手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

白富士

白富士

 

 23日のジャパンカップの翌日(24日)、私は富士にマジック指導に行っていました。もう20年以上になりますが、富士のアマチュアの皆さんに毎月一回、マジック指導をしています。

 新幹線が沼津を超えて三島に近づくと車窓から富士が大きく見えてきます。今の季節は富士のすそ野まで真っ白です。毎月富士に出かけていますが、富士がよく見える確率は大体半分くらいでしょうか。特に春は霞がかかって曇り空が多く、富士の全貌が見えないことが多いのです。然し24日は、うっすら霞みながらもよく見えました。

 周囲の山々は墨絵のようにモノトーンで濃淡によって山が重なる姿が分かります。北斎や広重の浮世絵で使う、モノトーンのグラジエーションが、あれは絵だからそうなっているのだと思いがちですが、実際春に、霞んだ山々を眺めると、まさに広重が描いた世界そのものです。そうした中で富士だけは別格で、色も形もはっきりと、大きく美しく存在しています。

 富士の町はどこにいても富士が良く見えます。新幹線駅からも大きく裾を伸ばした富士が見えます。然し私の指導している、田子の浦の公民館から見る富士は見事です。「田子の浦ゆ、うち出でてみれば真白にぞ、富士の高嶺に雪は降りける」。

 万葉の歌人山部赤人の歌です。千年以上も前にこの地に来て、田子の浦から富士を眺め、その美しさに感動したのです。富士の上の方が真っ白だと言っていますので、時期も今頃かも知れません。平安時代田子の浦がどんな風だったのかは全くわかりませんが、歌に残したいくらいに美しかったのでしょう。その富士を私も度々眺め、「あぁ、今日はいい富士だ」。「今日は頭が見えない」。などと他愛もない話をしています。確かに、田子の浦から眺める富士は価値があります。願わくば港の周辺がもう少し綺麗な街並みだったなら素晴らしい観光地になるのですが。

 

 さて、この20年間に、富士の指導の受け入れ先が、富岳マジッククラブから、マジッククローバーズに変わるなど、メンバーも変わって行きました。クローバーズはクラブ員自体は30人くらいいるそうですが、その中のより熱心な人が10人程度参加して、私の指導を受けています。

 リーダーは佐野玉枝さんと仰って、熱烈にマジックが好きで、物凄く練習をする人です。積極的に富士市内でボランティア活動をして、マジックを見せています。小学生や、市のカルチュアーセンターでマジック指導もしています。

 実際、佐野さんは、もし東京近郊に住んでいたなら、確実にプロとしてやって行ける人です。もっと早くに知り合っていたなら、積極的にプロになるよう私も支援したはずです。富士と言う、限られた地域で活動させておくのは勿体ない人です。

 無論そうした人ですから、近隣のマジッククラブなどからも度々ゲスト出演の依頼をされています。5月に小田原のマジッククラブのゲスト出演をすると言うことで、先日は、手妻の「紙片の曲」を練習しました。振袖にするか、袴をつけて男ぶりにするか、迷って、二種類の衣装を着て二回稽古をしました。楽しみがあっていいですね。

 このクラブでは、会員さん一人ずつに演技手順を作って指導しています。それを毎回演技を見て細かなところを直して行きます。11時30分から稽古をスタートをして、個々の手順稽古を二時間行います。1時30分ころ、皆さんでお菓子を食べてお茶を飲んで休憩します。

 その後は、一つのマジックをみんなで練習します。シンブルであったり、シルクマジックであったり、ロープであったり、手順物を学びます。

 こうして毎月、プロがつきっきりで指導しますので、このクラブにいると、5年もたてば相当に巧くなります。80過ぎのお爺さんがカードマニュピレーションをしたりします。他のクラブではちょっとあり得ないレベルです。

 毎月熱心にボランティア活動をしていますし、地域の人達からも信頼を得て活動しています。多くは子育てを済ませた人たちなのですが、みんなマジックをすることに喜びを感じています。

 

 そうしたアマチュアさんたちを見ていると、「地方都市に住んで趣味でマジックをするのもいいかなぁ」。と思います。東京に住んでいると、家賃や駐車場代がかかり、物価も高く、給料だけではなかなかやって行けないため、主婦がパートの仕事をしたりして、労働する時間が余計にかかりますが、地方都市で、親が住んでいた家を譲り受けて、庭に車を停めて生活している分には、ほとんど余分なお金がかかりません。

 その分、マジックの道具を買ったり、衣装を作って華麗に変身して舞台に出たりすることができて趣味が充実します。衣装もボランティアでたびたび使用して披露できますし、演技をして、人に感謝されれば、この上ない喜びです。

 これは地方都市で趣味とするには最も有効な活動ではないかと思います。但し、いま日本中では、徐々にステージマジックの愛好家は減少しています。新しく若い人が入ってこないことが問題です。

 私は、ステージマジックは充分若い人にもアピールできると考えていますし、やりだしたら面白いことは分かると思いますが、簡単にネットなどで覚えられるクロースアップの方に若い人が集まってしまうのが現状です。

 然し、本来マジックはクロースアップ、ステージと分ける理由はありません。クロースアップマジシャンでも仕事場によって、ステージアクトをやらなければならない場合も多々あるわけですから、学ぶ場所、学ぶ内容をセレクトして、指導のシステムを作れば、若い人も集まって来ると思います。

 

 少し指導の方向を変えるべく、5月14日から三か月、秋葉原でステージのレクチュアーをします。高橋司さんと、トランプマンの中島さん主催によるレクチュアーです。もしよかったら問い合わせてみてください。けっこう参加者が集まっているようですよ。

 

 さて、24日の指導は5時に終わりました。外に出ると雨でした。もう富士は隠れてしまっています。急に肌寒くなってきました。これから東京に戻れば、家に帰るのは7時頃。途中寿司屋によって、シマアジと鰹の刺身で一杯吞もうかな、いいなぁ、今の時期の鰹は脂が少なく、わずかな渋みがあって、日本酒と合わせると鰹のうまみが立ち上がって来て、最高にいい肴です。そう思うと自然と足が速くなります。早く帰ろう。

続く