手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

韓国マジック事情 3

 このところブログを書くことが面白く、毎日熱心に机に向かっています。書籍を出すのと違って、ブログはあまり校正をせずに出してしまいます。いわば日記のようなものですので、ある点でその書き方が、自身の心を素直に映していて、それなりに新鮮さはあるのですが、後で読み返すと、誤字、脱字、文章の組み立てが問題だらけです。

 時折り前に書いたことを読み返して、不足部分を補っています。私のブログを面白いと思われる読者は、どうぞ前のブログも再読してください。少しづつではありますが直してあります。

 

 さて、マーカテンドーの出現は世界中の若いマジック愛好家に大きな影響を与えます。アメリカのコンベンションなどに行くと、アメリカ人の子供たちが常にマーカテンドーの後をぞろぞろついてきて、彼からカードを習おうとします。

 それをまたマーカテンドーは拒否しません。親切にカードロールを教えてやったりします。アマチュアにすればこんないいお兄さんはいません。彼の周りは常に子供で一杯です。韓国ではいち早くテンドーの影響を強く受けたリウンギョルさんがカードと鳩の手順を作って売り出します。少し遅れてチョィヒョンウーさんもクロースアップで売り出します。この二人がマスコミに出るようになると、すぐに若者が飛びついて、それまでかなりマイナーな芸能だったマジックが一躍若者の注目を集めるようになります。

 

 ただし、私はウンギョルさんのアクトには少し疑問を感じていました。あらゆるマジックを寄せ集めて、いいとこどりをして、火薬のドカンと鳴る筒を使ったり、手妻の滝を撒いたり、とにかく売れたい一心で受けるアイディアをかき集めたような手順は、どうも好きになれませんでした。そのことはウンギョルさんにも話しました。彼はそれをわかっていたようです。しかしどうしても改められません。その時代の韓国で名を成すためにはやむを得ないものだったのかもしれません。

 

 そのうち、ウンギョルさんが2003年FISMハーグ大会でマニュピレーション部門2位、2006年FISMストックホルム大会でゼネラル部門一位に選ばれます。韓国の新聞や、テレビがこぞって取材をし、まるで凱旋将軍のような扱いでした。世界大会で韓国人が一位を取ったと言うことが大きな話題で、ここからウンギョル時代が始まります。

 ウンギョル人気は、すぐさまミニウンギョルを百人生み出します。彼らはどこで作ったのかおかしな燕尾服を着て、カードと鳩を出す少年が韓国中に溢れ返ります。彼らはウンギョルさんと同じようにドカンの爆薬を使います。なぜ鳩を出すためにドカンが必要なのか意味が分かりません。しかし彼らはウンギョルになりたいのです。そしてウンギョルを超えたいのです。技で超えられなければせめて火薬の量で超えて見せたいのです。かくして私の嫌いな、ただ脅かすだけのマジックが韓国中に次々に現れます。私は、こんな連中がマジックをしている限り、日本マジック界の優位は安泰だと思っていました。多くの韓国の若者は、ウンギョルを真似ることしか考えません。なぜなら彼らは、ウンギョル見てマジックを知ったのです。それ以前のマジックは彼らにとって無かったも同じだったのです。

 

 当のウンギョルさんは一つ悩みを持っていました。兵役です。韓国ではすべての男子に兵役の義務があります。2年間、社会から隔絶して国のために奉仕しなければなりません。せっかく人気が沸騰している中に、兵役に行って2年留守をしたなら、世の中の流れから遅れて、忘れ去られはしないか。非常に心配していました。FISMの入賞が、兵役を免除してくれると言う噂もあったのですが、結局兵役に就くことになります。

 2009年FISM北京で私はゲスト出演をし、水芸を披露しました。ここでウンギョルさんと再会しました。彼は兵役を終えたばかりでした。久々に会って話をしました。兵役はかなり厳しかったようです。幸い仕事は兵役以前より忙しくなったようです。

 しかしこの間、徐々に新しい世代が育ってきています。実際、北京の大会ではハンソルヒ(CDプロダクションのマジック)さんと日本の加藤陽さんがマニュピレーション部門で同率第一位となっています。そこには、ひところの火薬は鳴りを潜めます。さらに2011年のFISM香港の予選では、静かに、心の内を語ってゆくようなマジックが出てきたのです。ユホジンさんやルーカスさんの演技がそれです。

 どこを見てもウンギョルのコピーしかいなかった韓国が、たちまちストーリー性を持って、スローで静かな演技をするような若手が出て来たのは驚きでした。ユホジンさんとルーカスさんが優勝と一位を取って韓国がアジアの奇術界を独占したのです。

 明らかに、彼らはマーカテンドーとも、ウンギョルさんともちがった道を選び始めたのです。私はホテルの中で全く一睡もできずに考え込んでしまいました。もはや日本のマジシャンがどれも過去の人に見えたのです。明らかに時代が変わったと思いました。

