手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

プロを育てる 1

プロを育てる

 

 以前SAM (ソサエティオブアメリカンマジシャンズ アメリカ奇術協会)の役員をしていた時に、コンテスト責任者のロバートにいろいろ質問をしました。その時に、「何のためにコンテストをするのか」、と問うと、ロバートは即座に「優れたプロを育てるためだ」。と答えました。

 その考え方は明快で、「どうしたらプロが育つか、どうしたら今アマチュアで活動している人たちがプロになれるか。なぜ彼らがアマチュアの儘で、プロになれないのか。それを教えるのがコンテストなのだ」。と言うのです。

 いや、コンテストのみならず、コンベンションと言うものは、どうしたら優れたプロが育つのか、と言うことがテーマで運営されている組織。と言っても間違いではないのです。

 

 私はロバートのこの言葉に感動したとともに、広くマジックの世界を見渡してみれば、SAMであれ、IBMであれ、FISMであれ、目的は同じだと気付きました。

 それほどコンベンションの組織は、フルタイムマジシャン(アメリカではプロをフルタイム=専業マジシャン、と言い、セミプロをパートタイム=兼業マジシャン、と言います)、を渇望しているのです。マジックのすばらしさを世間に訴える力を持っているのはプロしかいないのです。プロの育たない社会はそれそのものが価値ある社会とはみなされてはいないのです。それゆえ、アメリカ人は、フルタイムマジシャンに大変な尊敬心を持っています。

 コンベンションの開催されているホテルで友人のマジシャンとコーヒーを飲んでいる時も、10代の少年が近づいてきて、「どうしたらプロになれますか」。と私に質問してきます。私がコンテストを見ていても、帰り側に、コンテスタントが走って寄って来て、「私の演技はどうでしたか」。と質問してきます。私とコンテスタントは面識もないのです。にもかかわらず、熱心に近づいてきます。

 アメリカの大会ではそうしたことを日常的に経験をします。考えてみれば、プロマジシャンとアマチュアとが親しく会話ができるのは、こうしたコンベンションの中でなければ無理です。こうしたチャンスを生かすためにコンベンションと言うものがあるのかなぁ。と思います。

 

 と、まぁ、ここまでは10年、20年前までのコンベンションの形態だったように思います。その後のコンベンションはどうなったのか、どうも私は、コンベンションも、今のアマチュアも、プロを目指していないように感じられます。アマチュアがアマチュアであることに安住してしまって、そこから先に進んで行こうとしないように見えます。

 現実には、世界的にショウの文化が縮小してしまって、プロとしての活動は思いっきり狭いものになっています。その中に入って行くのは至難です。そして苦労してプロの道を手に入れたからと言って、豊かな生活が約束されているわけではありません。そうなら、確実に生きて行ける仕事を持って、アマチュアでいることの方が、気ままでいい。と考えている人が増えても不思議ではありません。

 コンベンションの組織自体も、プロを目指しているアマチュアに、商品の販売とレクチュアーで小銭が稼げるように支援しているように見えます。

 マジックショップを経営することは素晴らしいことです。それそのものは実業なのですから、立派な行為なのです。然し、私が、「どうかなぁ」。と思うのは、コンベンションで、数点、ビニールに入ったパケットカードのようなものを並べて、販売しているマジシャンたちです。

 彼らは、プロなのか、マジックショップの経営者なのか、こんなことをしていて、自分自身の目的が達成されていると考えているのか。コンベンション主催者は、マジックショップでもない、プロでもない、アマチュアでもない、コンベンションプロのような人がたくさん育っている現状をどう考えているのでしょうか。

 

 かつて、2000年のFISMリスボン大会にサルバノが出演したときに。サルバノは既に癌に侵されていました。そのため体調が不安で、出演条件として、「息子(私と同じ年の息子がいます)を連れて行きたい」。と言い。自分と息子の交通費、宿泊費、それに3000ドルのギャラと言う条件を出しました。ところがFISMは値切りをします。

 「一人分の交通費と2000ドルまでしか出せない」。と言って来ました。「変わりに、レクチュアーをしたら良い、道具の販売をしたらよい」。と言う条件を出しました。それに対してサルバノは激しく怒って、

 「なぜ私が道具を販売しなければならないのか。私はプロマジシャンである。販売なんかしない。レクチュアーはしないものではない、でもそれは私のサービスで行うもので、収入のためのレクチュアーなんてしない。まずギャラとして3000ドルを払え、そして息子の付き添いを認めろ、そうでなければ出演はしない」。と突っぱねたのです。

 結果、彼はその条件でリスボンの大会に出演を決めました。実はその数年前、SAMのボストン大会でも、同様な問題があって、彼は、販売を断って、ステージだけに出演をしていました。彼はポーランド人で、余り英語は堪能ではありません。せっかくの世界大会にあっても親しく話をする相手がいないのです。

 サルバノは、私が東京の大会に招いて以来、度々顔を合わせています。大会中、彼はショウの出演が一回あるのみで、他に用事がありませんから、そのため、サルバノ親子は、ボストンでも、リスボンでも毎日私と昼食をしていました。

 なぜ私がサルバノと親しく話をするのか。私が決して英語に堪能なわけではありません。私もサルバノも、ともに英語のボキャブラリーは足らないのです。然し、私が日頃余りマジックの話をしないことが、彼にとっては幸いだったのでしょう。毎日世間話をして、私のくだらない話に爆笑して、半日過ごせる相手こそ彼の欲しがっていた仲間だったのだと思います。

 その時、サルバノは「このままではプロは育たない。こんなことをしていては、小器用に小銭を稼ぐマジシャンばなりが増えてしまう。大きな幻想を作り出せるような人材はコンベンションからは生まれてこないだろう」。と危惧していました。

 それから20数年が経ちました。もうサルバノはいません。然し、この20年。サルバノが言ったように、コンベンションはどんどんアマチュア化して行き、目的意識は薄れて行っているように見えます。

続く