手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ギャンブラー

ギャンブラー

 

 このところyoutubeでポーカーの画像がたくさん出るようになりました。ポーカーは若いころ、楽屋でやる暇つぶしの貧弱な遊びは随分やりました。但し今のポーカーは全く違います。彼らのすることに全く場末感がありません。

 先ずラスベガスや、モンテカルロのゴージャスなホテルに行って、その贅沢さを楽しみます。ここが日本のパチンコや競艇とははっきり違います。 映像の作り方がうまいのと、若い人が楽しそうにポーカーをしています。時には、一回80万円などと言う勝負があって、結構手に汗握ります。視聴者にとっては、未知の世界を覗き見る楽しみがあって結構スリリングです。

 特に驚かされるのは、優勝賞金で、参加者2000人とかの集まりで、一人参加料が20万円などと言う金額が先ずすごいのですが、参加料は恐らく半分くらいをチップに替えられてそのまま勝負できるわけですから、やらずぼったくりではないのです。

 参加者全員がポーカーの参加者で、徐々に敗退して行って、上位120人くらいから、賞金が付きます。その賞金が、10万円くらいに始まって、人数が減るにつれて、100万円、300万円、とどんどん上がって行き、優勝しなくても1000万円などと言う金額になります。そして優勝者となると、2000万円から、1億円、参加者の数と参加料によっては最大10数億円くらいまであると言うのですから、飛んでもない金額です。

 あぁ、マジックの大会も優勝賞金が一億円もあったなら、そのコンテストは白熱するでしょう。そうなると、もはや若手の登竜門ではなくて、プロの稼ぎの場になるでしょう。でも、本来はそうあるべきなのです。何年も絶対にチャンピオンの場は譲らないと言う、老齢のプロマジシャンがいて、絶対の強さを見せれば、若いマジシャンに対しても、何をしなければいけないかを明確に示すことができます。

 人を育てる、芸を育てると言うことは、口で言うことではなく、先輩がその姿を見せて、稼いで見せることが一番なのです。そうした点で言うなら、優勝賞金を思いっきり引き上げることは最も価値あることだと言えます。

 その賞金ですが、ポーカーの大会では、恐らく参加費の50%くらいを賞金に充てているのではないかと思います。つまり、20万円の参加費を払うポーカーファンを2000人集めたなら、そこから半分を賞金に充てて、それを上位120人が山分けする。実に明快なシステムです。

 優勝賞金も、参加者の人数によって変わるようで、最終参加者を閉め切った後で、賞金が知らされます。この方法はマジックでも使えます。参加者を500人集め、参加料を通常5万円のところ、10万円もらいます。その半分を賞金に充てたなら、賞金総額は2500万円です。これを上位10人で分けたなら、チャンピオン賞金、1000万円も夢ではありません。そう考えたなら、マジックコンテストの賞金1000万円は現実の話になるのです。

 但し問題は、チャレンジャーが多すぎると大変です。ポーかのように全員参加は無理です。何とか、チャレンジャーを30人程度に絞らないと運営できません。マジックの場合は、何人までがチャレンジャーで、その他の人は見ることに10万円支払えるのかどうか、そこを納得させられるか、が運営の成功につながるでしょう。

 実際ポーカーの大会で、早々に敗れてしまった人は、他にすることがありませんから、負けた人はそれぞれ、残りの時間を自腹でポーカーをして楽しむほかありません。ラスベガスのように、、あちこちのホテルで遊べるようになっていれば、このやり方は上手く行きます。マジックコンベンションも参考になります。

 

 この先、日本にたくさんカジノが出来るようになりますので、ポーカーは、必ず流行り出します。そうなると、そこからカリスマギャンブラーが出て来るでしょう。

 何人かのyoutubeのギャンブラーを見ていると、いろいろ個性があって面白いのですが、一番方向がしっかりしていて、タレント性を感じるのが、「世界のよこさわ」でしょう。無論、私はこの人に会ったことはありません。youtubeで拝見しているだけです。

 マスクが童顔で、女性にも人気が出そうです。少し太っているのが気になりますが、今の膨らみ具合ならぎりぎりOKです。喋りも余計なことは言わずに、適当に遊んで、しっかり伝えることは伝えています。この人がマジシャンだったとしても、きっとそこそこのマジシャンになるでしょう。

 元の頭が良さそうだと言うことはすぐにわかります。年齢は30になったか、少し出ているくらいでしょうか。実際のポーカーの画像を撮って、その都度、なぜこういう判断をしたか、なぜ勝てたか、なぜ負けたか、ということを簡潔に伝えています。

 この伝え方が、他のギャンブラーと違う点は、内容が整理されています。どこまで語るか、ということは、配信するものにとっては最も重要なことで、全部言えばいいと言うものではなく、要点だけ協調して伝えられると言う人は、その人の頭の中が整理されているということなのです。

 この人は、恐らく他の仕事をしても相当にできる人なのだと思います。

 私が興味なことは、どうして、この人がギャンブラーになったのかということで、こうした頭のいい人が、ギャンブラーの存在に気付いたと言うこと自体が、この先、ポーカーと言うものが流行する前兆を予感させます。ある分野がいきなり大きくなって、盛り上がってゆく過程には、必ず頭のいい人が集まって来ます。

 それは私が度々書いている、昭和50年代に北野たけしさんが松竹演芸場に出演していたことと類似しています。私は初めてたけしさんを見たときに、「こんな場末の劇場に、しかも漫才と言う底辺の世界に、何でこんな頭のいい人がいるんだろう」。と訝しんだのです。然し、その後、お笑いはものすごい勢いで芸能界を席巻し、俳優も歌手も蹴落としてしまうような地位にまで上がりました。逆算してみれば、お笑いが大きくなるタネは、既に昭和50年代に蒔かれていたのです。

 同様にポーカーです。ポーカー、ギャンブラーと言う、芸能と同様に不安定で、明日をも知れない夢を追うばかりの人生の世界に、焦点を当てて、それを面白く世間に伝えられる人がようやく生まれてきたと言うのが面白い流れです。

 こんな人が出てくると、数年後、その社会はとんでもなく大きくなります。なぜ彼らが、パチンコや、競輪や競艇ではなく、ポーカーに着眼したのか。そこに彼らのセンスがあるのですが、そこのところをまた明日、詳しくお話します。

続く