手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

理想のマジシャン

理想のマジシャン

 

 日本各地のコンベンションでマジックコンテストが開催されています。中には、そのコンテストに入賞すると、FISMのアジア大会に出場する権利が得られ、更にアジア大会に入賞すれは、FISMの本選にチャレンジできると言うコンテストもあります。

 FISM本選でチャンピオンになるか否かは別としても、FISMのコンテストの中で、目立った演技を見せる日本のマジシャンがなかなか現れません。この20年を見ても、日本国内のマジック熱はかなり縮小しています。日本と入れ替わるかのように、韓国、台湾、中国から若いマジシャンが出て来ています。

 私がSAMの日本リージョンを立ち上げたのは1992年でした。毎年日本各地で世界大会を開催していた時には、そのコンテストに韓国、台湾、中国からたくさんのコンテスタントが集まって来ました。ある年は、ステージ部門20人と言う枠に、人数がはみ出して25人になり、その約半分が韓国人だったこともありました。

 クロースアップ部門も10人のところが15人もチャレンジャーが集まり。僅か2日半のコンベンションの中でステージ、クロースアップ併せて、40人ものコンテスタントを見なければならなかったのです。その頃の韓国台湾のチャレンジャーは、正直、数ばかりたくさん出て来て、内容はいま一つでした。やたらと火薬を使って、ドカンドカンと激しい音をさせる人が多かったように思います。

 それでも、彼らは真剣に日本からマジックを学びたいと考えてやって来ていました。SAMではコンテストの後に、必ずフィードバック(個々の演技の問題点を審査員が指摘する場)を設けていました。審査員の反応を聞きたくて、韓国も台湾も通訳を連れて、一言一言を記録して、メモを取る人がたくさんいました。あの頃は圧倒的に日本が優位を保っていた時代でした。

 日本の優位が崩れ始めたのはいつからでしょうか。2012年のオランダ大会で韓国の、ルーカスやユ・ホジンなど、新しいリーダーたちが出て来て、韓国のレベルは変わって行ったように思います。私はその少し前の、2011年香港で開催されたFISMアジア予選を見て、韓国のマジシャンが群を抜いてレベルが高かったのを目の当たりにして、「もう日本の時代ではない」。と悟りました。

 2011年のころは、日本各地でもコンベンションが盛んに行われ、コンテストもしきりに開催されていました。然し、確実に国内のチャレンジャーは数が少なくなっていましたし、又レベルも徐々に下がって行っていました。

 それは、一つに、ステージマジックが徐々に仕事の数が減って行き、出演チャンスが減って行ったことが大きかったと思います。それに反比例して、学生マジッククラブ出身のチャレンジャーが増え、コンテストはほぼ完全にアマチュア化して行きました。

 韓国台湾ではもともと若い人たちが集まってマジックを練習し合っていたような状況で、この活動がショウビジネスでまだまだ認められてはいなかったようなのですが、日本の学生アマチュアと韓国、台湾は共に似通った方向を持つに至りました。

 そんな中で、2009年のFISMのステージコンテストで、東京大学の加藤暢がウォンドの手順でゼネラル部門一位を取るに至って、学生手順でも十分にFISMで評価されることが分かり、以降は学生マジックのチャレンジャーが激増しました。

 アマチュアが増えることは悪いことではありませんが、アマチュアが不思議を追求するあまり、舞台を暗くして、黒ネタ、糸ネタを多用するのを見ると、これを一体どこで演じるのかを考えたときに、マジックが一層一般客からは遠く離れた演技になって行っているように思いました。

 

 一時期、韓国は多くの若いマジシャンを出してきましたが、彼らがプロになって思うように仕事に恵まれないとなると、おのずとマジシャンの数は減って行きます。実際、韓国一国ではそう多くのマジシャンは生活できないでしょう。では海外に出ればよいと言うことになりますが、彼らの7分くらいの演技で、横から見られたら駄目、明るいと駄目、などと条件の多いマジックの演技ではやはり仕事には恵まれないでしょう。

 つまりコンテスト演技は、現実の仕事場に寄り添って演技を考えていないのです。かつてマーカ・テンドーに私が、「年間何日、カードの手順を演じる機会がある?」。と質問すると、「年に一回か、二回」。と答えました。自分の最も得意とする演技がそれくらいしか披露できなければ、自分の力を見せる場所がほとんどないと言うことです。実際彼は晩年仕事がなくて苦しんでいました。

 なぜ、マーカ・テンドーが世界大会でたくさんのトロフィーを手にしながら、仕事がなかったのか。韓国の若いマジシャンは、テンドーを追い続けながら、彼の現実を見ようとはしなかったのです。それゆえに彼らは技量があっても仕事に恵まれないのです。自分がプロとしてどう生きて行かなければならないか。この事をもっと真剣に突き詰めて考えて行かなければいけないのです。

 どういうマジシャンになりたいか、という問題は、実を言えば、コンテストを開催する主催者が答えを持っていなければならないことなのです。  コンテストと言うのは、ただ漠然と募集をかけて、集まってきたアマチュアの中から上手かった人を順に選んで行く、と言うものではないのです。

 まず初めに、主催者が、どんなマジシャンが欲しいか、という目的を持って人集めしなければいけません。どんなマジックをするマジシャンが欲しいのか、どんなマジシャンに出てきてほしいのか、組織によってそれぞれ求めるマジシャンは少しずつ違うはずです。

 ところが、少なくとも日本の主宰者は自分自身の方針が余りはっきりしていません。どこのコンテストも似たり寄ったりで、誰に優勝してもらいたいか、その人間像が見えてこないのです。どう見ても適当に集まった中から一位、二位を決めているようにしか見えません。それで人が育つでしょうか。

 例えば、明確にプロを育てたいと考えている組織のコンテストだったら、糸ネタ黒ネタを安易に認めるでしょうか。演技時間がわずか3分や4分の演技を認めるでしょうか。板付けで始まって、音楽の開始から20秒も下を向いて、きっかけ待ちをしているような演技を認めるでしょうか。まず初めに、「そんな演技は一般の仕事先では通用しない」。と言うことをコンテスタントに事前に伝えなければいけません。

 適当に審査をして、FISMに送り込み、そこから相手の審査員に適当に選んでもらう。そんな受け身のコンテストからはこの先の有能なマジシャンは生まれません。これまで日本は多くの有能なマジシャンを輩出してきたのです。それが今のこの状況は何が問題なのかと言えば、日本の奇術界で、求めるマジシャン像を示せる組織がないのです。どんな素質のある若者でも、方向を示せるリーダーがいなければ、いいマジシャンは育たないのです。2012年以降、日本の奇術界は迷走を続けています。明日もう少し詳しくお話しします。

続く