手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

隣百姓

隣百姓(となりびゃくしょう)

 

 その昔、農家をしている人が自分を卑下して言う言葉に、「私のしていることは隣百姓ですから」。と言うのがあります。隣が種を蒔けば真似して種を撒く、田植えをすればそれに習って田植えをする。刈り取りの時期になれば刈り取りをする。

 別段自分で考えてことをするのではなく、万事周りの様子を見て、周りを真似して仕事をしていると言う意味で、隣百姓と言います。特段人との違いを出そうとも考えず、工夫もせず、ただ、周囲の顔を見てことをする。そんな人は昔から多かったのでしょう。

 今、コロナはすっかり下火になっています。にもかかわらず、多くの人はなかなかマスクを外そうとはしません。私なんぞはさっさとマスクをやめています。勿論、そんな私に苦情を言う人もたまにいますので、ポケットにマスクを忍ばせてはいます。

 ところが最近は、私に苦情を言う人もいなくなりました。私は電車に乗る時も、レストランに入る時もマスクはしません。舞台でも同じです。一切マスクはしません。それでも苦情は言われません。なぜか。もう感染しないからです。又感染しても重い病気にはならないからです。既にコロナは風邪なのです。そんなことは私が言うまでもなく、ほとんどの人は気付いているのです。

 でも、気付いていながらみんなマスクを外そうとしません。なぜか、と問うまでもありません。周囲の人が外さないからです。みんなが付けているから外せないのです。つまりこれは日本人の伝統的な生活様式、すなわち隣百姓の心なのです。

 もうコロナは感染力が弱まっているから、と言ってもやめません。理屈で言っても無駄なのです。人がやっている限り自分からはやめられないのです。じゃぁいつやめるの?。たぶん国が明確に終息宣言を出さない限り、みんな続けるのでしょう。

 馬鹿馬鹿しいと思います。他の国では一刻も早く平常の状態に戻して、普通に経済活動をしたいと考えているのに、日本ではまだまだコロナの非常事態が続いています。

 

 みんながマスクをはずさないために、依然として、客寄せをする活動はすべて不景気です。劇場の観客動員数は増えません。イベントやパーティーも増えません。こうなるとタレント活動をしている人たちは軒並み仕事になりません。

 マジシャン仲間の話を聞いても、「イベントが発生しないために、ショウの公演数が少なすぎてやって行けない」。と言います。レストランでマジックを見せている人達も、安価なギャラなら仕事が発生しますが、少し高い人になると、なかなか依頼がこないそうです。これは結果としてマジックの価格がダウンしていることになります。

 レストランも、飲み屋さんもお客様が戻りません。現に繁華街を見ると、飲食店が閉鎖していて、あちこち空き店ばかりになっています。会社帰りに食事をしながら軽く一杯などと言う生活がだんだんなくなりつつあります。

 サラリーマンが会社帰りにコンビニに寄って、弁当と缶ビールを買って帰る姿をよく見かけるようになりました。このままでは日本中で、外食をする行為そのものが廃れて行くんじゃないか、と心配になります。

  勤めの帰り際のちょっと一杯などの店が不調では、お座敷で芸者を上げて、芸人を呼んでなどと言う贅沢なお座敷遊びの世界はもう壊滅的な打撃です。仮に、今年の春から国民みんながマスクをやめて、平常の生活に戻ったとしても、良き伝統文化であるお座敷遊びは、コロナを境にすべて消えてしまうのではないかと思います。少なからず私の仕事場は大きな影響を受けることになります。

 10年後、20年後にいまの時代を眺めたときに、「コロナを境にあの職業は消えたなぁ」。と思う仕事がたくさん出て来るのではないかと思います。

 

 松旭斎天一は、明治の奇術師でした。一座40人を率いて、日本中の劇場を回っていました。天一はなかなか売り込みや宣伝のうまい人で、どこの町へ行っても興行は当たり続けました。そうは言っても一年中日本を回っているわけですから、時にお客様の入らないときもあります。

 ある町で三日間興行しようとすると、町そのものが錆び付いているかのように活気がなく、通りも閑散としています。天一一座の若きマネージャー野呂辰之助は、「これで三日間の興行はむりだ」。と判断し、天一に、「一日だけ打って、次の町に行って休みましょう」。と提案しました。

 ところが天一は、「まぁ、俺に任せろ」。と言って劇場の仕込みは弟子に任せ、自らは花柳界に行き、座敷に上がり、芸者を何人も上げてどんちゃん騒ぎをします。寂れた花柳界は何事が起ったのかと天一に注目します。

 翌日の初日、劇場のお客様は寂しく、桟敷席は閑古鳥です。それでも天一は不入りにはへこたれずに、その晩も座敷に上がり、前の晩以上に金を散財して大騒ぎをします。天一は、日ごろ、何があっても座員や劇場関係者に迷惑をかけないように、黒い鞄を持ち歩いていて、鞄の中に現金で1万円(現代の2億円)が入っていたそうです。天一は連日惜しげもなく鞄の中の札束を座敷で散財します。

 座敷に呼ばれた芸者は鼻高々で天一の噂を世間にばらまきます。人力車の車夫までも、「天一先生はすごい人だ」。と、噂します。小さな町ですから噂はすぐに広がり、豪勢な遊びをする天一を一目見ようと町中の人が集まって来ます。お陰で翌日の興行は大当たりで、更に翌日も大入りです。結局、3日間興行して、トータルの収益を黒字にし、鞄の金は逆に増えたそうです。その時野呂は、天一の行動のすさまじさに舌を巻き、「不景気をたった一人で好景気に変えた」。と言って驚いたそうです。

 いい話です。私も、コロナの不況を私の散財で好景気に変えるくらいの気概を持ちたいと思います。みんなが縮こまってしまって、小さく生きようとしている時こそ、大きく逆張りをして勝負に出るのが次の時代を作って行く人なのでしょう。

 みんなが隣百姓で生きていては世の中は好転して行かないのです。誰かが飛び出さない限り、社会は前には進みません。あぁ、私も天一のようになりたい。派手に散在して、不景気を吹き飛ばしたい。でも黒い鞄がない。

続く