手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

謎知り染めて それからが 2

謎知り染めて それからが 2

 

 

 世界のコンベンションの、コンテストを運営するリーダーに、私は度々、「なぜ、コンテストをするのか」。と尋ねると、彼らは共通して、「一般社会に影響を与えるようなプロマジシャンを育てたいから」。と答えます。

 

 コンベンションはアマチュアのお楽しみ会ではなく、本来の目的は一般社会に影響を与えるようなプロマジシャンを育てたい。という目的を持っています。

 然し、実際、コンベンションで催されているコンテストが、プロを育てることに役立っているのでしょうか。

 かつてのナイトクラブの時代とは違って、現代のショウビジネスで、8分とか10分の演技で収入になる仕事場と言うのは皆無と言っていいでしょう。無論、マジックコンベンションのゲスト出演ならば8分でもOKです。然し、コンベンションだけを仕事場にしていては生きて行けません。

 プロとして生きるなら、理解者だけを相手にするのでなく、積極的に一般客を相手にして行かなければ数多くの仕事は取れません。

 

 先ず、コンベンションの主催者は、コンテストの採点には多分に偏りがあることを教えなければいけません。

 実は、コンベンションの主催者も、審査員もマジックが好きなため、マジック愛好家に甘いのです。ついついコンテスタントの要望を最大限に聞いてしまいます。角度の浅い演技も、薄暗くしなければできない演技も許してしまいます。

 しかしそうした結果、その演技を引っ提げて社会に出ると、仕事関係者から冷笑され、全く物の役に立たないのです。コンベンションから、どこにも通用しないようなマジシャンが次々に輩出され、プロに成っても活動の場がないのです。

 結局、多くのチャンピオン、入賞者は、コンベンションに居残り、指導をするか、ディーラーとなって理解者を相手に生きて行きます。

 コンベンションは当初の目的を見失い、自らの世界を小さくして行きます。

 コンベンションはなぜチャンピオンにその後の生き方を教えないのでしょうか。若い人が四つ玉をすることも、カードをすることも十分意義があります。然しそれでめでたくチャンピオンになったなら、早くその芸から卒業して、一般観客が求めているようなマジックをするように勧めなければいけません。

 

 先ず一般の仕事をする上で、第一に求められるものは持ち時間です。さっきも言いましたように、一回のイベントで8分でいいなどと言う仕事はほぼ皆無です。30分、時に1時間の演技を求められます。

 さて1時間のショウを求められたならあなたは何をしますか。ここで注意をしなければならないことは、いきなり既製品を買って間に合わせてはいけません。テーブルを浮かせたり、箪笥に女性を入れ、四角い中空の箱をはめ込むようなことをすると、世界に数千人いる平凡なプロマジシャンの一人に成ってしまうのです。既製品を使うにしても、あなたらしいアレンジをしない限りプロとしての存在感を示すことは出来ません。

 自身がスライハンドの手順を作っているときには、細分に渡って自分の考えにこだわっていながら、いざチャンピオンになると、さっさと既製品を演じて、持ち時間だけ間に合わせていてはその品格を問われます。

 きっちりとした店で修行した料理人は、既成のマヨネーズやケチャップを使いません。もしシェフと呼ばれる人が、自分のサラダにキューピーマヨネーズをかけていたら、それだけで偽物だということがばれてしまいます。彼らは味で生きているのです。他人の作った味は使いません。

 ところがマジックの世界では往々にしてそれがなされます。マジック界は、底が浅いのです。

 プロとして生きることはチャンピオンになることの数倍、数百倍苦労をしなければ維持できません。疑る前に、オープニングに8分の演技をした後、あなたなら次に何を演じますか、そして1時間のショウをどう構成しますか。隅から隅まで人真似でない自分の世界を描いてみてください。

 

 例として、私のショウ構成をお話ししましょう、私は、一回のショウを依頼されると通常30分から40分の演技をします。冒頭はBGMを使って、「傘やシルク」を出す手順(スライハンド手順)が7分。そのあと「サムタイ」や「お椀と玉」など、喋りの手順が15分から20分。そして再度BGMを使って「蝶のたはむれ」(これもスライハンド手順)を10分。合計37分。これが座敷(20、30人)や、400人から500人程度のステージで演じる構成です。

 手順はすべて私のアレンジしたものです。古典ではありますが、過去の作品とは相当に違います。シルクも、小道具もテーブルも一つとして既製品はありません。すべて職人に依頼して一つ一つ製作した作品です。つまり私の演技は私を見ない限り、見られないものなのです。

 もっと大きな仕事になると、この後「水芸」を加えて10分。水芸前に「金輪の曲(和のリンキングリング)」を加えると10分。合計約60分の演技になります。

 60分のショウをこなすとなると、スライハンドだけでなく、喋りの技術も必要ですし、水芸のようなイリュージョンマジックも必要です。

 それらすべてをこなせて一本のショウになります。そして全体を眺めると、「手妻」というカテゴリーのマジックショウになります。一口に手妻と言っても、あらゆるマジックのジャンルをまたいで演技をしているのです。いわば、手妻とはグランドマジックショウなのです。

 

 現代では、仕事の場は多様化していて、行く先々で舞台の状況は違いますし、求められる内容も違います。そんな中で、横から見られたら出来ないとか、暗くしないと出来ないマジックなど、汎用が効かない作品は不向きになります。

 マジックで生きて行こうとするなら、出来ない状況を作っていては駄目です。どうしてもできない場所があるときはさっさと部分的に手順を差し替えられるようにしなければ仕事は取れません。如何にカードマニュピレーションが得意だからと言っても、横からお客様に見られてしまう場所では、演技は出来ません。

 私の見るところ、コンベンションは、マジシャンが生きて行くための成長を助けていません。チャンピオンを出して、彼らを持ち上げたまま放置しています。これで人が育ちますか。

続く