手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

何も解決しない

何も解決しない

 

 テレビのワイドショウを見ていると、次から次と事件を扱い、話は次々と発展して行きますが、だからどうなったのか、と言うと何もどうもなってはおらず、ただ目の前に起こったことをけしからんと騒いでいるだけ。何だこりゃ、とばかばかしくなります。

 

 話の始まりは安倍元首相が選挙の応援演説中に狙撃され、命を落とすところから始まります。傷ましい事故であり、暴力に訴えることなく物事を解決をするために選挙があるのに、その選挙のさ中に狙撃されると言うのは民主主義の否定であり、今の日本の民主主義がこうも簡単に崩れ去ることが驚きです。

 この安倍元首相の話題で、テレビ局は一週間大騒ぎし、そこから話は数々枝分かれを始めます。

 

 先ず、安倍元首相の生前の功績をたたえて、国葬にしようと岸田首相が提案します。安倍元首相は外交において様々に優れた活動を果たしました。中国の海洋進出に対して、アメリカ、日本、オーストリアの三国にインドを加えたクアッドを形にして、中国に対する大きな牽制が形作られました。その牽引役を担ったのが安倍首相の成果です。フットワークが軽く海外の首脳と気軽に話し合い、彼らと人間的な交友を結びました。日本の政治家で最も信頼の厚い人です。

 国内では憲法改正自衛隊の拡充を早くから唱え、右翼だ、軍国主義だと言われつつも、いざロシアがウクライナを侵略している姿を見れば、多くの日本人は、「もっと防衛に力を注がなければ」。と急に国防の頼りなさに慌てだします。つまり今になって見れば、安倍さんの言った通りの世界が現実のものとなったのです。

 

 安倍さんの家系は常に裏街道と表街道があざなえる縄のごとく現れます。それを知って、安倍さんの有能な部分にのみスポットを当てて評価するか、森、かけ、桜にこだわって人をくさすかは、人を使う側の度量です。水清ければ魚染まず。世界の国家元首を見れば胡散臭い人ばかりです。プーチンさんも、習近平さんも、妖しい顔をしています。それから見たなら安倍さんは随分ましに見えます。

 

 国葬はしかるべきかと思われますが、その狙撃犯が、統一教会の信者二世であることが分かり、統一教会は依然として教会内部で信者を圧迫して財産を要求したり、退会を妨げ、自由を奪ったり、様々な問題があることが表に出てきました。ここでテレビは安倍さんの銃撃を忘れて、統一教会内部告発に乗り出して大騒ぎを始めます。

 そして狙撃犯が協会信者二世であって、いかに協会によって苦しめられてきたかを綿々と語り、(いくら語っても、当人は首相を狙撃した犯人です。許される話ではないはずです)。話は統一教会批判に終始します。

 

 更には、安倍元首相が統一教会の支持者であることが分かり、そればかりか、自民党中の政治家で統一教会の支援で選挙を助けけてもらっている政治家がかなり数多くいることが分かり、今度はテレビは政治家に対して「けしからん」。と大上段に構えて政治家の批判を始めます。

 すると政治家もだらしなく、統一教会からの支援を隠し始めます。おかしな話です。票をくれる組織ならどんな組織でも挨拶に出かけて、町内の神社の祭りにでも顔出しをして、みこしの片棒も担ぐのが政治家です。それが統一教会に散々世話になっておきながら、「自分は教会とは関係ない」、と言い出します。

 すると、マスコミや週刊誌は個々の議員が協会の集会に何回顔出ししたかを細かく調べてあぶりだします。政治家は、その都度歯切れの悪い対応をして、とぼけます。

 へんですねぇ。「統一教会さんには選挙でお世話になっています」。と素直に言えばよい話で、さらに「教会内部には色々問題があるようです。それは国会で問題をあぶり出して法案を作って対処します」。と言えばこの話は先には進みません。元々法の不備から統一教会のようなおかしな新興宗教が出てきたわけで、一人一人の政治家を責め立てても解決できる問題ではないのです。

 

 それが内閣改造が進み、岸田首相が、統一教会とかかわりを持つ政治家は内閣に入ることは遠慮してもらう。と言ったがために、次から次と統一教会の指示を受けていた政治家が現れ、その都度弁明をさせられます。テレビが閣僚に向かって大上段に構えて「何をしているんだ」。と正義をかざして大声で叱っていますが、一体何が言いたいのでしょうか。マスコミもマスコミなら政治家も政治家です。

 中にはどっぷり教会に浸かって、丸々選挙で世話になった政治家が、「教会との関係を断つ」、なんて宣言をします。そんなことできますか。もし関係を絶ったなら、この政治家は影も形もなくなってしまいます。世話になったなら世話になったと言うべきですし、自身の立ち位置を忘れてはいけません。

 

 そうこうするうちに「国葬は間違いではないか」。と言い出す人が現れます。「国民の了解もなく国葬にするのはおかしい」。と言い出します。国葬にするかしないかは内閣の決めることで、総理大臣が内閣に計って国葬を決め、告知したことは法を守って決めたとです、国葬にするかしないかを国民一人一人に尋ねる必要はないのです。いくら野党が反対しようと、テレビが文句を言おうと、安定過半数を維持している自民党が、選挙中に命を落とした安倍元首相を国葬にするのは当然のことなのです。

 他のどこの国の総理が無くなっても、世界中で安倍元総理ほどに、国家元首が集まって来ることはないでしょう。そのことを日本人なら誇りに思うべきですし、そもそも冠婚葬祭にケチを付けるのは社会人として恥ずべき行為です。

 ところでこうして世間に騒ぎのネタを供給して、マスコミは一体何が言いたいのでしょうか。言った結果に何があったのでしょうか。何も話が進まず、何も解決せず、ただストレス解消の如くにコメンテーターが騒いでいます。あぁ、ばかばかしい。

続く