手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

卯の花の匂う垣根に

卯の花のにおう垣根に

 

 四月は卯月(うつき)と言います。卯月とは卯の花の咲く月のことです。今日の題名は、明治時代の歌曲「夏は来ぬ」の歌詞です。日本の古い文章は分かりづらいものが多く、夏は来ぬ、と言うと夏が来ないのかと思う人があります。「来るのかい、来ないのかい」と突っ込みを入れたくなりますが、夏は来ます。

 ウサギおいしかの山、と歌うと、おいしいうさぎが住んでいる山がある。と勘違いする子供がいるのと同じで、古い詩には注釈が必要です。

 この曲は短い詩に奇麗な曲がついてとても上品です。小学校か中学校で一度は歌ったことがあるのではないでしょうか。私はいつ歌ったのか忘れましたが、先ず、卯の花がどんな花なのかもよくわかりませんでしたし、更に、におおかきねに、と歌うのが何とも歌いにくく、ほととぎすはやもきなきて、と言う、まるで早口言葉のような言い方が理解できませんでした。その後の、忍び音漏らす、に至っては何のことかさっぱりわかりませんでした。

 ちなみに歌詞は、「卯の花の匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ」

 わたしなりの訳は、卯の花が垣根いっぱいに咲いて、香ってくる季節。時鳥が早々来て鳴いて、小声で話をする。 もう夏は近い。

 現代人では決して書けない詩です。作詞は佐々木信綱。

 ちなみに二番は、「五月雨(さみだれ)のそそぐ山田に 早乙女(さおとめ)が裳裾(もすそ)濡らして 玉苗植える 夏は来ぬ」

 田植えの季節を歌っています。今でこそ田植え機があって、機械がどんどん稲を植えて行きますが、私が子供のころまでは手で一つ一つ稲を植えていました。田植えを済ませた田んぼを見ると信じられないほど整然と稲が植わっていて、そのすべてが人が植えたと知ると、驚異的な光景でした。アメリカでも欧州でも、人が一本一本イネや麦を手で植えると言う作業はあり得ません。日本の田んぼは、勤勉な日本人によって1000年も前から驚異的な収穫率を上げていたのです。恐らく反当りの収穫率は世界一ではないでしょうか。江戸時代の日本の農家は貧しかったと言う人がありますが、同じ時代のアジアの国と比べるとはるかに豊かだったと言う研究家もいます。

 その田植えは、歌詞にも書いてある通り、早乙女と言う若い娘たちが横一列に並んで田植えをしていたわけです。全てが若い女だったわけではないと思いますが、村人が総出で集まって一斉に田植えを始めたのでしょう。それが祭のような華やかさだったそうです。

 

 話はどんどん脱線して、前置きが長くなりましたが、これが、卯の花の季節の風物詩だったのでしょう。但し、昔の月日は太陰暦で、一月ずれますので、昔の人が体感した卯月は今の5月のことです。そのため、歌詞の二番にあるように、五月雨が降って、雨水が山を潤し、里に流れて田植えの季節になるわけです。

 卯の花とは、宇津木と言う木に咲く白い花のことで、小さなたくさんの花がまとまって咲いて、一面白くなるので、昔は特に目立つ花だったのでしょう。今では、歌詞にあるような、宇津木の垣根一面に咲き誇る卯の花と言うのはなかなか見ることがありません。あれば今でも人気の小径になるでしょう。

 

 この宇津木と言う木は枝の中が中空で、中がストロー状になっていることから、空(から=からっぽ=うつつ)の木、で空木(うつき)と言っていたのです。空木に咲く花が空の花(うつのはな)、すなわち卯の花です。

 

 話は変わりますが、豆腐を作る時に大豆の搾りかすが出ますが、これをおからと呼びます。おからは人参や椎茸などを細かく切って、おからに混ぜて味付けをしたもの。おかずにもなりますし、酒の肴にもなります。健康食品としても人気があります。

 この大豆の搾りかすがなぜおからなのか、私は長いこと分かりませんでした。実は、おからは別名卯の花とも呼びます。それは、卯の花の白い花をお浸しにしたものと皿に盛ったおからがよく似ていることから、おからを卯の花になぞらえて出したのでしょう。

 空の花すなわちお空(から)なのです。何にしてもおからは大豆の搾りかすですから、搾りかすですとは言いにくいため、卯の花ですと洒落て呼び、更にはおからと呼んだのでしょう。

 随分と長い話になりましたが、宇津木がそもそも空木であったために、空木の花が空の花となり、空の花の色と大豆の搾りかすが似ている所から、空の花、空(から)を、おからと呼んだ。と言うわけです。随分おからと言う言葉が生まれるまでに長い時間がかかったことになります。

 

 おからをお空と書くことから、興行の世界ではお空が客席の空席を連想させ、観客の入りが悪くなるからと言って、昔から嫌ったそうです。実際古い芸人さんで、お空を出されると食べない人がいました。「こういうものは客が来なくなるから芸人は食べちゃいけないんだ」。

 と言っていました。なぜお客様が来なくなるのか、と言う詳しい説明がなかったものですから、私には意味が分かりませんでした。おからを空っぽと言う意味で理解していたのですね。昔の人はやたらと忌み言葉(いみことば)と言って、縁起の悪い言葉を嫌いました。楽屋に犬を連れて来ると、「犬は去ぬと言って、客が来なくなって縁起が悪いから楽屋に連れてきてはいけない」。などと言う師匠がいました。 でももう今ではそうした芸人もいなくなりました。私はかつて舞台で犬を出していましたし、お弁当も出されればおからも食べます。旨けりゃなんでも幸せです。

続く