手妻師 藤山新太郎のブログ

1988 年、1994 年に文化庁芸術祭賞、1998 年に文化庁芸術祭賞大賞を受賞。2010 年には松尾芸能賞 優秀賞を受賞。 江戸時代に花開いた日本伝統奇術「手妻(てづま)」の数少ない継承者 藤山新太郎のブログ。

世界の中の昭和史

世界の中の昭和史

 

 

NHKの朝のドラマ、ブギウギと、ちょうど時代を同じくして、半藤一利著の「世界の中の昭和史」を読んでいます。半藤さんと言う小説家は、一貫して昭和史、特に支那事変から太平洋戦争についてたくさんの著書を出されています。

 今回の世界の中の昭和史も、通常の単行本の優に二倍の厚さはある大著です。私は面白くってずっと読みふけっています。然し、なかなか太平洋戦争は、悲惨な戦争ですから、当著が大きな話題になってヒットする作品とは思えません。日本人の中で昭和史はあまり人気の時代とは言えません。

 「世界の中の昭和史」の内容は、詳細に昭和初年から終戦までを書き綴り、その過程で、なぜここで、蒋介石なり、ルーズヴェルトなりと和平条約を結ばなかったのか。転機、勝機はいくらでもあったじゃないか。と歴史の転換点を詳しく書いています。

 石原莞爾(いしはらかんじ)と言う、天才的な戦略家がプランして満州事変を起こし、満洲全域を手に入れたとき、世界の国々は日本を猛烈に非難しました。然し、当時、ソ連と名乗っていたロシアが、一貫してアジアの南進を画策する中、中国も、朝鮮も全くの非力で、ソ連の南下政策に対抗し得るのは、日本以外なく、ここまでの戦いは、東アジアの自衛のための戦いだったのです。

 初めは満州国などと言う傀儡政権を作った日本を、アメリカもイギリスも非難しましたが、アメリカはフィリピンを、イギリスはインドを支配しておいて、日本が満洲を占領することを一方的に非難することは出来ません。むしろ日本がいなければ東アジアはソ連に征服されてしまったでしょう。

 そのうち徐々にではありますが、世界は日本を容認する流れになって行きます。蒋介石の国民党も、中国国内で共産主義に押されていて、日本と正面から戦える力はなく、内心は、「満州は日本に譲って、この先の共産党との戦いに日本軍が支援してくれるなら、日本との和睦もやむを得ない」。という気持ちになって、一時本気で満洲を手放そうと考えます。

 ここが戦前の一つの勝機でした。満洲と言う、日本の何倍もある領土を手に入れたことは千載一遇のチャンスでした。実際昭和初年の日本の不景気は、満州を手に入れたことで勢い活気づきました。

 ところが、日本政府は蒋介石政府と和平条約を結ぼうとした矢先、関東軍が、「条約を結ぶ前に、もう少し領土を増やしておこう」。と北京近郊の熱河まで関東軍を押し出して中国の領地を侵略して行きました。

 和平条約を結ぼうと言う時に戦争をすることは違法です。蒋介石は、「結局日本は本気で中国と和平条約を結ぶ気持ちはないんだ」。と理解し、以後決して日本の申し出を受けることはありませんでした。ここで日本は中国との和平協定のチャンスを失いました。

 この時、蒋介石と手を結んでおけば、その後、アメリカやイギリスと戦う理由はなかったのです。アメリカは当初、中国をいじめる日本は許せない。と言う義侠心から中国に軍事支援をしていたのですが、日本と中国が仲良くなってしまえば、日本を叩く理由はなくなるのです。

 日中の和平協定で、少なくとも中国との戦いは終わり、日本は千島も樺太も朝鮮も、台湾も満洲も自国領のまま、戦前の日本の目的は達成できたのです。

 そうだったなら、その後の蒋介石毛沢東の中国の内戦も早くに収束したでしょうし、中国はその後自由主義国のメンバーになっていたでしょう。当然朝鮮戦争も、ベトナム戦争もなく、アジアの昭和史は随分変わったものになっていたでしょう。

 

 昭和16年アメリカとの戦争を決める際も、その少し前に連合国側がABCDラインと言う経済封鎖をして、日本を困窮させようとしたことが引き金になった、と多くの歴史の本に書かれています。本当にそうでしょうか。

 これは私の意見ですが、仮に経済封鎖をされたとしても、それでどうして戦争になりますか。昭和16年の時点で、日本の石油備蓄はまだ2年半ほど残っていたのです。もし石油をちびちび使って二年戦争を待てば、いや、一年でも待てば、ドイツの敗北は明白になっていたでしょうし、そうなれば当然日本は第二次大戦に踏み込まなかったでしょう。

 アメリカのルーズヴェルト大統領は、欧州の大戦に協力したい一心から、日本に無理難題を押し付けて来て、戦争をけしかけて来たのです。然し、日本が相手にしなければ、アメリカは欧州に軍を派遣する理由がなくなり、ましてや日本と戦う理由はなかったのです。

 ドイツによる第二次大戦は免れなかったにせよ、日本とアメリカが参戦しなければこうまで大きな戦争にはならなかったのです。ABCDラインが無謀だ、ハルノートが日本に対する虐めだと言う前に、日本は日本で独自の進路を守っていれば、決して戦争をする必要はなかったのです。

 

 ではどうしてこれほどまでに戦争が大きくなってしまったのかと考えると、日本には先を見通すリーダーがいなかったのです。昭和天皇がひたすら戦争に反対したと言うのは事実でしょう。然し、自身が決断をしてまで陸海軍を止めることはしなかったのです。ましてや陸軍にしろ海軍にしろ、この先日本をどうするのか、明確なビジョンを描ける軍人政治家はいなかったのです。

 むしろ戦争を求めていたのは国民でした。新聞も雑誌も、みんなでアメリカを叩けと大合唱していたのです。参謀本部も何十回もシュミレーションをして日米の戦いを机上で試しました。然し何度やっても勝ち目はないと言う結論に至ったのです。にもかかわらず、どうして戦争をしてしまったのか。答えは簡単です、国民が望んだからです。

 日本軍が、熱河を攻めた、南京を攻めた、上海を攻めた、その都度提灯行列を出して万歳三唱をしたのは日本国民です。なぜそうしたか、戦争のたびごとに景気が良くなるからです。

 戦争をすると、失業者がいなくなる。兵隊のための食料が売れる。軍服が売れる、銃の玉が売れる。何でもいきなり売れて好景気になるのです、戦争は最も簡単な景気浮揚策なのです。みんなそれを求めていたのです。日本は明治以来の富国強兵策が国を富ませてきたのです。

 

 NHKのブギウギでは、ジャズが歌えないことや、パーマや付けまつげを否定されたりして、昭和10年代を暗い時代と表現していますが、でも実際の戦時中の日本では、軍人は憧れの存在でしたし、国を富ませるために戦っているヒーローだったのです。それゆえに、どこの映画館でも学割と並んで軍人割引があったのです。

 それが間違っていると言う人は、今の時代だからそう言えるのであって、新聞もマスコミも熱烈に戦争支持、みんながみんな旗を振って軍人を応援していた時代の価値観を理解していないのです。

 軍人が悪いと言って、全ての戦争を軍人のせいにして解決するのは間違いです。戦争は何度も勝機はあったし、人が支持すればどんな時でも戦争を止めることは出来たのです。それを盲目に突き進んだのは、軍人もマスコミも国民も一緒だったのです。半藤さんの小説はそれを教えてくれます。

続く