手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

新しい活動

新しい活動

 

 4月になり、様々な活動が新たに生まれています。私のところでは、数日前から弟子が修行を始めました。昨日(4月2日)、朗磨がやって来て、着物の着付けを学びました。和服の着方、帯の締め方、袴の穿き方。今までアマチュアとしてやってきて、許さたことでも、これで生きて行くとなるとそれでは駄目です。

 ただ着物を着ればいいのではなく、ちゃんと綺麗に着られて、なおかつ洗練されていなければいけません。もう長いこと着物を着て育ってきたかのように、体に馴染んでいなければだめです。何でもないことなのですが、何でもないと言うことが実は最も難しいことです。「風(ふう)が付く」、と言いますが、何かを主張するわけでもなく、自然に雰囲気が身についているといい芸人になれます。出来ることを奢らず、自然に会得していることが貴いのです。そうしたことを、一から、基本から習い始めるわけです。

 私にとっては弟子に着付けを教えることは、これまで何十辺とやってきたことの繰り返しですが、新しい人が入ってくれば、必ず一から指導します。習う側からすれば初めてのことで、この時に習ったことは一生ついて回ることですからとても大切です。

 着付けが済むと、今度は道具の組み立て方と私の手順を学びます。初めは道具を組んだりかたずけたりと言う裏方仕事の手伝い方始まります。とても舞台の上でセリフを言ったり、手妻をしたりは出来ません。毎回少しずつ勉強して行きます。

 途中昼食を取って、午後からは実際私が手順を演じて見せ、段取りの指導をします。

 

 この日は、お座敷での宴席があります。俳優の杉良太郎さん主催のパーティーです。杉さんは、これまでも度々私をパーティーに招いてくださっています。私の蝶の演技がことのほかお好きなようです。この日も、ベトナムと日本のお客様のパーティーを大きな料亭で致します。

 3時半までアトリエで稽古を続け、それから荷物をスーツケースにまとめて、穂積みゆきさんと朗磨、私の3人で、車に乗って出かけました。4時半に料亭に到着。数年前にも一度ここで手妻をさせていただきました。その時の手伝いは大樹でしたから少なくとも5年以上前でしょう。

 座敷の様子も、建物も、徐々に思い出しました。長い廊下を通ってスーツケースを運びます。スーツケースが4つ、それに私物、随分と荷物がたくさんあります。私の演技の最大の問題点は荷物です。演技の内容が3つかそこいらでも、スーツケースにするとちょっとした引っ越しくらいの道具を運ばなければなりません。手妻の道具、衣装、テーブル、毛氈(もうせん)、蝋燭台(ろうそくだい)まで運びますので、どうしても荷物が多くなります。

 扱う道具は漆塗りに金蒔絵で、柄もこれでなければならない、このクオリティが欲しいなどと、贅沢なことばかり考えますので、結局簡単に済ませることが出来ません。荷物は車一杯になります。その分、手間はかかっても舞台に飾ると独自の世界が見えて来ます。この世界こそが、私が若いころから思い描いてきた江戸の手妻の世界です。何を外しても物足りなくなります。それだけにおいそれとは変えられないのです。

 この晩は、二つ引き出しに始まり、サムタイ、蝶の三作です。手妻の数としてはわずか三つですが、通訳を交えて、話をしながら演じると30分かかります。お客様はとても熱心に見て下さって、良い反応でした。終演後、楽屋にまで来て下さって、熱心に感想を伝えて下さり、名刺をくださって、今後の出演にもつながるようなお話まで頂きました。

 初めて日本の手妻に接して、その様式や、何とも言えない情感を感じ取って下さると、もう離れられなくなり、ファンになって下さいます。

 日本側のお客様の中には超ビップの先生方もいらっしゃって、廊下や料亭入り口にたくさんのSPさんが見張っています。なかなか物々しい中でのパーティーでした。

 朗磨は終始緊張し続けていました。それでも長いことやりたかった仕事ですから、内心は大満足でしょう。よくわからないまま座敷にいて、あれこれ仕事を手伝っていましたが、そんな風にして、体で仕事を覚えて行くうちに、芸能が身について行きます。

 芸能は、何もかもが仕事です。作品を考える。道具を作る。稽古をする。仕事先にって、お客様の応対をし、本舞台を経験する。それら全てが身について行くことで、独自の雰囲気が生まれて行きます。すべてのことを会得して芸能人です。どれも大切なことで、一旦身に付けば他に変えようのない存在になるのです。

 芸能で長く生き残ると言うことは、細く遠い道のりですが、続けて行けば誰もまねのできない世界を手に入れることが出来ます。最終到達点は自分一人になること。すなわち己に至ることです。とかく初心者は同好の仲間と群れたがりますが、そこから独自の世界は生まれません。

 芸能で生きると言うのは万人の共通する道を模索することではないのです。飽くまで自己の己の部分を追求するのが芸能です。己は孤であり、個でもあります。自分以外ない世界です。群れていては、己は手に入りません。自分とは何か、そこをひたすら見つめて答えを出すことが芸能の活動なのです。

 

8時30分。道具をまとめて車に積んで帰宅。

 途中、穂積さん朗磨を新宿駅で降ろし、高円寺に戻ります。行きも帰りも私の運転です。朗磨は免許を取得したそうですが、この日はとても怖くて朗磨に運転はさせられません。事故でも起こされて、パーティーの仕事をしくじったら取り返しがつきません。少し家の近所で慣らしてからでなければ運転は無理です。

 と言うわけで、一日中稽古と、本番で終わってしまいました。私のしていることに大きな変化はありませんが、確実に世代が交代しています。しばらくは指導に費やす時間が続くでしょう。

続く