手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ハンドルネーム

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 毎日ブログを書き続けています。私は普段、酒を呑まなくなりましたので、その分朝早く目が覚めます。長く床に入っていても意味はないので、さっさと起きて、その分何か用事をしようと思い、ブログを始めました。

 内容は、日常のとりとめのないことを書いています。徒然草を引き合いに出すのは余りに烏滸(おこ)がましいのですが、思うに任せて世相を書いています。ブログを始めたときに自分自身である種の決まりを作りました。

 一つは毎日2000字程度(原稿用紙5枚)書きます。休みは週一回。最低3年続ける(もう4年続いています)。ハンドルネームで意見を言ってくる人には返信しない。

 毎朝5時30分ころから書き始めて、7時くらいに書き終えます。その後、一度朝食を取り、8時20分くらいに原稿を見直して、9時30分頃にブログに出します。この時点で気の早い人は50人くらい覗きに来ています。

 連日平均300人くらいの読者が見てくれています。少し話題の内容だと1000人を突破します。意外なところで意外な人から、「いつも読んでいますよ」。と言われます。私にとっては嬉しい感想です。

 

 ところで、なぜ読者のメッセージに返信をしないのか、というと、以前、ハンドルネームで質問してきた人がいて、初めは気軽に返信していたのですが、私の文章の細部にケチをつけて来て、執拗に攻撃して来る人がありました。どう見ても些末なことの揚げ足取りで、私を怒らせようとしていました。

 この時、「これがネットの炎上の原因なのだな」。と気付きました。何でも善意で話をすることがいいとは言えません。相手が私をひっかけて問題を大きくしようとしているのは見えていました。考えてみれば、誰だかもわからない人に丁寧に返信することは無駄です。

 中には、真面目な意見を言って来る人もあります。ところが、返事を出すと突然豹変して、猛攻撃をする人があります。全く何を考えているのかわからないのです。以来、ハンドルネームには返事をしません。危険です。

 

 さて、数日前に、ジャパンカップでのコンテストの感想を書きました。多くの場合、私の感想を楽しみにして下さる人は多く、直接、間接的にいろいろ感想を言って下さいます。また、チャレンジャーからもメールを貰います。名前を名乗って、メールが届く場合は返信をします。

 ところが先日、ハンドルネームで来た内容は、なかなかすごいものでした。「勝手にコンテストのことを書かないでください。削除してください」。と言うものでした。

 まず、私が名前を名乗って、意見を述べている以上、責任をもってしていることです。感想は、勝手に思い付きで書いていることではありません。主催者の田代茂さんの了解があってしています。

 第一、削除を求めるなら、自ら名前を名乗って、その理由を述べなければいけません。ハンドルネームの人は対象になりません。

 マジック界の催しと言うのは、50人とか100人と言う、微々たる人数の中で開催しています。せっかくいい内容だったとしても、日本中の愛好家にその内容は伝わりません。それを少しでも多くの人にお知らせしようと、微力ながら書いています。私が話題にすることで、50人の催しが1000人に伝わるのです。

 チャレンジャーの中で、私がコンテストの内容を書くことが気に入らない人がいるとするなら、逆に主催者である田代さんが、毎年、如何に多くの費用と時間をかけて会を開催しているのかを理解していないのです。

 コンテストは単にマジックをしたい人にマジックをさせる場ではないのです。コンテストについて書くなと言って来るのは自身の考え以外の意見を聞く気持ちがないのです。書くなと言う人は、この催しを広く伝える意識がないのです。それでは今以上のお客様は集まらないのです。「今度東京に行ってジャパンカップを見よう」。そう思う愛好家を一人でも多く作らなければジャパンカップは残りません。

 また、そもそもコンテストと言うのは自分のマジックを見ず知らずの人に見てもらうことが目的です。知らない人が見るのですから、感想は様々で、自分とは真逆の意見も出てくるのです。それまでは仲の良い仲間同士見せあっていたものが、いきなりコンテストに出て、いろいろな人に見られたならば、余りに自分が考えとは違うことを言われてびっくりするでしょう。でもそれが大人の社会なのです。

 全く考えの違う人たちに演技を見てもらい、それで、「巧い」、「凄い」と言われて、初めて入賞するのです。それが褒め言葉だけではありません。否定的な意見も出て来ます。自らの評価を、いい言葉だけを聞こうとせずに、むしろ反対意見をよく聞くことが自身を大きくします。

 自分が好きでマジックをしていて、それで満足ならコンテストに出る必要はないのです。そうなら次のステップのアジア予選出場も必要ないのです。でも現実には、主催者は、彼らの中からアジア予選出場者を選ばなければなりません。多くのマジック関係者が危惧していることは、日本代表のコンテスタントが、余りにアマチュア化してしまって、世界からかなりかけ離れてしまっています。コンテスタントは、自分寄りな演技ばかりするようになり、少しも観客を考えていない人がいます。そうした結果、日本の代表者は、ステージも、クロースアップも、イタリアの本選に到達しないのではないかと危惧します。

 そうならないためにはローカルなコンテストで、入り口を絞って、なぜその演技で入賞しないのかをはっきりと伝えなければ、この先日本で世界に通用するマジシャンは出て来なくなります。このままでは日本のマジック界全体が沈没することに、審査員も、コンテスタントも気付いていないのです。

 何とか、努力をしている人はもう少し日の当たる場所に出してあげたいと思いますが、それには、もっと自身の意識を高めようとしなければどうにもなりません。

 「勝手にコンテストのことを書くな」。というのは余りに視野が狭過ぎます。コンテストが何のためにあるのかを知らないのです。本来ならあらゆる人の協力を得て、今の自分の技量を引き揚げなければならないときに、自分だけの世界に閉じこもっています。周囲が何でこうまでして時間と費用をかけて次の世代を育てようとしているかに気付いていないのです。

 そうした人に、演技の場を与えること自体が空しく感じられます。日本のマジック界は既に沈みかけています。それを活性化させるのは前途多難です。

続く