手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

宇宙基地に生きる

宇宙基地に生きる

 

 元旦に能登半島で大きな地震があって、始めのうちは、それほど大きな被害もないのかと思っていたものが、日が経つにつれ、死者やけがをされた人の数が次々に明らかになり、石川県で、もう170人に及ぶ死者が確認されています。

 元旦早々自宅にいて命を落としてしまう人がいると言う現実は、何とも過酷です。と言って、せめて三が日までは待ってほしいなどと言っても、何の意味もありません。地震は地域のコンセンサスを得てから揺れるわけではないのです。

 こうした地震災害は、日本のどこで起こっても不思議ではありません。ひょっとすると、関東大震災が怒っていたのかも知れないのです。そうだったら、今頃東京は大混乱です。

 そうなったら我々は新年早々にマジックショウをするどころではありません。家も、仕事も失い、食料もなく、狼狽えるばかりでしょう。人ごとではありません。

 東日本大震災の時とは違って、地震の範囲が狭く、集中していたために、主に、能登半島の先端の、輪島市珠洲市に被害が集中しているようです。

 元々能登半島は、北へ行くほど人口が少なくなり、更に高齢化しています。恐らく、輪島市珠洲市もかつて3万人くらいいた人口が、今は1万人くらいに減っているのではないでしょうか。

 これは能登半島だけではなく、日本中の3万人くらいの都市は、今ではみんな人口が半減しています。都市の中心部は多少賑やかでも、その周辺に行くと、山間の集落などは、もう殆ど人が住んでいないところがたくさんあります。

 元々過疎の地域で、人が高齢化したり、住人の多くが病院に入ってしまったりすると、食料品店も、雑貨屋も、床屋も成り立たなくなり、高齢でない人たちまで、結局土地から離れなければならなくなります。

 今回の能登半島地震でも、家を失った人は結局、金沢のような大きな都市に人は移住して行くことになるのでしょう。

 

 今回の被災者の多くは高齢者が目立ちます。被災者によっては家が完全につぶれてしまったり、半壊してしまった人が多くいます。そうした人たちは、いくら災害の補助金をもらったとしても、もう一度家を建て直そうと考える人は少ないのではないかと思います。

 私自身を考えても、今の事務所と自宅兼用の家が、崩壊したならば、もう二度と同じ家を建てようとは考えないでしょう。仮に100%国が貸してくれたとしても、この先を思えば、大きな収入は望めませんから、重い住宅ローンを背負うことは不可能です。

 私は今年70歳になります。テレビで見る被災者の方々から比べれば、まだ若い部類ではありますが、それでも、今関東大震災が来て、家が倒壊したとしたら、もう一度家を建てるかと言う決断は躊躇するでしょう。

 

 話は違いますが、インターネットで、ドーム型のハウスを作っている会社がたくさんあります。外見は宇宙基地のようで、お椀を伏せたような形状で、大きさは畳三畳分くらいのものから、かなり大きなものまであります。イベントなどでの更衣室や、控室に使うような小さなスペースの物から、完全に暮らして行けるような、バストイレキッチン迄備えた、住宅用の大型ドームまで、たくさんあります。

 利点は、水回りや電機はあとで配管するとして、建物自体が、二人がかりで、数時間で組み立てられるそうです。写真を見る限り、グラスファイバー樹脂のような素材で出来ていて、ミカンの皮を剝いたような、細長く湾曲して分かれた壁を、ボルトナットなどでつないでゆくだけでドームが出来ます。

 価格も四畳半程度のスペースで100万円を切るそうですから。被災地の焼け野原に資材を運んでくるだけで、その日のうちに人が暮らすことができます。そうなら、プレハブのアパートを作るよりもはるかに簡単に家を建てることができます。

 これを国や、県が非常時用として100台200台と所有して、いざ災害と言う時に持ち運んで被災者の家を建てたなら、被災者は体育館の床で生活しなくても済むでしょう。室内幅がそう大きくないのですが、ドーム型ですから、天井が高く、何よりいい点は、宇宙的で、見た目に災害の悲壮感を感じないことです。

 これはとても大切なことです。体育館で暮らしたり、プレハブ造りの住居で暮らしていると、被災者は悲壮感が募って行きます。元々は大きな瓦屋根の家に暮らしていたような人が、プレハブの四畳半の家で半年、一年と暮らすうちに、絶望感が生まれて行きます。

 そんな時にドーム型の宇宙基地なら、そんな思いが吹き飛ぶでしょう。孫などが遊びに来ても、「ここに泊まって見たい」。と思う子供がいると思います。見た目に暗さがないことがどれだけ人の心が救われるかわかりません。

 実際、私も、もし今の家が倒壊したなら、ドームハウスの少し大きめな物を買って、高円寺の家の跡地に建てて住みたいと思います。一軒だけ宇宙基地のようなおかしな家になりますが、数日で建って、壊れにくい家なら申し分のないことです。それはそれで珍しくて、人も訪ねて来るのではないかと思います。

 近所の子供たちには、「宇宙人の家だ」。と言われるでしょう。そうなら、私も徹底させて、全身銀色のタイツを着て、ブーツを履いて、ヘルメットをかぶって生活したなら、宇宙人のライフスタイルを満喫することができます。70歳に至って大きな変身を遂げることになります。それはそれで新しい人生が開けます。

 日本の土地を考えると、木造瓦葺と言う家は家としては問題が多いのかも知れません。美しさにおいては認めても、台風や地震と言った災害の度に家が壊れるのはなんとかしなければいけません。街の景観は変わっても、壊れない、倒れない家の方がいいに決まっています。

 と言うわけで、もし関東大震災が怒って家が倒壊したなら、私は宇宙基地に暮らすことに決めました。

続く