお金があるってわかったの?」。と親父に聞くと。

 「博打好きと言うのはね、自分が博打を始めると、帰りの電車賃まで使ってしまうことを知っているんだ。だから、使い込まないように、行きがけの道に帰りの電車賃を隠しておく人がいるんだよ」。

 なるほど博打好きの親父でなければ気付かない発想です。「でも、その隠し場所が植木鉢の下にあるって、どうして気づいたの?」。「大概の植木鉢なら、長いこと置きっぱなしになっているだろう。それがあの植木鉢だけ、植木鉢の位置が少しずれていたんだ。埃をかぶっている棚に植木鉢の丸い跡がずれて、少しだけ奇麗なところが見えたんだ。あれはきっと誰かがお金を植木鉢の下に隠して、鉢を元に戻しておいたに違いないと思ってさ、そうしたら案の定お金があったんだ」。

 私はこの時、親父の才能に舌を巻きました。世の中には、帰りの電車賃を道端に隠す人がいて、それをさらに探し当てて横取りする人がいると言うことを初めて知りました。これは決して予知能力で当てたわけではありませんが、一つの才能であることは間違いありません。

 それにしても、すってんてんに博打で取られて、頼みの綱にしていた電車賃まで抜かれて、何もかも取られた人の心持と言うのはどんなものでしょう。絶望の中を歩いて家に帰らなければならないでしょう。そんなばくち打ちの心の読める親父を私はすごい才能の人だと思いました。然し、だからと言って親父のようになりたいとは思いませんでした。

続く