手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

ゴジラを見た

ゴジラを見た

 

 昨日、新宿の東宝映画に出かけて、ゴジラ‐1.0を見て来ました。結果を申し上げるなら、是非見るべき映画です。そもそもこの映画を単純に怪獣映画と捉えることは間違いです。爬虫類のようなゲテモノを出して、特殊撮影で観客を脅かしつけるような俗な映画ではありません。

 先ずストリーテラーがしっかりしていて、観客に強く訴えるものを持っています。日本人とは何か、人はどう生きるべきか、明快に主張が貫かれています。映画評を見ても、ゴジラを激賞する人は多く、中には、ハリウッドのやり方は間違っている。日本映画を見て、根本から改めたほうが良い。などと説教する人もあるくらいです。でも言わんとしていることはよくわかります。

 

 時代は1945年。もう日本が太平洋戦争で負けそうなころです。特攻隊に志願して、出撃した敷島(神木隆之介)が、怖気づいて爆弾を抱えたまま離れ小島の飛行場に戻って来てしまいます。そこに突然ゴジラが現れます。敷島は恐怖のあまりまともに戦えず、決断ができないまま、多くの仲間を見殺しにしてしまいます。そのため強く自責の念に駆られます。

 そうした体験を秘めて、戦後、日本戻り、闇市でかっぱらいをして暮らしているのり子(浜辺みなみ)と、のり子の連れ子との奇妙な三人暮らしをはじめます。のり子は銀座に勤め先を見つけ真面目に生きることにしました。敷島は生活のため、木造船に乗り、東京湾の機雷を見つけては機銃で撃って爆破すると言う危険な職業につきます。仕事も軌道に乗ったさ中、東京湾ゴジラが現れます。

 木造船に載せた機銃でゴジラに立ち向かいますが、全く歯が立ちません。ゴジラは、定番のように、銀座に上陸し、服部時計店などを破壊します。ここはいつものお約束ですが、今回は服部時計店の造りが良くなっています(一体何十回これまで服部時計店は破壊されたことでしょう)。

 この銀座で敷島はのり子と生き別れになります。敷島はのり子を助けられず、死なせたと、またまた自分を責めます。

 ここで一気に話は方向が変わり、機雷の除去作業をしていた、佐々木蔵之介と山田雄貴、それに科学者の吉岡秀隆が、敷島を仲間に加え、民間で自営軍を組織し、ゴジラ掃討作戦を企てます。そして、旧海軍の巡洋艦官長、堀田(田中美央)の協力を得て、旧海軍兵士を集めます。この田中美央が如何にも帝国海軍出身者らしくていい役者です。

 彼等と、スクラップになる寸前の巡洋艦に乗って、ゴジラに立ち向かいます。敷島は科学者の考えたプランに疑問を持ち、一人、戦闘機に乗ります。この戦闘機が、驚くべきことに震電と言う、大戦の末期に機銃を4基も積んだ、B29を撃墜するために作られた戦闘機で、山崎豊監督のこだわりが良く見えます。実際、敷島がこの震電に乗ったことが、素晴らしい結末を生みます。

 ここでようやく陣容が整い、巡洋艦4隻と、攻撃戦闘機一機によるゴジラ殲滅の作戦が始まりますが、もう映画は後半になっているのに、ようやくここで、ゴジラのテーマが流れます。伊福部昭ゴジラのテーマは有名ですが、元々このメロディは、ゴジラのためのものではなく、自衛隊が陣容を整えて、ゴジラと戦う時に使うための曲でした。

 が、余りに個性的なメロディのために、以後のゴジラ映画には毎回ゴジラの登場テーマとして使われるようになってしまいました。その辺は、山崎監督も承知していて、旧帝国海軍のために用意していました。然し、如何に戦争に負けたとはいえ、日本を代表して闘う船がぼろ船4隻で、護衛する戦闘機が一機のみ、何とも粗末な艦隊に、空しくテーマ曲ばかりが勇ましく流れて、そのギャップについ涙が出てしまいます。それでも胸を張って、堀田官長が指揮するさまにまたまた涙です。あぁ、大戦末期の日本軍と言うのはこんなだったのだろうなぁ。と思います。

 ゴジラのテーマ曲が立派なだけにこれでは誰が見てもゴジラに勝てないだろうと思わせます。しかし日本人は、勝算の見えない戦いに黙々と働きます。その間戦闘機に乗った敷島はまるで一匹の蠅のようにゴジラにまとわりついてゴジラを攻撃します。当人は命がけで戦っていますが、余りのサイズの小ささに涙が出て来ます。

 ゴジラの前に、人間はみな小さいのです。然し、それでもへこたれません。家族を守るための戦います。それを見ていてまた涙です。

 

 あぁ、何と言うことでしょう。ゴジラを見て、涙また涙です。この映画は戦争を賛美するものではなく、だからと言って安易な反戦映画でもありません。全く説教臭さはないのですが、確実に学ぶことは多いのです。

 ヒロインののり子役の浜辺みなみが、始めはかっぱらいで汚れた女を演じていたのですが、敷島に影響されてからは徐々に真面目に生きるようになり、それにつれて美人になって行きます。子供を育てること、家庭を持つことの大切さを学びつつ、人として変化して行くさまが見事です。

 一言で言うなら、「これが映画」です。面白くて、楽しくて、そして人は何をしなければならないかを問い続けています。イデオロギーの押し売りもなく、ただただゴジラをどう倒すかのストーリに集中しています。その単純さが明快でいい映画なのです。

 いや、久々いい映画を見ました。アメリカやイギリスで人気が沸騰している理由が良くわかります。

 山崎豊監督は、百田尚樹さんの「永遠のゼロ」を映画にした監督です。ここでは真っ向から戦争に向き合っていますが、これもいい映画でした。あの時、特攻攻撃をした隊員の一人が、敷島だったわけです。話は敷島によって戦後も続いて行くのです。同時に「三丁目の夕日」、の監督でもあります。何かといい作品を立て続けの出しています。

 それにつけても、昭和という時代は、今や歴史の中で語られるようになりました。私の子供のころは、学校の先生が授業中によく戦争の話をしていました。アメリカの巡洋艦を大砲で破壊した話など面白おかしく熱心に話していました。

 親父も、母親も朝飯の時には必ず東京大空襲の話でした。思えば父親も母親も空襲を経験したのは、わずか15年前の話だったのですから、忘れられないのでしょう。そうして育った私には戦争は過去の話ではありません。

 映画の中で山田雄貴は当時の現代っ子の役で出ていました。余りストーリーの発展には役に立ちそうもない賑やかしの役だったのですが、お終いに仲間を引き連れて大活躍します。あれを見ていると、頼まれもしない仕事に命を懸ける姿に涙また涙でした。

 映画を見終わって、しばらく頭の中を整理するために喫茶店に入りました。そこから1時間、感動が冷めやらぬまましばし幻想の世界に浸りました。

続く