手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

SAMジャパン 2

 

SAMジャパン 2

 

 平成3年にSAMジャパンを立ち上げ、それから15年間SAMにかかわることになりました。それが良かったか悪かったかは後でお話しするとして、なぜ私がSAMの活動に没頭したのかと言うなら、それは優れたプロマジシャンを育てたかったからです。

 この時代、既に徒弟制度は完全に崩れてしまい、私以外で弟子を育てようとするマジシャンはほとんどいませんでした。と言ってほかにマジシャンを育てる手段と言うものがありません。結果、多くの若いマジシャンは、ビデオや小道具を買って自分で練習して、いつの間にかプロになっている人が圧倒的に多かったのです。

 人によっては仲間や先輩からアドバイスを受けることもなく、自分の考えだけでプロになってしまいます。そんなマジシャンに限って、「俺は誰からも習わずにプロになった」。と、自慢するひとがあります。それは自慢ですか?。

 一流のシェフが、どこの料理学校にも行かず、どこの一流レストランにも修行しないで、売り物の素材を買い求めて、勝手に料理をして、いいシェフになれますか。またそれを自慢できますか。そんなことを平気で言うマジシャンがいると言うことは、マジックの世界は三流なのです。

 徒弟制度で学ぶと言うことは、多くの先輩から世間に公表されていない口伝や生き方を学ぶことです。種仕掛けだけで一人前になれるものではないのです。徒弟制度もない、専門学校もないとすると、誰にどう伝えますか。手段がありません。ビデオや、小道具を買い求めただけではマジックの表面しか学べないのです。それでプロにはなり得ないのです。

 そうなら、どこかで能力のある人と出会い、誰かからにプロの道を学ばなければいけません。長くプロ活動をしているマジシャンも、日々の仕事先でマジシャンと出会う機会はほとんどないのです。このままではマジシャンの技術が継承されなくなります。そこで、コンテストなり、コンベンションなりで、優れたプロの演技を見て、話をして、人と人の信頼関係を作った上で教えてもらえるようにしたらいいと考えたのです。

 実際アメリカのコンベンションを見ていると、アメリカのプロマジシャンが若い人を集めて熱心に話をしているのをよく見かけました。ああしたものを日本でもやってみたら効果があるのではないかと考えたのです。

 

 ある時、SAM本部のコンテスト役員、ポール・クリテリィさんに質問をしました。「SAMは何を目的としてコンテストを開催しているのですか」。と、するとポールさんは即座に「優れたプロを創り出したいからです」。と答えました。白人社会のリーダーは、基本方針などを尋ねると、実に明快な答えを示します。

 こうした点、日本人のリーダーははっきりしません。根本的な質問をしても、曖昧な返事しか帰ってこない場合が多いのです。つまり、コンベンションも、コンテストも、ただ何となくやっているのです。

 あえて目的を言うなら、人寄せのため、人がたくさん集まれば物がたくさん売れるからやっている.。そんな理由なのでしょう。コンテストに集まってきた若い人材がこの先どうなるか、どう育てるかなどと考えてはいないのです。

 主催者の目的が曖昧では、コンテスタントも目的意識の薄いしか集まりません。結局、何をどうしてよいかわからないままコンテストに参加することになります。こんな状態で、いくらコンテストを続けていても、優れたマジシャンは育たないのです。

 ポール・クリテリィさんは、「優れたプロマジシャンを育てて、一般の観客にアピールして、誰もが名前を聞けばわかるようなマジシャンが出て来ない限り、マジックの支持層は増えません。外の観客を取り込めるようなマジシャンを作り出すことは結果として奇術界を大きくするのです」。

 まったく仰る通りです。どんなマジシャンがいても結構ですし、 アマチュアがたくさん増えることは喜ばしいことですが、マジックの組織としては、プロを育てることを目標にしない限り、マジック界全体の支持者は増えないのです。その考えは全く私も同意見でした。

 

 ポールさんからは多くのことを学びました。私がコンテストで最も疑問だったことは、審査員の採点が、本当にコンテスタントの技量を数値で示しているのかどうか。と言う点でした。つまり数値が科学されているのかどうかということです。実は日本のコンテストはこれが曖昧でした。

 多くの審査員が、見た目で、自分の判断だけで、勝手に点数を付けてしまう場合が多いのです。そこを、アメリカではどうやって正しい数値を見つけ出しているのか。これは大きな興味でした。実際、私がアメリカで審査員となって審査会に出てみると、各審査員は、相当に大変な仕事をしていました。

 

 まず、SAMの審査表は、大きく、技術、演技力、オリジナリティ、の3つに分けて審査します。それぞれが30点です。それに、観客の反応として10点、を加えて100点です。

 初めに、各項目に六割の点数を与えます。30点満点に対して18点にラインを引いておきます。ここが基準点です。演技に大きな失敗もなく、普通に見ていて不自然でない演技で、不思議も表現されていると言う演技は18点です。それに、演技の失敗や、ぎこちなさ、手順の作り方の良しあし、などを0・5点ずつ増減して行きます。フラッシュ(ネタバレ)などは一回につき1点減点します。

 審査員は、一か所に集まって演技を見ることはなく、客席のいろいろなところから演技を見ています。後で審査会で「上手からタネが良く見えた」。とか、「下手からのスチールは無理があった」。などと意見が出て、その都度、審査員全員が点数を訂正して行きます。

 一番大変なのは、オリジナリティで、実際に不思議な演技でありながら、それがオリジナルであるかどうかで5人の審査員は喧々諤々の議論をします。かつて自分たちの見たマジックを思い出し。「あれは誰それがやっていた」、だの。仲間に電話して、オリジナルかどうかを尋ねたり、時に一つの作品を30分かけて話し合うこともありました。

 その結果、初め高評価だったものが、いっぺんに平均点に落ちてしまう場合もありました。なおかつ審査員同士で、「あの演技をそんなに高く評価するのはおかしい」。などと、やりあう場面もありました。

 審査会は時に5時間に及ぶことがあり、そうして出来上がった審査表は、100%正解とは言えないまでも、客観的に見ても説明が付き、現時点で考えられる、良識ある採点として公表されます。この姿勢は正直頭が下がりました。

 そこまで誠実に審査しても、コンテスタントによっては、椅子を蹴り飛ばして、審査員の悪口を言って、部屋から出て行ってしまう人もいるのですから審査員と言うのは大変な役回りです。

 合計点の平均が70点以上で入賞です。チャンピオン(総合優勝)は85点以上です。点数に達しなければ、その年の入賞者はなしになります。日本のコンテストでもこのシステムは使わせてもらいました。これによりSAMジャパンのコンテストはアジアにおいて公平という評価を得たのです。

続く