手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

村八分

村八分

 

 何とも情けない話ですが、一昨日パソコンが作動しなくなって、どうやっても画面が変わりません。こんな時は前田がいて、いつもならさっと直してくれるのですが、7月いっぱいで弟子の修業を終えてしまいましたので、頼る人がいません。

 幸いにも昨日手伝いとして前田が来る日だったので、見てもらうと、二階の事務所にある、大元のコンセントに何らかの理由で電波が溜まっていたらしく、コンセントを抜いて少し休ませて、再度繋いだら簡単に直りました。未だに何の理由でトラブルになったのか、何で治ったのかがわかりません。

 電波にも流れがあり、時々接続部分に流れが滞る何かがあり、それは風呂場や洗面所のパイプのように、長く使っていると、汚れが溜まるのでしょうか。そうだとするなら、汚れた電波と言うのはどんなものなのでしょうか。世の中にいい電波と悪い電波があるのでしょうか。

 「電源を調べてみたら、先生のブログがコンセントのつなぎ目に、ごっそりこびりついて出て来ましたよ」。などと言われたらショックです。私のブログが悪い電波を製造している事になります。何とかコンセントのつなぎ目に滞ることのないブログを書きたいと思います。

 

 村八分と言うと、村人全員が、特定の人を阻害して、いじめをすることだと思っている人がありますが、少し違います。村の中で問題を起こす人を、村人が制裁を加えようとして、付き合いをしなくするのはその通りなのですが、そうした中でも、十ある村人の付き合い(婚礼、祭り、田植え、稲刈りなど)、と言った、村総出の行事の付き合いの中で、八つは付き合いをやめても、葬式と火事の時だけは助けてやろうと言うのが村八分です。

 つまり、どんなにどうしようもない人でも、全く付き合わないわけではなく、葬式と火事だけは面倒を見ようと言うのが村八分です。100%駄目と言わないのが根本の考え方です。こうした考え方こそ日本人の優しさであり、理性の働きが生きていると思います。

 実際火事となったら、他に家にも飛び火しないとも限りませんから、何としてもみんなで消火をしなければいけません。火事は我が身の問題でもあるわけです。

 葬式は、如何に生前村人に阻害されていたとしても、死んでしまってまで相手にされないのは当人も浮かばれません。死んでしまったなら、これまでのことは一度ご破算にして、まともに人としての応対をするのが大人の付き合いです。こうしたことははるか昔から日本人の知恵だったわけです。

 

 時々人を憎む余り、葬式にはいかないと言う人があります。私はそうした人は間違っていると思います。縁ある人で、亡くなった人なら、少々嫌な人でも、生前散々に嫌がらせをされたをされた人でも、葬式くらいは出るべきです。行かないことは自身の狭量であり、結果として自身の世間を狭くします。年をとったならなるべくわだかまりを捨てて、故人を認めるように努めなければいけません。

 年を取ると言うことは大人になると言うことです。大人になると言うのは、好き嫌いをしなくなり、許容が広がると言うことです。子供の内は、食べ物でも、ピーマン嫌い、ニンジン嫌い、鳥の皮が嫌い、と嫌いなものばかりでも、だんだん大人になるに従って色々なものが食べられるようになります。大人と言うのは人が丸くなり、何でも受け入れられるようになることなのだと思います。

 

 そこで、最近の話題ですが、安倍元首相の国葬です。国を挙げての葬儀であるのに、国会の承認のない葬儀は行かない、だの、経費が掛かり過ぎる、だの、あからさまに招待状に不参加に丸を付けてネットに載せたり、何とも人として下品な行いをする人がたくさんいます。

 それぞれ政治信条があって、素直に認められないのは分かります。それはそれとして結構です。然し、テロにあって、無念の思いで命を落とした人に、難癖をつけて何が面白いのでしょうか。それを聞いた家族や一門の政治家は何と思うでしょうか。

 招待を受けても、葬儀に行く行かないは自由です。但し、行かないなら、行かないと心に秘めておけばいいことで、世間に知らせることではありません。冠婚葬祭にケチをつける人は世の中を暗くする人です。余りに失礼です。

 いい年をした大人が、ピーマン嫌い、ニンジン嫌いと言って、ネットに写真を乗せて騒いでいるのです。己の未熟を恥も外聞もなくさらしているのです。

 

 バカの極みは、エリザベス女王が亡くなって、「そら見たことか、葬式が重なってしまったではないか。イギリスの葬儀が先に来て、各国の元首が集まったなら、わざわざ日本なんかに来ない」。などとしたり顔で言う人がありますが、これも失礼なことです。この時期にエリザベス女王が亡くなることなど誰も予想できなかったことです。たまたまエリザベス女王が亡くなっただけなのに、国葬をする意味がないなどと言うのはどんな理由でしょうか。物事を何かにつけて反対する人はいますが、こんなこじつけな理由で国葬に反対する理由がありますか。

 どなたがなくなろうとも、何事かが起ころうとも、安倍さんの葬儀は粛々と行うべきです。国の行う大切な行事なのですから、天皇陛下はどちらの葬儀にも出席しますよ。それが良識ある人の行いだからです。

 地方公共団体によっては、半旗の啓礼もやらないと言った地域があるようです。それも幼稚です。市や、県、学校を挙げてピーマン嫌いと言って何がいいのでしょうか。葬儀の際には半旗で答えるべきです。半端に批判をするようなことは避けるべきです。日本人なら、国葬にケチを付けるのはやめませんか。

続く