手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

石坂栄造師追悼

石坂栄造師追悼

 

 マジック愛好家の石坂栄造さんが先月27日に亡くなられました。享年85。およそ東京での活躍の少なかった人でしたので、この人の名前は奇術界で知られることはなかったようです。

 富士宮市出身で、早稲田大学在学中にマジッククラブを起こし活動しました。大学在学中に作り上げたシガレットの演技が話題になり、学生の間で知名度が高かったようです。卒業後、地元に帰り、家業の呉服店を継ぎました。

 地元ではボランティア活動や、マジックの指導などを熱心に行い。富士市で富士マジッククラブを発足。初期の10年、会長を務め、会の運営と、指導に当たりました。静岡県下での石坂さんの功績は大きく、この地域でスライハンド、カードなどと言った技術を要するマジック指導をされて、周辺都市のマジックのレベルの向上がなされたのは、偏に石坂さんのお陰なのです。

 話は前後しますが、石坂さんは富士のクラブに、度々、スピリット百瀬さんを招き、指導を受けました。ただ、百瀬さんの指導が、細かなとこにこだわりを持ち、遅々として進まないことに会員からの反発が強くなり、百瀬さんを支持する石坂氏と考え方の違いが生じるようになりました。

 やがて、石坂さんは、毎月毎月クラブ内で指導をし続けなければならないことに疑問を感じ、石坂さんは会を退会します。そうした中、石坂さんを支持する仲間が集まり、新クラブの結成を唱えるのですが、石坂さんは興味を示さなかったのです。

 

 私と石坂さんとのおつきあいは、SAM(ソサエティー オブ アメリカンマジシャンズ、日本地域局、1992年設立)の組織の中で、スピリット百瀬さんが、SAMの支部会長になって、東京でパーティーを開いた際に、石坂さんがゲストでシガレットを演じたのを見た時です。

 この時初めて石坂さんの演技が驚きでした。かつてシガレットはスライハンドの花形種目だったのですが、その技がしっかり生きていて、しかも手順として完成されていたのです。早速私は、SAMの組織の機関紙、MUMでその演技を絶賛しました。

 その縁でその後、石坂さんとお会いする機会がありました。ところが、平成10年に石坂さんが喉頭癌になり、大きな手術をします。声を発することができなくなり、首は常にコルセットで押さえて、拡声器をのどに充てて声を出すようになりました。

 初めは、それを恥じて人前に出なくなりました。手術後、富士市内のホテルでパーティーを開催しました。何人かの有志とともに、私がゲストで蝶を演じました。

 話は前後しますが、30年前から、私は静岡の清水で毎月一回マジックの指導をしていて、その情報を知った、石坂さんの生徒さんが訪ねて来て、今、富士は指導家が不足しているため、富士で指導をしてくれないかという話が来ました。清水と富士は近くですので、申し出を引き受けました。先ず、富岳マジッククラブと言う会を立ち上げ、毎月、清水と富士とで指導することになりました。

 石坂さんは、始めは病気のためか、滅多に参加しなかったのですが、やがて徐々に心を開き、富岳の会に参加するようになりました。

 そこで石坂さんは、全く初心に帰って、会員と一緒に、一から基礎的なマジックを覚えるようになりました。私が指導するシルクの扱いや、カード、ロープ、リング、四つ玉など、基礎中の基礎を他の会員と共に学び始めたのです。実は、ここから石坂さんの第二の人生が始まったと言えます。

 

 石坂さんは、基礎を学ぶうちに、マジックが分かって来たと私に言いました。稽古を繰り返すうちにマジックの奥が見えてきたのです。その結果、自然自然と演技が深まって行きました。更には、それまで全く演じることのなかった手妻も演じるようになり、後に、手妻が石坂さんの得意芸になって行きます。

 手妻が種仕掛けで演じるものではなく、人の心の奥にある情感に訴えるものだと言うことが分かると、我が意を得たりの心持になって、長年、種仕掛けを教えることだけがクラブの活動であるかのように思われていたことに反発していた石坂氏は、手妻にのめり込むようになります。

 積極的に東京にも出てくるようになり、東京の舞台にも出演するようになります。かつては、喉頭癌のため、首にコルセットを嵌めている姿が、人前に出ることを躊躇していたのですが、晩年はまったく気にしなくなりました。

 富岳は約10年で解散し、その後、クローバーズと言う組織が生まれ、クローバーズは今も盛大に発表会を行うなどして活動しています。

 

 石坂さんのシガレットは、ご当人の性格の通り、極めて几帳面な演技でした。昭和30年代の古典的なスライハンドではありますが、スチールも、パスも、パームも、正確に演じ切り、実に鮮やかでした。時間をかけて、一本一本シガレットが出てくると言う、至って地味な芸ではありますが、見ていると、マジックの旨味が良く伝わって来ます。大きなものを出せば受けると言うものではないことが良くわかります。

 アマチュアであるがゆえに、その資料は少なく、今、石坂さんの演技を見ることは難しいのですが、私は何とか、石坂さんの功績を残そうと、日本奇術協会の、ベストマジシャンズフェスティバルに推薦し、プロマジシャンに混ざって、日本橋劇場でその演技を披露しました。

 その時のビデオは残っていますので、協会に問い合わせれば、ビデオ入手は可能かもしれません。私の所にも資料はありますので、いずれ記録としてお出ししようかと思います。いずれにしましても、優れた演技が残せたのはよかったと思います。

 地方でアマチュアマジシャンとして活動をすると言うことは、限られた世界で、かなりチャンスの少ない活動を強いられることが多く、なかなか晴れがましい成果を上げにくいものです。

 そんななかにあって、アマチュアが何をしなければいけないかを真剣に考え続けて、活動してきた石坂さんが、亡くなったのは残念です。然し、多くの生徒を残し、地域活動に貢献をされたことは素晴らしいことと思います。

 私も随分お世話になりました。本日、富士宮本光寺で葬儀。ご冥福をお祈りします。合掌。 

続く。