手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

普通の車

普通の車

 

 20代のころは面白がって色々な車に乗りました。1980年代から90年代は、時あたかもバブル時代でしたから、知人が持っているスポーツカーや、高級乗用車を運転する機会はたくさんあったのです。ジャガー、ベンツ、BMWフェラーリ、世界中の様々な車を運転しました。

 その時、実際に運転して感じた、一台一台のテイストの面白さは今も忘れることができません。人生で最高の喜びでした。車ほどその国民性を感じさせる工業製品は他にありません。ドイツ人は如何にもドイツ人らしい車を作りますし、フランス人は全くドイツ人とは違った考えで車を作ります。そもそも車に何を求めているのかが違うのです。

 ベンツに乗ると、先ず、各種メーターがずらりと正面に並び、ドライバーを威圧します。まるで飛行機のコックピットのようです。それが余りに整然と並んでいるがために、なぜこうもたくさんの計器が並んでいなければいけないのか、圧迫感すら感じます。

 しかも乗るとすぐに、自動的にシートベルトが胸元まで伸びて来ます。シートベルトをしろと強要しているように感じます。然し、ちょっと駐車場の中で、前後に車を移動する程度のときなどは、いちいちシートベルトはしません。そのまま運転をしていると、車は警笛音を徐々に大きく鳴らして何が何でもシートベルトをすることを求めます。

 これは驚きです。ドライバーの都合など関係なくシートベルトを求めるのです。「あぁ、ドイツ人の仕事だなぁ」。と思います。「こうあるべき」。と思ったらもう妥協がないのです。フランス車なら、そんな要求はしません。シートベルトは必要ではありますが、強要はしないのです。メーター類も3つか4つ見えているのみで、他のメーターは蓋をかぶせて隠してあります。圧迫感が全くありません。

 フランス車の車内は、同格のドイツ車と比べると、遥かに広く作られています。ドイツ車が何となく部品の隙間に人間を押し込めているように感じてしまうのに対して、フランス車はのびのびしています。フランス人は何より居住性にこだわります。

 逆にフランス車は社内の作りがチープです。何でもかでもプラスチックで作ります。そしてそれがプラスチックであることを隠しません。ドイツや、イギリスの高級車に見られるような、木製のひじ掛けや、革製のシートなどはあまり必要と感じていないのです。無論フランス車も、最上級クラスには皮シートや、手の込んだ装飾をしているものもありますが、平均的に、フランス人は10年程度で買い替えるような機械に耐久消費財を使用しないのです。

 それに対して、イタリアのマセラッティなどは、アイボリーの皮シートで、ハンドルまで皮で作られていて、室内内部は木目の調度品が作り込まれています。車に乗った瞬間から「これは高級車だ」。と言うことが素人でもわかります。

 マセラッティは昔から、ジゴロのご愛用車などと言われてからかわれてきましたが、確かに、二枚目の男性が、この車に乗って女性をレストランに誘ったなら、付いて行ってしまう女性も少なからずいるでしょう。但し、贅沢さが、イギリスのジャガーのように、伝統に裏打ちされた豪華さではありません。如何にも最近金を儲けた軽い男が、持てたい一心で乗るような車です。それでも刹那的な夢を求める人には、非日常を感じさせるゴージャスな車ではあるのです。

 そこへ行くと日本車はどれもおとなしく、誠実に作られています。レンタカーを借りてカローラに乗ったりすると、余りに普通の車なので拍子抜けがします。別段カローラから極上のロマンを求めたりはしません。走る、止まる、曲がる、車の基本が忠実に作られていて、きっちりしています。

 こうした車に乗ると、「車からこれ以上何を求める必要があるんだ」。と、と納得してしまいます。百数十万円という低価格で、これだけきっちり仕事をしてくれる乗用車ならば、世界中の車で、最も安価で、お買い得な乗用車です。そのことは、日産でも、ホンダでも、日本車すべてに言えます。

 ものすごいクオリティを安価に提供していながら、乗った感覚は普通なのです。これを普通と思えるところが日本の国のクオリティの高さなのでしょう。日本の車は、少しも自分を自慢することなく、忠実に安全に主人に従います。こうした車に乗ると、「あぁ、これだから日本車は世界中でよく売れるんだなぁ」。と改めて実感します。

 

 更にトヨタプリウスに乗ると、これはもう自動車と言う感覚すらなくなっています。勿論、基本的には良く出来た車です。燃費は安いし、きびきびと良く動きます。車のサイズが日本で使うには扱いやすく、可不足がありません。始動が余りに静かなため、本当に動いているのかどうか、運転していて不安になるほどです。

 こうした車に乗っていると、ガソリン車で感じていた、アクセルの踏み出しのエンジン音がいい、だとか、初速の伸びがいいだの、ハイドロニュウマチックの地面の振動を吸収した乗り心地が極上だのと、能書きを垂れていたことが一体何だったのか、と思ってしまいます。

 「車ってこれでいいんだな」。と納得する半面、何となく寂しい思いがします。寂しいとは、車好きが持っている価値観がハイブリッドカーには通用しないと言うことです。車への思い入れがいとも簡単に崩れ去ってしまうから、そう思うのです。

 でも多くの自動車を購入するユーザーは、車に過大な夢を抱いてはいないのでしょう。燃費が良くて、故障せずにちゃんと動いてくれればそれでいいのでしょう。

 

 そのトヨタは昨年最高の収益を記録しています。恐らく今年、来年もその快進撃は続くでしょう。逆に欧州の自動車会社はEV車の販売不振で売り上げを落としています。日本にとっては喜ばしいことです。でも、個性的で魅力ある欧州車が消えることの無いよう願っています。車の魅力は拙さも含むのです。

続く