手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

被災者支援

被災者支援

 

 能登半島は、元旦に地震の被害を受けてから、一か月経った今もなお復旧作業が続いています。倒壊した家は無論未だどうにもならず、多くの人は避難場所で寝起きをしています。東京よりもかなり寒い地域で、しかも、雪も降り積もります。その暮らしにくさは想像を絶するものだと思います。

 被災者の皆様に何か協力できることがあれば何かしたいとは思いますが、わずかな見舞金を送るぐらいしか方法が思い浮かびません。その見舞金も、テレビなどの窓口に送るのがいいのか、市役所などに送るのがいいのか、あれこれ考えてしまいます。

 見舞金とはいいながら、これまでも、東日本大震災の際も、ちゃんと被災者のために使われたのかどうかすら分からないような、いい加減な募金担当者がいました。そんな活動を見ると、善意の活動が本当に被災者に伝わっているのかどうか、心配になります。

 例えば、輪島市に集まって来た見舞金は、水道や、ガスの復旧費用に使った。とか、道路の工事費用に使ったとか、或いは、被災者に直接一人30万円程度を送ったなどと、明確に渡したことが分かるならいいのですが、見舞金のその後の報告などが良くわかりません。

 無論、巧く配ってくれているとは思いますが、出来れば、クラウドファンディングのように、これとこれを買うために支援を集めています。と明記してくれたならお金を送る方でもよくわかります。うやむやのうちに別の使われ方をすると不信感が募ります。

 本来は、現地で縁のある人に直接見舞金を送ることが一番いい方法だと思います。然し、そこに親戚も知人もなければそれは出来ません。昔、私は輪島に出かけて、茶たくを買った記憶があります。さて、その店が何と言う店だったのか、忘れてしまいました。縁があれば見舞金を送りたいと思います。

 

 タレントによっては、直接被災者を励ますために、避難している人たちのために、体育館などに行って歌を歌ったり、演奏したりする人たちもいます。東日本大震災の際にはたくさんのタレントさんが行って、無料で音楽を聞かせたり、中にはマジックをして見せたりもしました。

 ただ、私は思うのですが、被災者が寝起きしている小学校の体育館に出掛けて、歌を歌ったり、マジックをすることが本当に支援したことになるのでしょうか。歌の好きな人、マジックの好きな人がまとまって避難しているならそれもいいかもしれませんが、次から次と、演歌のお姉さんが来たり、マジシャンが来たり、民謡の歌い手が来たり、ギター演奏家が来たり。それが本当に親切になるのかどうか。むしろ被災者にすれば騒がれることを望まずに、静かにしていたいと望む人の方が多いのではないでしょうか。

 実は数年前に、仙台に仕事に行った際に、仕事先で、10年前に被災者だった人が言った言葉で、「全然見たこともないような演歌歌手が避難先に来て、歌を歌って、励ましの言葉をかけてもらっても、逆に有難迷惑で、煩わしいと思った」。と言われました。随分な言いようですが、毎日毎日とっかえ引っかえいろんな芸人が来れば、そのうちには煩わしくもなるのでしょう。

 そうであるなら、親切の押し売りのようなことはせず、見舞金や、求められている品物をそっと置いて帰って行く方がより被災者のためなのではないかと思います。災害の地域は、普通に生活することも困難なわけですから、そこへ何人かで押しかけて、無理無理歌を歌ったり、マジックを見せることなどあまり意味はないのではないかと思います。

 求められて来てほしいと言われたなら、出かけることはやぶさかではありませんが、そうでもなければ、被災地域に押し掛けて行けば、道は渋滞しますし、駐車するにも容易ではないでしょうし、マジックを見せると言ってもセットをする場もなく、衣装を着かえる場所もありません。舞台もないようなところで演じるわけですから、万全なショウは出来ません。

 それでも気持ちが伝わるなら、出かける価値はあるかも知れませんが、先に書いたように被災者にとっては有難迷惑なのでは無意味になります。仮に有名人が来たとしても、新聞社や地元のテレビ局が何十人も取り巻いてカメラを回し、被災者に関係なくタレントを撮りまくります。これではまるでイベントです。寝るまもなく体育館の床に寝ている被災者の脇でカメラや新聞記者がタレントを追いかけまわる姿がいいことか悪いことか。

 私は芸能をしていてつくづく思うのですが、芸能と言うものは心にゆとりがあってはじめて楽しめるもので、住むところもない、水も出ない、食料も満足にない、と言う場所で、如何に歌を歌おうともマジックをしようとも、とても楽しめる状況ではないと思います。

 被災者の心の中には、家族を失って悲嘆に暮れている人もいるでしょうし、仕事先が破壊されて、この先何をして生きて行こうと考えている人もいるでしょう。漁師をやっていたのに船を失って、漁に出られない人は、この先どう生きて行ったらいいのか。家畜を飼っていた人が、家畜を救出できなくて見殺しにしてしまっている現実。

 そんな中で芸人がやって来て、「頑張ってくださいね」。「おじいちゃん、決して負けないようにね」。などと励まされても、頑張れの言葉が如何に空しいことか。「頑張りたい、頑張りたいけども、今こうしていても餌がなくて死んで行く家畜はどうしたらいいのか」。「70過ぎて船を失った漁師は、仮に銀行が資金を貸してくれたとしても、年齢を考えたなら、ローンの返済は不可能だろう。そうならどうしたらいいか」。そう思っている被災者の気持にマジックや演歌は何か救いを与えられるのでしょうか。

 芸能にできることはわずかです。一瞬の喜びは提供できても、本当に人を幸せにすることなどできません。毎日毎日余震に悩まされる能登の避難民を思うにつけ、自分の芸の無力を思います。

続く