手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

マジシャンを育てるには 10

マジシャンを育てるには 10

 私にマジックを教えてくれた女性の師匠たちは、自分から進んでマジックの道を選んだ人は少なかったのです。なぜマジシャンになったのかなどと聞くのも野暮です。親の生活を助けたかったからです。大概女流奇術師の親は、お笑い芸人か役者でした。生活の苦しい親を助けるために、学校に行っている間に奇術師に弟子入りして、卒業すると舞台に立ったのです。

 マジックが好きで好きで仕方がない。とか、マジックに生きる道を天職と感じて、などと言う人は全くいなくて、マジックが好きなわけでも何でもなく、ただ、師匠から習った芸をそのままこなすことで、日々の生業(なりわい)としていたのです。それでも、愛嬌があって、腕が良ければ十分稼げたのです。稼ぎのないお笑い芸人に掴まらない限り、普通に結婚して、子供を作って、20年も舞台に立つうちには、アパートの一軒も持てたのです。私の知る限り、既に隠居をしていて、アパート持ちで暮らしている女流奇術師は何人もいました。

 そうした師匠たちが、「自分のマジックのコンセプトはこう言うものだ」とか、「なぜ自分がこう言うマジックをするか」。等と言う話をすることは100%ありませんでした。師匠たちはレパートリーも少なかったのですが、決して人の演技を盗み取ることもしませんでした。師匠の師匠から教えてもらったマジックだけで生きていたのです。

 師匠たちの演じる奇術は、ハンカチやロープのような基本的なものばかりで、10年一日、代わり映えのしないものでした。そうした師匠たちが常に心掛けていたことは、今接しているお客様を大切にすることでした。宴席や、お祭りに舞台に招いてくれた仕事先のお客様を決して逃がさないように、折々に手拭いを配ったり、仕事の度にささやかなお土産を持参したりして、人と人の付き合いを大切にしてきたのです。

 人と人が結びつくことで最も大切なことは、相手に、「藤山は自分にだけ、ここまでしてくれている」。と思ってもらうことです。手紙を送る、お土産を送る。楽屋で挨拶をする、ちょっと立ち話をする。何にしても、「自分だけがここまで相手をしてもらっている」。と思うとお客様は嬉しいのです。その親密さが、次の仕事につながります。

 今書いたことは仕事先のお客様との付き合い方です。しかし舞台上でも同じで、お客様を大多数の人として接してはいけません。あくまで話をする時には、個人と話をしなければいけません。その時に、気を付けなければいけないことは、お客様を、「皆さん」とか、「誰か」、「どなたか」、などと、三人称で呼ばないことです。

 「誰か舞台に上がってくれませんか」。と言われてて、その誰かが自分だと思うお客様はいません。誰かでいいなら自分は関係がないと思います。あくまで人を動かすには、「あなた」でなければならないのです。ついついマジシャンとして舞台に上がると、お客様をひと固まりと考えて、「皆さん」、「どなたか」を連発してしまいますが、人は個なのです。

 個人を尊重して、個々に物を頼むと、頼まれた人は親近感を覚えます。後々までもよいご贔屓様になってくれます。

 何気に話をする時でも、個人に話しかけるように心がけます。私は舞台で時々自分の子供の頃の話をする時がありますが、そんな時でも、全てのお客様を対象に話すのではなく、特定の誰かを想定して話をします。そうすると、聞いているお客様が自分に話しかけられているように感じ、話がお客様の心の中に入り込んで行きます。

 

 私は子供のころから師匠たちの舞台を見て来て、マジシャンがお客様にどう応対するか、仕事先のお客様とどう付き合って行くかを学びました。

 昔の師匠は、持ち時間20分などと言われて仕事場に行って、突然何かの理由で1時間も演じることなど頻繁にあったのです。そんな時でも嫌な顔一つしないで、初めから1時間のショウを引き受けていたかのように、普通に演じていました。主催者の注文には嫌がらずに、何でも聞く。そんな仕事の仕方が日常にされていました。

 私が、未だに頼まれればスーツケース一つで1時間でも演技ができるのは、そうした仕事を繰り返して来たためです。但し、20分の演技をするのと、1時間の演技をするのとでは、演技の仕方が根本から違います。

 スピードは少し緩めなければなりません。長く演じたなら必ず演技の半ばでダレ場が出て来ます。お客様がダレてきた状態で演技を続けるのは演じていて苦しいものです。然し、じっと我慢して演じなければなりません。時にダレ場はマジックをせずにただ話をすることもあります。そうなると、話術の上手さが求められます。マジックの後にじっくり聞かせられるような話が出来れば大した芸人です。そうして、お終いに、もう一度お客様の興味を呼び戻すと言うのは並大抵の芸の力では出来ないものです。

 そこには、演者のパーソナリティがしっかり備わっていないと無理です。1時間ならマジックのネタ数を増やせばいいと言うものではないのです。マジックばかり繰り返し見せられるとお客様は飽きてしまいます。不思議さに鈍感になってしまいます。

 マジック以外の芸能のいろいろなテクニックを披露しつつ、全体を通して、そのマジシャンと1時間でも遊んでいたいと思わせる芸の引き出しと、パーソナリティがなければ1時間のショウは無理なのです。

でもそんな1時間のショウを演じた後は、何とも言えない充実感があります。マジックを超えて人とつながった満足感を感じます。マジックはどうしても不思議を一方的に見せるだけになってしまいますので、人とつながると言うことが達成しにくい芸能です。一方的なマジシャンの優位で終わる舞台は、実は成功ではないのです。どこかお客様に不満が残ります。そこに気付いたときに、マジシャンの進むべき芸能の次のステップが見えてくるのです。

 マジックが好きで、自身の意思でマジシャンになった人は、自分の技術を世間に問うて、その技で生きて行きたいと望みます。然しそれは難しいことです。なぜならそこまでマジックの技に精通して見ている人はごく限られた人たちです。その人たちだけを相手にしていては生きては行けません。

 一般のお客様はマジシャンを善意で見てくれる人は少数ですし、マジシャンの成長を長く追い続けてくれる人もわずかです。多くのお客様にとってマジックはわずかな興味でしかないのです。向きになって演じているのはマジシャンであって、多くの人には娯楽の一つに過ぎないのですから。

続く