手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

何を語る2

 マジシャンはマジシャンである以前に芸能人なのです。芸能人と芸人は意味は同じです。英語のエンターティナーとは訳せば寄席芸人のことです。芸人や、見世物と言うと嫌な顔をするマジシャンがいますが、英語のショウマンは、訳せば見世物のことです。エンターティナー、ショウマンなどと言い換えても意味は同じです。昔は私も、見世物や、芸人と言う言葉に抵抗を感じていましたが、今は決して悪い言葉とは思いません。

 そんなことよりも、我々は、マジシャンである以前に芸人でなければならず、芸人は人を楽しませなければいけないのです。芸人が部屋に入ってきただけで、部屋がパッと明るくなって、楽しい雰囲気が生まれる。それが大切なのです。私は、家から出て駅まで行く間も知っている人がいれば声を掛けます。特別用事がなくても何とか面白そうな話をするように心がけています。それが私の役割だと考えています。

 何か面白い話はないか、凶悪な事件が起こっても、何とか面白くできないか。いつもそんな風に考えています。そうでないと面白いことと言うのは舞台の上ですぐに思いつくものではないからです。

 

 今から10年前のことです。私はフランスのマジックコンベンションのゲストに招かれました。私は弟子の晃太郎と二人でフランスに飛びました。コンベンションの条件は、二人分の交通費と宿泊費、それに3000ドル(35万円)のギャラでした。悪い話ではありません。飛行機は主催者がブリティッシュエアラインを用意してくれました。成田からロンドンまで行き、ロンドンからニースに行きました。ニースからは車に乗り、小さな町のコンベンションホールで4日間のマジック開催です。会の主催者は、マジャックと言うマジシャンで、フランスでは有名人です。

 マジャックがとてもよくしてくれましたし、久しぶりにヨーロッパのマジシャンと会えて、楽しい4日間でした。無論私は、蝶々を飛ばしました。幸い反応も良く、私は上機嫌で日本に帰ることになりました。

 

 さて、問題は帰りです。ニースの空港に着くと、カウンターにいる大柄の女性が、私の荷物を計って、「20キロオーバーだ」、と言います。20キロは金額にすると20万円です。「20万円払いなさい」。と言います。

 おかしな話です。成田から来るときは重量オーバーではなかったのです。フランスで買ったものと言えばワインとチョコレートだけです。20キロもオーバーするはずがありません。然し彼女は規約を見せつつ、量りを見せて、20キロオーバーだと言い張ります。私は咄嗟にワインとチョコレートを渡し、

 「私がフランスで買った物はこれだけです、これをあなたに上げましょう。それで荷物は大目に見てください」。と言うと、「メルシー」。と言ってワインとチョコレートを受け取り、なおも20キロ分の料金を払えと言います。

 私が払えないと言うと、「エアカルゴ(荷物用飛行機)に乗せて送ったらいい。それなら安い」。と言います。しかし私は帰った翌日には仕事が入っています。日数のかかるエアカルゴは使えません。しばしカウンターで押し問答が続きました。この間弟子の晃太郎はじっと私の顔を見ています。「こんな時師匠は一体どんな解決策を立てるのだろう」。と、人を試しています。

 私は、35万円のギャラから5万円は弟子に、ギャラプラス4日間の食事代として渡しました。あと10万円は、毎晩贅沢な食事をしました。昔からの付き合いのあるマジシャンとも食事をしましたし、私自身が食べたい食事もありましたので10万円は食事代に使い切りました。あと20万円残っています。オーバーバッゲージも払えないことはありません。しかし、ここで20万円払ったら、フランスの仕事は只になってしまします。

 私の後ろには長い行列ができています。みんなフランス語で文句を言い出し始めました。それに合わせてカウンターの大柄な女性も、早く結論を出してくれとイラつき始めています。弟子は、面白そうにこの顛末を眺めています。

 つまり私は、ここで、弟子の手前、あっと驚くような解決策を見せなければいけません。そして、周囲が険悪になってきていますので、みんなが大喜びするような結末を演じて見せなければいけません。「どうしたらいいか、どうしたらいいか」、随分悩みました。そして、ぱっとひらめいたのです。

 私と弟子のスーツケースは3つです。1つに20キロずつ荷物が入っています。そうなら、スーツケース一つ分の荷物をなくせばいいわけです。幸い、一つのスーツは普段着と、舞台衣装、紋付き袴、楽屋浴衣、弟子の衣装です。そうならこの場で洋服も着物も全部着てしまえばスーツケースの中身は空になります。

 そこで早速、弟子に、「いいかい君は普段着のシャツとズボンを先に来て、その上に、私の浴衣と自分の衣装を着なさい。私は洋服の上に紋付の着物袴、その上に舞台衣装の着物と袴をはくから。先に洋服を着て、上に舞台衣装を着なさい、そのほうが結果派手になるから、フランス人は派手を喜ぶからなるべく派手に着こむんだ」。

 と言って、とにかくスーツケースに入った服をその場で全部着たのです。足袋や下着は着物の袖に詰め込みました。最後に舞台衣装を着た時には、相撲取りのような体系になってしまいましたが、突然のショウを見て、カウンターの空港関係者たちはみんな寄って来て拍手喝采の大喜び、スーツケースが空になったので、「このスーツケースは差し上げます」。と言うと、大柄な女性は、たまげた顔をして、「いいわよ、いらないわよ。持って帰りなさい」。と言いました。

 そこで、スーツケース3つは無事カウンターに預けて、オーバーバッゲージ料金なし。金襴の袴をはいたまま搭乗口に乗り込もうとしたのですが、体が太すぎて中に入れません。飛行場の担当者が見るに見かねて、別の入り口から通してくれました。搭乗カウンターの座席に座っていると、日本人観光客が寄ってきて、「写真を撮らせてください」。とみんなで記念写真を撮りました。しかし、我々は暑くて暑くてそれどころではありません。そこで、土産物屋でキャスター付の大きな麻袋を2つ買い、全部脱いで袋に収めました。ようやく落ち着いて休んでいると、弟子の晃太郎が、

 「師匠がどうやってこの場を切り抜けるか楽しみにしていたんですが、さすがですねぇ。こんなことを瞬間的に考え出すなんて天才ですよ」。

 「君ね、それ、君は褒めているつもりだろうけどね。もし私が本当に天才なら、飛行機はファーストクラスに乗っているはずだよ。そうなら20キロくらいの荷物でとやかく言われる筋合いはないんだ。何でこんな我慢大会みたいな恰好をしなければならないかと言うなら、大した人物じゃないからだよ。才能がないから、あくせくしなければならないんだ。ちっとも偉くなんかないよ」。

 「いや、でもみんな喜んでいましたよ。あの逆境で、あんなに人を楽しませるのは見事です」。「そこは少し褒めてもらってもいい。そこが私は芸人なんだ。他のマジシャンにはできない。私でなければできない芸当だ」。

 と言うわけで、無駄な出費もなく、無事日本に帰りました。おしまい。

 こんな話をクライアントに話すと、みんなとても喜んでくれます。人の失敗話、人の苦境脱出話は、第三者には応えられないくらい楽しいものです。