手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

旅立ち

旅立ち

 

 一昨日、娘の婚約者が家に訪ねて来ました。「実は付き合っている人がいる」。と聞かされたのは、一週間前。無論、言われるまでもなく、誰か付き合っている人がいることは、一年以上前からわかっていました。

 結婚も離婚も全ては当人の問題なのだから、私の関与することではないと思っていました。娘は3年前に離婚をしています。離婚後、アパートを引き払い、私の家に戻って来ました。戻ってきて一緒に生活するのはどうかなぁ。と思っていました。家に住みつけば、食事から洗濯から、全て母親がやってくれます。そうなればますます依頼心が付いて、再婚が遅れるのではないかと思ました。

 それが娘にとっては決して良い結果にならないのではないか。と、不安の種が生まれました。いつしか3人の生活が定着し。このままずっとこの生活が続くのかと思っていました。逆に、女房にすれば楽しい毎日のようです。話し相手が出来て、いろいろ世話をしてやることが毎日生きる張り合いになっているようです。私は「こんなことでいいのかなぁ」。と、心配になりました。

 そんな矢先の一昨日の婚約者の話です。私はそれをどうとも考えてはいません。

 好き合っているなら一緒になるのもいいし、あえて反対もしません。私が何を言ってもどうなるものではありません。娘ももう32歳です。自分で判断し、自分で行動して行くことに何ら異存はありません。

 実際婚約者に会って見ると、真面目そうな人でしたし、会社も固い会社のようです。連れてきた相手が、夜店でヒヨコを売っているとか、綿あめを売っている男だったら心配もしますが、安定した仕事を持っている人でしたから全然問題ありません。あっさり了解しました。

 むしろ、マジシャンの若手などを連れて来られては、後々面倒なことが起こる可能性があります。マジシャンもお笑い芸人も、やはり舞台で眺めているもので、家族にするものではないのかも知れません。などと言うと、マジシャン否定になってしまいます。

 表向きは芸人には反対していても、その実、誰か素質のあるマジシャンを連れて来たなら、それはそれでいいかなぁ、と、淡い期待もありました。しかしそんなチャンスは千に一つもないことは分かっています。一昨日の娘の選択は正解なのでしょう。

 

 娘は子供のころは、マジックや手妻を覚え、舞台にも立っていました。文化庁主催の学校公演などは、娘も手伝って、日本中の学校を回りました。共に同じ舞台に立って、毎日移動をして、夜は地元の料理屋などで一緒に食事をするのは幸せでした。

 このままこんな生活が一生続いたならどんなに楽しいだろう。と思いました。然し、大学を卒業するようになるころに、舞台をやめると宣言されました。就職すると言うのです。

 随分娘のために衣装や、道具を作りましたが、どれも無駄になってしまいました。仕方ありません。芸能と言う職業は、本当に好きでなければ続けては行けません。あえて強制も出来ません。幸い私の所には弟子志望が何人かいますので、そうした人に手妻を指導することで、芸の継承はなされます。

 こうした生き方をしたいとか、こうなりたいとか、私が勝手な願望を抱いたとしても、なかなか思い通りにはなりません。実際、今まで生きて来て、うまく行ったことはたくさんありますが、惜しいチャンスを逃したこともあります。全く予想した通りに進まなかったことも幾つもあります。

 大体自分自身の人生を眺めてみると、10年に一度くらいで全く違う方向に大きく変化して行きます。それは世の中の大きな流れであって、個人が望んでいることとは違う方向に進んで行きます。そして、20年も経つと、社会全体が今までの流れとはそっくり変わってしまいます。どんな充実した日々を経験していても、10年経てば、嘘のようにその世界は変化し始め、20年もするとそっくり消えて行きます。

 あれほど多くの人が集まっていて、賑やかだった世界も、20年もすれば跡形なく人がいなくなります。そして全く違った考えを持った人たちが、別の目的で集まって来ます。結局世の中のことなど、何一つ確たるものなんかなく、絶対と言えるものなどありえないのです。世の中の人はすべて、行く当てもない中、知らず知らずのうちに押し流されて行きます。そう書くとまさに、無常観そのものです。

 そんな中でも、私たちの生きてきたこの70年間の日本は、変化はあっても、極端な変動もなく、比較的安定して生きて来れたと思います。私などは、生まれてこの方、他の仕事をすることなくマジシャンとして生きて来れたわけですし、生きて行くための収入はずっとついて回ったわけです。

 やっているマジック自体も、30年前の演技とは全く違いますし、ましてや50年前とは真逆な演技をしています。それでもマジシャンとしてずっと生きて来れたのです。そのことは日本に感謝しなければなりません。この国に生まれたからこそこうして好きなことをやり続けて生きて来れたわけです。

 昨日、娘と婚約者は自動車でやって来て、娘の荷物を持って引っ越して行きました。娘は、「時々遊びに来ますから」。と言って去って行きました。ああ、これからは「何時に帰ります」。ではなく、「遊びに来る」のです。「これでもう家から巣立って行ったのだ」。変化は変化ですが、悪いことではありません。どこかで娘の新しい生活が始まるのです。それはいいことです。再婚ですから、さほどの心配もしていません。「これでいいのだ。すべてうまく行った」。と自分に言い聞かせました。

続く