  彼らが2012年FISMブラックプール大会でチャンピオンと部門優勝を取ったことは当然のことでした。これ以降、日本の若手はこぞって韓国のコンベンションに出かけて行くようになります。わずか10年ですっかり立場がいれ入れ替わってしまったのです。

 

 さて、この先、韓国はどうなるでしょうか。いや、これからお話しすることは韓国に限ったことではなく、日本の若いマジシャンも考えなければならないことです。

 マジック界の話をすると、常にFISMの話題に集中しますが、実際、FISMであれ、ラスベガスの大会であれ、そこで優勝したとしてもそれで生きて行けるものではないのです。優勝して世界各地のコンベンションから引き合いに来たとしても、年間数回のゲスト出演では生きては行けません。マジックの狭い世界だけで生きるのは無理なのです。

 マーカテンドーはマジックの世界で人気を独占しました、しかし、彼の人気に陰りが見えてきた晩年の10年間は生活の苦労をし続けたのです。彼のカード手順は世界大会では称賛されましたが、一般の仕事先では使えませんでした。

 仕方なく売りネタを使って手順を組んでいましたが、これが私の見る限り、おざなりな手順でした。巧さも深みもありません。ディーラーショウのようなマジックでした。彼が生活してゆけないことはその手順を見たなら明らかでした。なぜそんな手順を平気で見せるのか、答えは簡単です、修行が足らなかったのです。

 やりたいマジックをしているうちに、それが売れてしまって、本来学んでおくべきマジックが足らな過ぎたのです。先輩から直接習ったマジックがなかったのです。結果として、マジシャンとして滑動してゆくための、プロらしい、うまみのあるマジックが不足していたのです。このことはマーカテンドーだけの話ではありません。

 ネットやビデオでマジックを覚えたマジシャンに共通して言える問題です。コンテスト手順は必死になって作りますが、それ以外の手順がスカスカで、売り物のマジックのオンパレードになります。リングでもロープでも、本来の味わい深い作品を持っていないのです。韓国のマジック界も同様です。

 ウンギョルさんが出たならウンギョルの真似、ユホジンさんが出たならユホジンの真似、真似で世界大会で名前をなしたいと思う気持ちはやむを得ないとしても、そのあとどうやって生きて行くのか、そこを指導できる人がいないのです。

 今の韓国マジシャンはみんな糸が見えないように、舞台を暗くして、トランプの裏を黒くして、黒を消すために黒い上着を着て、何から何まで黒ずくめです。それが通常の舞台でもできるならいいのですが、一般の仕事でそれができますか。できないとしたらそこではどんなマジックをしますか。生きることの現実を突きつけられていながら、現実を見ないで自分のしたいマジックばかりしていて、どうして生きて行けますか。

 結局、マーカテンドーが生涯かけて回答できなかった問題に、マーカーテンドーをなぞった韓国の若いマジシャンが、苦しんでいます。韓国でマジシャンが増えれば増えるほど、もっともっと別の考えのマジシャンが育たなければいけないはずですが、現実にはコンテスト狙いのマジシャンばかり増えています。

 彼らが今しなければならないことは、通常の仕事先で観客が納得しうる手順を見せることなのです。しかし、彼らがやっているマジックはカードであり、四つ玉であり、周囲の仲間のマジシャンと同じことをして、些末な違いを競っています。彼らがそこに寄ってしまうのは、韓国内でマジックの蓄積がなさすぎるからです。カードやボールだけで多くのマジシャンが生きて行けるわけがないのです。

 話を戻して、戦前の日本統治下で舞台をしていたマジシャンや、朝鮮戦争以降のマジシャンとのつながりなどが残っていれば、今の韓国の若いマジシャンにも日々生きて行くためするマジックの蓄積があるはずなのですが、今の韓国を見ると、そこが薄く感じます。日本のマジック界と大きく違う点は歴史のつながりなのです。

 

 幸い、日本は、プロもアマチュアも各世代が存在しています。その歴史は脈々と受け継がれています。昨年ルーカスを九州奇術連合会のゲストに招いたときに、畳の大広間に座ってショウを見ている老人の観客を見て、「うらやましい」。と言いました。韓国には60代以上のマジック愛好家がほとんどいないのです。どこも若者ばかりです。

 若者は、マジック大会があっても小遣いが限られていますから、マジック道具は買えません。そうなると、マジックショップが流行りません。大会そのものも、何万も参加費を支払わなければならない大会に若者は参加できません。そのため、大きなマジック大会が開催できないのです。

 日本で日常何でもなく開催しているマジックの催しですら、韓国で開催することは一大事なのです。一見繁栄している韓国奇術界ですが、その実賑わいは表面だけなのかもしれません。これが充実して安定した世界になるのにはまだしばらくかかるでしょう。